Just do it you can dance――モーニング娘。’24「勇敢なダンス」について


 つんく♂はあるインタビューで、自身の曲についてこう語っている。


――作詞するときに本質としているのはどのようなものですか。

結局、人間は孤独だってことです。僕の曲は「人は孤独」という軸に対して、「孤独だよね」としんみり言うか、「いや、楽しくいこうよ」と明るく言うかのどっちかなんです。「LOVEマシーン」も「シングルベッド」も何も変わらないですよ。

「次の恋でもしてりゃ 辛くないのに」って実は前向きな言葉です。終わった恋の次を見てる。「LOVEマシーン」は日本社会がひどく落ち込んでいた時期の曲ですが、「日本の未来は(Wow Wow Wow Wow)」と笑ってごまかした。[1]


つんく♂の手になる曲の数々は、孤独という「軸」のまわりをぐるぐると巡ってきた[2]。では、つんく♂のプロデュースによって誕生し、現在でも彼が多くの曲の作詞作曲を手がけているモーニング娘。は、それをどのように歌っているのか。

 本稿ではモーニング娘。’24[3]の最新アルバム『Professionals-17th』に収録されている「勇敢なダンス」を取り上げ、これを見ていく。この曲を代表させて論じるのには主に三つの理由がある。①背景:最新アルバムの一曲目でありMVが公開されている、言わば現在のモーニング娘。の顔である一曲だから。②歌詞:モーニング娘。の歌詞に頻出するいくつかの特徴(本稿を通して徐々に明らかになる)が現れているから。③曲:「KOKORO&KARADA」、「女が目立ってなぜイケナイ」、2014年前後の一連のEDMなど、モーニング娘。の過去作を踏まえたアレンジがなされているように見受けられるから。以上の理由から、「勇敢なダンス」を、つんく♂・モーニング娘。作品の一つの系譜に位置づくものとして捉え、論じることが許されるであろう[4]。



 「勇敢なダンス」の詞にはディテールがほとんど出てこない。「私」の行動はといえばせいぜい「過去を思い出して」「夜を見てる」くらいのものだし、「私」を取り囲む状況についても、「寝不足」だったり「肌荒れ」していたりといった、ごく僅かなことしか明かされない(しかも、「夜を見てる」のと相関的な事柄ばかりである)。

 だが、それもそのはずである。そういったディテールこそ、曲の冒頭から「言いたくない」、「聞かないで」と拒まれていた当のものではなかったか。この曲を聴く者に知らされるのは、「ため息」、「寝不足」、「肌荒れ」といった僅かな事実、ただそれだけである。だから、「私」に何があったのか、などとその「秘密」や「理由」を考察することはしないでおこう[5]。

 では、この曲の歌詞において、ディテールの代わりに何が書かれているのだろうか。それは、「私」の孤独な感情を表す言葉の数々にほかならない。そうした言葉たちの運動こそ、聴き取られるべき当のものではなかったか。

 この曲は歌い出しから、「言いたくない」、「聞かないで」、「やだ」、「何も信じらんない」、「全然つまんない」といった否定的感情を表す言葉に満ちている。次の箇所においても、やはりそうである。


無理 無理 もう ずいぶん無理みたい[6]

間を置いて二度、「無理」と繰り返される。そしてもう一度、「もう ずいぶん無理みたい」と呟かれるとき、人はこの絶望を深めているようでもあり、同時にそこから距離をとりはじめているようでもある。

 こうした否定的な連なりからの幾分かの離脱が見られるのは、この直後においてである。


無理 無理 もう ずいぶん無理みたい
Do it Do it Just do it 今だろう


「無理」から「Do it」へ。ここではじめて肯定的な言葉が出てくるのだが、驚くべきことに、「無理」と「Do it」のあいだにはいかなる媒介も示されていない。たとえば「無理って無理」(cf. 「HEAVY GATE」)のようには決して言われることがなく、ただ単に、「無理」の後に「Do it」が来ているだけなのだ。これは、否定が否定されることで肯定へと転じていく、といったこととは全く異なる事態である。

 ここで起きているのが「否定から肯定へ」といった単純な超克の運動ではないことは、これに続く箇所を聴けばより明確になるだろう。――ここで曲調がガラッと変わっている[7]。


