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大学5年間
初めまして、蛇_院試です。
私は2025年度の大学院経済学研究科の入試を受験し、大阪大学と神戸大学に合格しました。合格した直後の今は今年の個人研究とバイト三昧の日々を過ごしています。
今回は大学に入った後の私の大学生活を振り返りながら私について少し紹介できればと思います。
この話がほかの人の役に立てればと思います。
大学入学とコロナ
私は大学に入学と同時にコロナが流行り、バイトと家の往復をするだけの日でした。さらにスマホゲームばかりしており、課題も毎回ギリギリで提出する感じの日を過ごしていました。
フル単で授業をしながら多い時で週4でバイトに入っていたりしました。
大学編入との出会いと挑戦
そんな中でガクチカとかいうものを聞き、今のうちに何かやったほうがいいのかとバイトをしながら1年の夏休みにぼんやり考えていました。その時大学受験時代に大学編入のパンフレットを見たことを思い出し、もともと大学受験では第1志望に落ちていたこともあったことからリベンジがてらに受けてみようかと思ったことが大学編入への挑戦の始まりでした。
しかし、そうはいっても自分は自制心を持って勉強なんてどうせできないだろうと思ったため、予備校のようなものはないかと探し始めました。そこで新宿に編入試験を取り扱っている予備校を見つけ話を聞いてみることにしました。
編入試験についてや予備校についての話を聞きいったん考えることにしました。当時は少しだけ学歴コンプを抱えていたこともあり、親にまた受験のようなことをしたいといえばいろいろ言われることは目に見えていました。特に私の親はそのような勉強などにちょこちょこ
「ちゃんとやってるの?」、「そんなんで受かるの?」
等,、口を出すタイプであり、それにうんざりしていたため、編入は親には黙ってやろうと考えました。
志望校は大学受験時代の第1志望校の1つだけ。
しかしいざ勉強を始めたはいいものの大学受験時代と特に変わらない勉強時間と質でやっていたため、あっさりと不合格を突き付けられました。
不合格を突き付けられ、それなりにショックを受けたと同時に大学を休学して編入浪人をして複数校受験することを決めました。
この時はほぼ完全に焦りとやらなければいけないという決心を持って受験勉強に臨みました。
しかし現実はそんなに甘くなく、複数の志望校は全落ちし、メンタルを病んで次の年に復学をしました。
精神不安定な大学生活
編入試験全落ち後は一旦大学生活に目を向けようと決め、サークルにでも入ろうかとかどんなゼミに入ろうかとか考えたりしてバイトをしながら大学生活を送りました。
復学するときはある程度メンタルは回復はしたんですがめっちゃ沈んだり浮いたりを繰り返していました。
復学して最初に考えたことは何か大学での活動に参加してみよう、というこうでした。そこで4月にサークルの新歓ブースなどを回り、そこで出会ったサークルに参加、4月からちゃんとしたガチゼミに所属をしたりと復学後の1年間は大学生活を充実させていました。その一方で新しくバイトを始めたりといろいろなことをしていました。
この1年間は鬱の波のようなものがあり、浮き沈みを繰り返しながらの生活を送っていました。また、大学3年の秋ごろから大学院の受験について本格的に受験することを決めていきました。
院試受験の大学4年
そして大学4年では主に院試のために夏までの時間を使っていきました。また、4年次に新たにゼミに軽く参加をしたことでさらに交友関係が広がっていきました。
夏までは主に院試の勉強とアルバイト(受験費用の捻出)中心の生活をし、夏に受験をしに関西へ飛びました。受験校は編入試験時代に最も志望度が高かった阪大と神大の2つと、新たに一橋大学にしました。
一橋は書類で落ちたため、正直悔しいより何がダメだったのだろうかという疑問が大きかったです。
そして神大の面接で少しやらかしをしたものの、結果神大と阪大の2つに合格を頂くことができました。
その後はアルバイトと、ゼミでの論文発表のために時間のほとんどを費やしているところです。他にも軽く参加しているゼミのプロジェクトにも注力をしている状況です。
今回は私の大学生活を振り返るような記事を書きました。このように記事を書くことは今回が初めてなので読みずらい点がありましたらご容赦ください🙇♂️
これからは大学編入や院試を中心にいろいろ発信していければなーって考えてます。