失敗してもいいんだし、どうせなら三振かホームラン。
仕事は、失敗は許されない。
私はまだまだ半人前だから、まだ上司に守られているし相当伸び伸び仕事をさせてもらっている。
でも、流石にできることとできないことの壁にはぶつかることもある。
予算・スケジュール・社内・お客様の意見……。
すべてをクリアして世に出るものは、もちろん「どうしてこうなった」というものでも溢れているのかもしれない、と日々仕事をしていて感じている。
もちろん、企業の人がお金を出しているから、結果が求められるのは至極真っ当なことだ。
だからこそ、実務で結果が出ているかつ心に響く広告・企画は本当にすごい。
いろいろな経験をさせていただき、ようやくその凄さを身をもって感じるようになった。
その一方、私は「仕事外での活動」にも精を出していた。
デザインのオンラインコミュニティでリーダーとしてPJをぶん回し小説を執筆まで行い、広告のお偉いさんが課題を見てもらえる講座に参加し知らない人たちと企画や広告制作もするようになった。
そういった環境は、仕事以上に「実力がなくてもやりたいことに手を挙げられる」「失敗しても許される」場所だった。
挑戦ができる環境というものは、非常に分からないことも多く実力不足も痛感するが、誰かと何かを考え抜き創り上げる経験を会社・職種・年齢の枠を超えて仕事ができることは本当に貴重だと痛感した。
そして、最近は「アートとコピー」の講座を通じて、講座外でも公募の広告賞に参加するようになった。本当にありがたいことだ。
今回も、ペアで広告の制作に挑戦した。
結論から言うと、今回は失敗に終わった。
三振というより打席に立てず、ベンチからハンカチを噛みながら眺めていた感じだった(いや、もしかしたらベンチに入れず観客席にいたのかもしれない)。
既存の枠組みをいかに超えていくかということが大きなテーマだと見抜けず、評価の土台には立つことができなかった。
良かったものは、頭抜けて現象を呼び起こすものになっていた。
どのように自分たちが向き合った課題で枠を超えられるだろうか。悔しすぎて講義中ぐるぐる思考が回っていた。
ただ、その一方「既成の枠を超えつつも企業の課題を解決する」ことは非常に難しいなと痛感したのだ。
「ユーザーの関心に寄り添う」or「企業の伝えたいことが伝わっているか」といった点に留意することができれば、
最高の広告ができるし、実際の仕事にも生かすことができるんじゃないだろうか。
独りよがりにならないように、ペアの人と協力してアイデアの方向性からしっかりと検討したい。
また、公募は受賞を逃すことで得るものの方が大きいのかもしれない。講義での「グランプリか総スカン」という言葉が印象敵だった。
最低限のルールやマナーはあるものの、最初から縛られてしまうときっと企画として跳ねない。
どうせ仕事じゃないし、何が良くて何がダメかを知るために大きな勝負に出たほうが、きっと得るものも多いんじゃないかなと思った限りだ。
阿部さんと鈴木さんのお話はすごく大変そうなのにも関わらずすごく楽しそうで、若い時にやり切って次のステージに進まれていらっしゃる姿が輝かしく感じた。
きっと当時の公募でたくさんフルスイングして、今のお仕事に生かされているんじゃないだろうか。
もちろん「公募の賞を獲る」ことが私の仕事における最終目標ではないので、今後は「今回はこういう課題だからこのように進めよう」というアセット・個人で行う目標はしっかり定めて、一つ一つの公募で自分の成長も意識したい。
さて、次はどんな風に向き合おうか。