『創世記』① ――世界の始まり――
第一章 至高四神
そのかみ、世界には何もなく、ただ何もないということだけがあった。
その何もないものが、目を開いた。
そこで光は光となった。
開いた目は、自分のほかに何もないことを嘆き、身を震わせて、一筋の涙を流した。
その震えは動きに変わり、そこに時間を司るものが生じた。
そして流した涙は上から下に流れ落ち、そこに正しい秩序と転変、事象の均衡を司るものが生じた。
ここに在って在る神、流転する時の神、転変と均衡の摂理の神という至高の三神が揃うことになった。
光の中に生じた至高の三神は、光の下に長い影を落とした。この三神の三つの影が交わったいと深き影の中に、あるものが生じた。
このあるものは、深い影をその身とし、在る物を無に還すことだけを考えるものであった。ここに四つ目の至高の神、虚無の神が生じた。
始まりの三神は、生成と消滅は留め得るべきではないとし、次の無の神を認めた。かくして生成と消滅は、無限に繰り返されることとなった。
だが、在って在りはじめたばかりの世界は、まだ消滅するべきではないとした始まりの神は、虚無の神を説き伏せて深い眠りに就かせた。
ここにいつかは消滅する世界が始まった。
……ここまでが、白銀時代の『創世記』第一章の記述です。
この『創世記』は、白銀時代に並存する十種の人類が共有する、世界の始まりの聖典です。この世界の宗教に名前はありません。四つの至高神、二十の自然神、それに無数の人倫の神々の名前が伝わるのみです。
白銀時代の人類が何故一つの創世神話を共有しているのか? それは異世界ハイ・ファンタジーだから、というのはもちろんですが、そこには御陵の他愛もない願いが込められています。
つまり、『全ての人類は、互いを尊重して、幸せに暮らして欲しい』。
現実世界の歴史を振り返ると、宗教というのはあれこれと争いの種になっておりまして。『聖書』に記載がない人種については、割と堂々と迫害とか虐待の対象になっていたようです。
それならば……、と御陵は考えました。出自が同じならば、違う人種同士でも共存まではできなくても、並存できるはず。そういうわけで、白銀時代に暮らす人類たちは、すべて『創世記』出てくる十の人種のいずれかに含まれます。
ちなみに、この『創世記』は、カバラの思想をベースに構築しました。曰く、「大いなる一から振動によって二が生じ、流出によって三が生じた」。
次回は第二章を記録しようと思います。
参考までに、この『創世記』は、第一章から第五章まで記録されています。その五つの章の全文は、エブリスタさまにも併載しております。
ただし、『創世記』には”失われた第六章”が存在しており、まだ公開してはおりません。その”泥棒の神”と”怠け者の神”と”助平の神”が活躍する章については、第五章の記載後に、こちらに記録しようと思います。
※画像:m****************************m</a>さんによる写真ACからの写真