あしたはあしたらしい
風が吹くの
わかってはいるけど
不安募る


「あしたはあしたらしい/風が吹く」と、私はやはり前を向こうとする。しかし、前を向こうとするがゆえになのか、今度は――「わかってはいるけど」――「不安」でしかなくなってきて、これに続く箇所では歌い出しのメロディーに戻って「言いたくない」、「聞かないで」とやはり否定的な言葉が繰り返されることになる。

 どうも一筋縄ではいかないのだ。


 こうした悲劇的とも言いうるスパイラルのことを、モーニング娘。は長年にわたって歌い続けてきた[8]。ところで、注目すべきは、近年のモーニング娘。は負のスパイラルからの「脱出」を繰り返し明示的に歌っているということである。たとえば、先に挙げた「HEAVY GATE」では、このように歌われていた。


無理って 無理
今こそ Breaking my gate![9]


「無理」という感情や状況そのものが「無理」なので、今こそ「HEAVY GATE」をぶち壊して現状から抜けだそうと、およそそういう詞であろう。また、同様の傾向を、「Are you happy?」(「ここから出して」)、「青春Night」(「私は こっから 脱出 Get away」)などの曲に見て取ることも可能である。

 これらの楽曲に対して、「勇敢なダンス」は、「無理」という否定的な感情を「無理って無理」と否定することなく、ただ一連のフレーズのなかで「無理」と「Do it」を並立させる。ある種の潔さを伴って。だが、1番ではまだ「私」のネガティヴさが強調されている。



 2番に入ると、「私」はいくらかポジティヴな調子を取り戻したかのように見える。


ああだ こうだ なんだと
言い訳してみると
なんだ かんだ まだ
やり直せそう
ただ ただ ただ じっと
待ってる日々はやだ
まだ まだ まだ きっと
やり直せそう

1番でさんざんネガティヴな調子を続けてみると、「なんだ かんだ」でポジティヴになってくる。そのありさまが色濃く出ているのは、以下のフレーズであろう(1番の同じ箇所との対比に留意されたい)。


涙は涙ごと
色が違う
私だけその事
知ってりゃいい


「私だけその事/知ってりゃいい」。この開き直りが、間奏での石田亜佑美のソロダンスへと通じていることは言うまでもない。そして、間奏が明けると小田さくらが「Do it」と繰り返し、「勇敢だ!」と声を張り上げることにもなる。


 にもかかわらず、である。小田さくらが歌い終わった直後、この曲は何事もなかったかのようにして再び例のフレーズを繰り返すことになる。


無理 無理 もう ずいぶん無理みたい
Do it Do it Just do it 今だろう


やはり「無理」、そして「Do it」。ここから再度、1番の歌詞がしばらく繰り返されることになり、それが終わると、一曲は以下のように締めくくられる。


同意 同意 同意ってわかんない
Do it Do it Just do it you can dance
Do it Do it Just do it 勇敢だ!
Do it Do it Just do it you can dance


ただただ踊り続けるようにして、「勇敢なダンス」はリフレインを続ける。この様子をつんく♂は「お客さんを入れ替えずにずっと回ってるジェットコースターみたいな」と表現している[10]。だとすれば、絶えず回転運動を続けるジェットコースターの動力源は、いったいどこにあったのか。

 そのフレーズが曲の序盤と、最後のリフレインの直前に差し込まれているのは、ほとんど必然的なことではなかったか。


やだ やだ やだ もう
何も信じらんない
やだ やだ やだ もう
全然つまんない
ただ ただ ただ こう
過去を思い出して
ただ ただ ただ ぼ~っと
夜を見てる


連発される「やだ」、「ただ」のビートが、一連のステップを構成する。そこには何か派手な跳躍のようなものがあるわけではない。モーニング娘。はただ単に、地に足をつけて踊っているだけである。だとすれば、「やだ」の後に「ただ」が来るのも、きわめて必然的な運びであったというほかない。それはもはや、彼女たちが地面を踏み鳴らす音のようにも聞こえてくる[11]。

