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【ディスフォリア考04】生存前線を守り抜け

冷たい刃がすっと静かに、そして陰湿に切断する。

人々を男と女に切断し、トランスからノンバイナリーを切断する。その鋭さは誰を切り裂くか。私を切り裂く、私たちを切り裂いている。言葉がもつ暴力的な側面、切り裂く力。

生まれたときに割り当てられた性を生きる者にあるまじき、不当な存在だと思わされてきた。二元的な性のシステムによって否応なくどちらかの性に振り分けられ、存在しないかのように扱われてきた。自らの性を明かせば、未分化で未熟な人間とみなされる。バイナリーなトランスジェンダーと比べて、あらゆる文脈において経験する困難が少ないのだとも。ひっそりと刃に切り裂かれ、それに気づくことも、気づいて後に傷つくことすら難しい。

長らく自分の体が嫌いなシスジェンダーだと思ってきた。私はそのようなノンバイナリー。胸オペのためにクリニックを受診して説明を重ねても「FtMですね」と言われたノンバイナリー。GIを理解するモデルが男女のスペクトラムしかなかった頃、ずっとシス女性だと自身を理解してきたノンバイナリー。

これは私の経験するノンバイナリー。他の誰かの経験するノンバイナリーは、私には経験しようのないものだ。GIがある人もない人も、身体違和のある人もない人も、身体的あるいは社会的な性別移行をする人もしない人も、トランスと感じる人もそうでない人も、他にもここに書ききれない多様なノンバイナリーたちがいる。あなたは確かにそこにいる。そして私はここにいる。決して遠くはない場所にいる。

同じノンバイナリーのラベルを引き受けた者たち、そのマイクロラベルを引き受けた者たち、そしてこれらを引き受けずとも周辺に在る人々。今を生き延びろ。明日へと生を繋げ。あなたの生きる地点が前線だ。ほとんど無いものとされ、声を聞かれないその日々こそが前線だ。前線を守れ、生きることで守れ。

生存前線を守り抜け。

私はトランスノンバイナリー、そして書き手、生活者。

生きて、言葉の力を振るう者。その暴力性を噛みしめつつ、それでもなお。私たちが経験した類似の切り裂かれで、私の言葉が誰かを生かす可能性が少しでもあるなら。

(2022年に旧Twitter上での苛烈なノンバイナリー差別の最中に書いたものを再掲しました)

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トランスマスキュリンの島﨑残像が性別違和について考えたこと。

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