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京都への旅(4)菅原道真公ゆかりの地を訪ねる 菅大臣神社(菅大臣天満宮)/菅原院天満宮神社

★北野天満宮参拝の後、地下鉄南北線四条駅近くにある菅大臣神社と京都御所近くにある菅原院天満宮神社を参拝した。いずれも菅原道真生誕の地とも言われている場所。道真の怨霊を恐れた朝廷がそれを鎮めようと祀ったことが今日の天神信仰につながっているのだが、各地にある伝説やエピソードをみると、それだけではなく、道真公を慕う京都の人たちの思いがあったからこそなのだろうという考えにもなる。

☆菅大臣神社(菅大臣天満宮)
京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町
「菅原道真を祭神とする。鎮座地は菅原道真の旧宅跡で、古くは天神御所または白梅はくばい殿ともいわれたが、これにちなんで社殿を造営したのが当社の起りと伝える。沿革はつまびらかでないが、応仁の乱以後の景観を記すとされる中昔京師地図には、五条坊門ぼうもん(現仏光寺通)西洞院にしのとういんの南東部に「天神御所地」とある。社地は往時は方一町を占めていたが(坊目誌)、現在の社域は狭くなっている。また明治維新前は曼殊まんしゆ院(現京都市左京区)門主の知行であったが、明治六年(一八七三)に独立した。」(平凡社「日本歴史地名大系」より引用)

◎菅家邸址碑
文章家として朝廷に仕えた菅家(菅原氏)代々の邸宅のあった場所を示す石碑(下京区仏光寺通西洞院東入南側)。菅大臣神社(菅大臣天満宮)の鳥居横に立っている。

菅家邸址碑

◎菅大臣神社(菅大臣天満宮)本殿

菅大臣神社(菅大臣天満宮)本殿

飛梅伝説の梅の木が代々引き継がれているという。少し梅の花には早かったかな。

◎菅大臣神社(菅大臣天満宮)の臥牛たち

◎紅梅殿(道真の父・是善を祀っている)
この辺りに菅原道真の邸宅があり、太宰府に飛んだ梅の木があった場所とも。

紅梅殿

☆菅原院天満宮神社
京都府京都市上京区堀松町408
(以下、公式web siteから引用)
「当菅原院天満宮神社は「学問の神様」として知られる菅原道真公がお生まれになった霊地であり、道真公だけではなく、曾祖父・古人朝臣、祖父・清公卿、父・是善卿がご住居とされておりました地であります。古人朝臣は桓武帝に、清公卿は嵯峨、淳和、仁明の三帝に、是善卿は文徳、清和の両帝に奉仕し、栄職にあったので、この邸宅も受け継ぎ住まわれ、世に菅原院と呼ばれたのであります。拾芥抄によれば菅原院は勘解由小路(現在の下立売通)烏丸の西一町菅贈太政大臣の御所、或は参議是善卿の住居といわれた。当時歓喜光寺と号し、北野祭の日神氏此所に来りて批杷を神に奉奏され、また古図には烏丸、室町通、下立売通、椹木町通に囲まれた邸地を菅原院と記載され、住古は境域の広大であったことがわかる。又袋草子国宝北野縁起(藤原信実朝臣筆)菅氏録によれば、菅原院は是善卿の旧邸地にして菅公は此の処に於いて御誕生あらせられ爾来菅公このところを邸地とし給ひ、ついで菅家のために、此地に歓喜光寺を創建されましたが後故ありて六條道場に移転。残された殿舎に道真公御誕生の地である事を持って一社を設け、学祖人として菅原道真公を本座とし御父是善卿と御祖父清公卿を奉祀して古より断ゆること無く今に至り実に是れ菅公御発祥の霊地にして聖蹟廿五拝の第一にして今も尚産湯の井及び天満宮御遺愛の石燈籠一基が残っております。」

菅原院天満宮神社境内の「道真公初湯の井」

菅原院天満宮神社境内の「道真公初湯の井」

◎菅原院天満宮神社の臥牛たち

※今回の授かりもの
学業成就合格鉛筆

学業成就合格鉛筆

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