 曲の終盤で再びこのフレーズが現れるのは、この曲自体が一つの「ダンス」として運動しているさまを証すためにほかならなかった。本稿が「勇敢なダンス」という曲を一連の「ダンス」として(のみ)聴いてきたのは、こうした事情によるのである[12]。


 まとめておこう。

 この曲で「勇敢」と呼ばれているのは、否定性との関係におけるある種の潔さのことであり、ただ踊るという行為そのもののことではなかったか。一曲を通してモーニング娘。がしていることは、ただリズムに乗り、歌い、踊り続けることだけである。「Just do it you can dance」――ただ踊ること、その勇敢さ[13]。



 ここまで、つんく♂の詞に焦点を当てて「勇敢なダンス」の何たるかを述べようとしてきたが、はたしてこの曲はモーニング娘。’24によって歌われることになる。これはどういった事態なのだろうか。

 たとえば、曲の末尾で区別されることなく歌われている[14]二つのフレーズに、もう一度耳を傾けてみよう。


Do it Do it Just do it you can dance
Do it Do it Just do it 勇敢だ!


これらのフレーズは、いったい誰から誰に向けて歌われていたのか。すなわち、「you」と呼ばれているのはいったい誰なのであろうか。たとえば、以下のように想像することはできる。

 ①曲の主人公(「私」)が自分自身に対して。

 ②モーニング娘。(あるいは間奏明けでこのフレーズを歌う小田さくら)が石田亜佑美に対して。

 ③モーニング娘。がモーニング娘。自身に対して。

 ④作者(つんく♂)が石田亜佑美やモーニング娘。に対して。

 

 しかし、こうした場合の各々を想像して何らかの回答を与えようとすることは、実際には問題ではない。

 むしろ見られるべきは、この曲が語っているかに見えたただ一人の「私」の孤独が、13人のモーニング娘。たちによって歌われることによって、多重化され、増幅あるいは拡散していく事態である。それも、たとえば「みんなロンリーBOYS&GIRLS」(cf. 「ここにいるぜぇ!」)などと言われることはなく、終始「私」だけを語り、「私」だけを徹底して歌い踊ることによってのみ、そういった事態が引き起こされている。この有り様にこそ、「勇敢なダンス」という曲、あるいはモーニング娘。の「勇敢」さを見て取るべきではないのか。

 だから、間奏で石田亜佑美が一人前に出て踊りだす契機となるかに思われた以下のフレーズにも、多重化された声の響きこそが聴き取られなければならなかった。


涙は涙ごと
色が違う
私だけその事
知ってりゃいい


このフレーズの前半は野中美希、後半は横山玲奈によって歌われている。だが、横山玲奈が「私」と言うとき――この曲で「私」と言われるのは、この瞬間だけである――、その「私」が指しているのはこの曲の主人公でも、横山でも、モーニング娘。でも、つんく♂でもありえない。おそらく、誰のことでもないし、誰のことでもあるのだろう。我々が目撃しているのは、「勇敢なダンス」、ただそれだけである。




 なお、本稿は「勇敢なダンス」MVが公開されたあと(10月27日)の一連のツイートを元にしている。以下のスレッドを参照されたい。

https://x.com/bimyo_bimyo/status/1850195766092206337(最終閲覧日:2024年12月5日)




本稿で言及した曲(すべて作詞・作曲つんく)

ここにいるぜぇ!(2002)

しょうがない夢追い人(2009)

なんちゃって恋愛(2009)

女が目立ってなぜイケナイ(2010)

Are you happy?(2018)

青春Night(2019)

KOKORO&KARADA(2020)

ギューされたいだけなのに(2020)

HEAVY GATE(2023)

勇敢なダンス(2024)

「恋人」(2024)

大空に向かって(2024)



[1] 山本舞衣「つんく♂楽曲のすべてに通底する「本質」とは何か――「LOVEマシーン」も「ズルい女」も根本は同じ」東洋経済オンラインhttps://toyokeizai.net/articles/-/738781?page=5(最終閲覧日:2024年12月5日)。

