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父親のアレ

 神童だと呼ばれたことがある。2歳のときの記憶があり、保育園の時点で父親が読んでいた小説を普通に読むことができた。漢字は大好きで、先生が読んでくれる絵本はつまらなかった。絵本の読み聞かせの後、「先生。これはどうしてこう言ってるの?どうして?あたしだったらこうは言わないけど」と意見をぶつけたりしたかった。はらぺこあおむしの数回目の読み聞かせのあと「ねえ、先生・・」と話しかけようとしたら先生が嫌そうな顔をしたのでそこでやめた。
 父が読んでいた小説は、アルスラーン戦記や永井豪の凄ノ王シリーズなど。深みのある内容ではなかったが、非現実的なところが面白かった。現実に面白みを感じなかったのだと思う。生を受けてから5年目ころのことだ。
 保育園の先生は口をそろえて
「Ralちゃんは、とっても頭の良い子です。ただ、難しい子でもあります」
と言っていた。好かれるタイプの子供ではなかった。
 母は連絡帳で毎日謝罪の言葉を書き、お迎えに来るのは祖父だった。母はおそらく、保育園に顔を出したくなかったのだろう。そして、神童は、そんな大人の感情にも敏感だった。自分が煙たがられているのはすぐにわかった。母だから、父だから、愛が欲しいなどとは思ったことはみじんもない。この人たちは、私を育ててくれる人たちで、お金をくれる人。時々意味のわからない、納得できない理不尽な理由で殴られる。殴られても守ってくれない。嫌悪に近い感情で両親のことを見ていた。
 父と母は、なんだか仲がいいことで有名だった。有名だっただけで、本当に仲が良かったのかは怪しい。あの頃からほんの少しずれた感情が見えていて気持ち悪かった。食卓での仲の良い風の会話、父親を無駄に称えるシステム作り、黙ってそれを受け入れる姉、受け入れられない私。
 無駄に観察力が備わり過ぎていた私にとって、家は落ち着かない場所だた。
 大人が読む大衆小説を普通に読んでおり、時代は昭和。テレビでも胸の露出は普通のこと。夜九時ころのドラマにも普通に濡れ場があった。性についてはかなり知識はあった。小学2年ころには完全に理解していた。理解した上で、通常ににこにこと暮らしている大人が、性のことになると良く分からないムードでああいうことをするのか、と冷めた目で見ていた。行為については理解していても、性的な感情の変化については良くわからなかった。
 台所の近くに風呂の入り口があり、脱衣所のようなものはなかった。風呂に入るときは、暗黙の了解で誰も台所の近くには行かないようにしていたが、その日はどうしても喉が渇いて冷蔵庫に向かった。小学3年のころだったような覚えがある。すでに父親のことを毛嫌いし、口も利かず、できるだけ接触を避けていた。

