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ボビーとの旅

中学一年生の時に初めて下北沢の古着屋でジーパンを買った。デニムでもジーンズでもなくジーパンと呼んでいたズボンは、有名なリーバイスでもエドウィンでもなく、ボブソンだった。
 
パンクロックが好きだったので、その古着のボブソンを履き、当時開放されていた原宿歩行者天国やライブハウスに通った。高校一年生でニュージーランドに短期留学した時も持参した。
 
路上とライブハウスと外国で酷使したジーパンはすぐに汚れ、ガンガン洗濯するうちに膝や尻といった稼働しやすい部分が、薄くなり、退色し、繊維がほつれ、ついには破れてしまった。
 
それもまた味だから、自然のなりゆきに任せたまま放置した。しかるべき経年劣化。共に生きる相棒としての愛着を覚えた。ボブソンを、愛と親しみを込めてボビーと呼ぶようになった。
 
美大予備校立川美術学院、武蔵野美術大学でもボビーと共に。タイやバリやロンドンやパリやアムステルダムや八重山諸島、様々な国を巡ったバックパック旅行も必ずボビーを道連れに。
 
心血を注いだMVの現場、取材、ストリーミングサイト運営。三十代の全てを捧げたスーパーデラックスでのスナック永子。大人になってもボビーと一緒に、熱狂的な日々を駆け抜けた。
 
日々ダメージは広がり、どこもかしこもほつれ破れが増した。都度手縫いで繕い、ミシンで補強するうちにつぎはぎも増す。私の皮膚の皺のように、ボビーの表面には無尽の糸が巡った。
 
原型を失った。以前とは別の生命体へ変容したように見えた。それは人同様、生まれたら必ず老いて死ぬ一方で進化もする、生命の構図の踏襲であり、刹那の記録のキャンパスでもある。
 
四十歳を過ぎた頃、ズボンとしての形状維持が難しくなった。生地の劣化が甚だしく、補強したものの自重に耐えられない。ファスナーやベルト周りの不備も生じ、手放すことを考えた。
 
が、長年共に生きてきた相棒を易々と処分するのは堪え難い。これからも共に生きたいと考えて、勢いズボンの股の部分を、バラして開き、縫い直した結果、ボビーはスカートとなった。
 
が、経年のよれ、ほつれ、破れの分だけ、シルエットが歪む。ほどいては縫い直し、試しに新たな生地を当てては取り下げ、試行錯誤するうちにスカートでなければならない理由を疑う。
 
スカートが欲しいわけではない。ボビーとの日々を続けたい。ならばポテンシャルを活かした進化を新たに検討するべきだ。針を刺しては抜きながら、数年に渡ってボビーと向き合った。
 
四十六歳の冬、ようやくボビーは縦型バッグとして新生した。生地のよれ、ほつれ、劣化のせいでミシン処理が使用できず、全て手縫いで敢行したハードコアスタイルの裁縫、ほぼ手術。
 
運糸のめちゃくちゃさが、その時々の泥酔レベルを記録する。型なし。正解なし。完成度は無視。誰にも文句は言わせない。ボビーは私だけが大切で好きな唯一無二のキャンバスなんだ。
 
初めて下北沢の古着屋で出会ってから三十五年経つ今思えば、私とボビーが共に歩んだ日々はまぎれもなく私の人生の旅路。ボビーは旅の伴侶であり、かけがえのない私の分身であった。
 
常に今を共有し、共に変化した信頼が、今の愛の根拠となる。だからボビー、経年の果てにようやく言える、愛しているよ。裏切ってもいい。消えてもいい。君との旅は尊い愛を知る鏡。




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