[2] ただし、つんく♂は続けて、自分にとって「孤独」が唯一のテーマだというわけではない、と注意を促している。

[3] 2014年の「モーニング娘。’14」以後、モーニング娘。のアーティスト名は後ろに西暦の年号を付して表記されるようになった。したがって2024年現在のアーティスト名は「モーニング娘。’24」であるが、本稿では年号を付さない表記も適宜用いる。

[4] 「ハロプロ楽曲群」を矛盾にも満ちた複層的・多声的な総体と見なす刺激的な論考として、いなだ易「「ハロプロが女の人生を救う」なんてことがある?」(香月孝史・上岡磨奈・中村香住(編著)『アイドルについて葛藤しながら考えてみた――ジェンダー/パーソナリティー/〈推し〉』青弓社、2022年、所収)がある。

[5] なお、つんく♂自身のnoteでは、「勇敢なダンス」の歌詞が「「崩壊寸前の恋」のお話」として提示されている(つんく♂「モーニング娘。'24 2024年 11月 27日発売 Album「Professionals-17th」 セルフライナーノーツ」https://note.tsunku.net/n/na1097766aa77?magazine_key=m73cc3d468ae7(最終閲覧日:2024年12月5日))。しかし、本稿ではあえてこの解釈を採らず、「ジレンマ」、「ぐるぐる回ってるスパイラル感」という点だけを共有する(本文で後述する)。あくまでも、「孤独」という「軸」との関係においてこの曲を聴くためである。それにしてもなぜつんく♂は、一見したところ恋愛を直接的に描いてはいないこの歌詞が恋愛の物語であると断言したのだろうか。言われてみればたしかに、「私」は「来週の計画」や「肌荒れの真実」について恋人に追及されているのだろうか、などという想像は可能だとはいえ、そうした場面を恋人との関係に限定する理由は見当たらない。おそらくだが、つんく♂の断言は、この曲を石田亜佑美という(このアルバムをもってグループを卒業する)一人のメンバーと直接的に結びつけることを避けた結果なのではないか。この点で、この曲は「石田亜佑美の実直さ」がもたらしたものではないかと推測するわたしのツイート(2024年10月27日のツイートhttps://x.com/bimyo_bimyo/status/1850201431166570903(最終閲覧日:2024年12月5日))はいささか性急なものだった。

[6] モーニング娘。’24「勇敢なダンス」作詞・作曲つんく。以下特に断りがない引用は、すべてこの曲からのものである。

[7] MVでは北川莉央と井上春華が青空の下で歌うシーンが挿入され、場面の転換が強く印象づけられている。

[8] たとえば、今から15年ほど前(いわゆる「プラチナ期」)の曲をいくつかとっても、そうである。「なんちゃって恋愛」、「しょうがない夢追い人」など。

[9] モーニング娘。’23「HEAVY GATE」作詞・作曲つんく。

[10] 前掲「セルフライナーノーツ」。

[11] 一方、「勇敢なダンス」が収録されたアルバム『Professionals-17th』を聴くと、「やだ」という語はますます強く印象づけられることになる。「やだ」は「勇敢なダンス」で13回現れるだけでなく、「「恋人」」においても(「やだよ」を含めて)11回出現するからである(しかもすべてサビ。なお、「大空に向かって」にも1回出てくる)。

[12] つんく♂はAメロで短いフレーズの繰り返しを多用している。近年の曲に限って列挙すれば、「KOKORO&KARADA」、「ギューされたいだけなのに」、「Are you happy?」など。この技法の効果は、個々の楽曲に即して具体的に分析される必要があるだろう。

[13] モーニング娘。公式Youtubeチャンネルで公開されている一連の「だーnce Practice ver.」が感動的であるとすれば、それは自身が参加した曲をただ順番に踊っているからこそ、感動的なのである。以下のプレイリストを見よ。「だーnce Practice ver.(石田亜佑美Solo Dance Practice ver.)https://www.youtube.com/playlist?list=PLYyzGNAghtgPkyuWxM_mZxl72_OQ6_yZg(最終閲覧日:2024年12月5日)

[14] つんく♂は、モーニング娘。’24のメンバーに渡した歌詞カードではこの箇所を「勇敢だ!」ではなく「you can dance」と記していたと明かしている(前掲「セルフライナーノーツ」)。

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