 もう少し長く風呂に入っていると思っていた父親が急に裸で出てきて、身体を拭き始めた。何してるんだと話しかけられて振り向いたとき、思わず父親のアレに目が行った。実物を見るのは初めてだった。父と風呂に入った記憶がない。おそらく物心ついたときには拒否していたのだろう。姉とばかりはいっていたような気がする。何か紫色と茶色の間のようなものがぶらぶらと脱力してぶら下がっていた。形はいまいち覚えていないが、とにかく南国のフルーツが腐ったようだと思ったことは覚えている。大人になって思い出すに、かなりの大きさだったように思う。先まで丸かったように思うのだが、包茎?とはもはや聞けない。
 大きさは、子供の私が見たときの感情で大きく記憶されたのか。
 人の記憶はあてにならない。感情で見たいように見るから、どれだけ大きかったかもわからない。ただ、記憶の中の父親のアレはかなり大きく、異様だった。そんなものがそんな風につながっていて、不自由じゃないのか?が最初に思いついた感想だ。かなり衝撃を受けたが、その時の私にとっては、その気持ち悪い大きなものと、自分の大嫌いな父親のコンビはあり得ないくらいイヤなモノだった。話しかけるな、これ以上近づくな、息をするな。
 父親の手は、私を殴るものだ。父親の口は、およそ理論的とは言えない理不尽を吐き出す道具だ。父親の足は、床に転がっている何かを蹴るためのものだ。逃げろ、逃げろ。
 逃げる娘を、父親はストレスに思っていた。オレはこんなに素晴らしい人間なのに、どうして逃げる。オレは好かれて然るべきなのに、なぜ嫌う。オレは、オレは。心の動きが入ってくるような気がして、息ができなくなる。台所で行うはずだったジュースの物色もできなくなり身体が固まった。どこに行くんだっけ。
 なんとか父に背中を向け、震える両手を押さえた。走って二階への階段を上がり、自分の机に向かう。ノートを広げて父とはまったく関係のない、安っぽい恋愛小説を書く。小説を書くことが好きだったのは、自分の目の前に広がる現実と全く違う世界を作れるからだったように思う。
 二階に上がってきた父は、例によって私を𠮟りつけ始めた。オレが呼びかけてるのに返事をしないのは何事だ、目も合わさずに二階に上がるとはなにごとだ、そもそも何で台所にいたんだ云々。父は娘の変化に興味がなく、自分のことばかりだったから、私が当時すでに思春期のような感覚で生きていたことには気づいていなかったように思う。もう過去になったことを後でチクチクチクチク言ったところで私の感情がプラスに向くはずもないのに、父は語り続ける。そこからまた正座させられ、過去の自慢話のようなものを2時間くらい聞かされる。その間タバコを吸いまくるから部屋が臭くなり自分が臭くなり辟易しながら自分も風呂に入る。風呂に行くと、すでに全員が入ったあとの湯があるだけ。私はいつも一番最後で、でもそれは私の準備が遅いとか、そういった理由だったように思う。湯に入りたくても、気持ち悪くなる。ここに何か、得体のしれないものが溶けているような気分になって吐きそうになる。嫌いな人と暮らすというのはそういうことだ。そういう感情と常に一緒にあるということだ。嫌いだという感情に気づいてしまった保育園あたりから、高校卒業までは地獄のようだった。できるだけ家にはいないようにした。
 父親との会話は本当に数えるほどしか記憶にない。
 母親とは比較的良く話をした。ただし、母はいつもイヤそうだった。
 高校生になってからも、私は丸くなることなどなかった。バイトができて部活もあって、友達もいたので、夜中まで家に帰らないことなど普通だった。できるだけ、家族が起きている時間には帰りたくなかった。昭和の団地のような作りの家だったから寝ている家族をまたいでいかないと自分の部屋にたどり着けなかったから、どうしても誰かのことは起こしてしまうし、次の日がっつり注意されるが、もはや無視して毎日遅くに帰ってきた。
 ぐれていたかと言われると、実はぐれていなかった。家に帰りたくないだけで、勉強は好きだった。しかし、授業はまともに聞かない。出席していてもわざと制服じゃなくてジャージを着る。その地域で上から数えて二番目の高校に余裕で入り、その中での成績も良かった。しかしまた、先生たちの評価は同じだ
 「Ralは優秀です。でも、難しい子です」
 そんなの知ってるよ。保育園の時から言われてるし。母はまた面談のたびに謝りまくる。謝らなくていいよ。あたし別にこの先生たちの授業聞かなくても成績いいんだよ。そこから考えたらそもそも、高校って必要なの?この人たち必要なの?自分で勉強できるなら、私はなんのために眠たい授業に我慢して出ているの?別に寝てるからいいけど。言ってやりたいことはたくさんあったが、面談が長くなるから我慢した。
 面談の帰りに母が急に彼氏がいるのかと聞いてきた。まだいなかったので、いない、と答えた。避妊はちゃんとしなさいよ、とさらっと言われた。なんと答えるのが正解だったかわからない。ふてくされて適当に答えたような気がする。考えてみれば、夜中まで帰ってこない娘を心配する母は至極正しい。しかし母はそこで終わらなかった。
 「パパはパイプカットしてるから」
 その単語は知らなかった。なんのことかわからない。え?と聞き返すと、母はうん、と頷いてそれ以上話してくれなくなった。家に帰って辞書を見てもわからなかった。学校の図書室でも良くわからなかった。学校の友達にこっそり聞いても、なにそれ~と言われて終わった。
 ふとしたことからわかったのは数年後だった。避妊手術の一つで、そもそも精子が出ないようにするものらしい。いまだに良くわからんが、子供がこれ以上できないように父の方で妊娠しない措置をとったということだ。
 両親がそういうことをしているという想像は、別に気持ち悪いものではなかったが、避妊のためにその手術をした理解したときは少し違和感を感じた。それからそれを、子供に伝える母親のことも。そのころにはもう高校を卒業し、専門学校に通っていた。奨学金を勝ち取り、ときどき家に帰ることはあっても滅多に家族と関わることはなかった。お互いのために、一緒にいない方がいいとすら思っていた。彼氏が一人暮らしをしていたから、もはやそこで半同棲していた。
 就職する段階になり、車の免許くらい取っておくか、となった。私のことを溺愛していた父方の祖父がお金を出してくれ、免許を取った。初心者だが、職場で運転するかもしれないことを考えてよく父の車を借りて練習していた。その日何気なくダッシュボードの中を覗いてみたら、ラブホテルのチケットが落ちてきた。私は車に1人。運転するのは父と自分のみ。自分でなかったなら、父でしかない。私はチケットをあったところに戻して、なんならできるだけ奥に突っ込んだ。別に知りたくなかったので、父を恨んだ。母にも姉にも友達にも言えない秘密ができてしまった。欲しくないのに。
 そこで脳裏に浮かんだのは、小さいときに見たあの、腐った南国フルーツだ。大き目のナスのような。それがさらに腐ったような。ぶらぶらとぶら下がって丸くて大きい茶色と紫の父親のアレだ。
 その記憶と、母からの無駄情報であるパイプカットがよみがえる。
 あはは、あいつ、浮気し放題じゃん。
 父はきっと、誰かをくどいてはドヤ顔で言う。
 「オレはパイプカットしてるから」
 手術を決めたときにはきっと、いいじゃんこれって思っていたんだろう。お金、あんまりなかったはずなんだが、当時も今も手術は保険がきかないし、まあまあ高い。どうやってひねり出したんだか。そんなにもやりたかったんだね。精子が出ない措置。笑ってしまう。
 嫌いすぎて、会話の記憶をほぼほぼ意図的に消しているので、何も覚えてない。覚えているのは皮肉なことにぶら下がったアレと、それからこのラブホのチケットと、パイプカット。
 それが私の父のすべてである。


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