見出し画像

渡り蟹のクリームパスタ

美味しいものを誰かと食べた記憶は強い。

あの人と食べたあの時のあれ、美味しかったなー、という幾つもの記憶。それはどんなに古い記憶であっても、その時の「料理と人と空気」は、くっきりと思い出すことができる。

朝まで飲み続けられる体力があった頃
時々行くバーがあった。だいたいいつも夜の12時頃から入店していた。
都心のど真ん中にあるその店は、マスターが同郷の人で、ハイボールが他の店よりも際立って美味しかった。
心折れるような日には特に、ふらりと行きたくなる店だった。

日頃の悩みや愚痴のようなものばかり話してしまう未熟すぎる私に対して、マスターは指導するような上からの発言は一切せず、
いつの間にか悩みの話が笑い話に切り替わっている、という天才的な技と優しさの持ち主であった。

その店には1人で行くこともあれば、友人でもなく恋人でもないような人(同じく同郷の)と2人の時もあった。

2人で行った日は、マスターは閉店後の店内で我々と一緒に席に座り、3人で飲んだ。
そして毎回まかない料理を作ってくれた。マスターは料理の技も天才的だった。

秋の始まりくらいのある夜中、ふらりと店を訪ねると、店のガラスのドアが開かなかった。店内も真っ暗である。
よく見るとドアに小さな張り紙があり、

「閉店しました。今までありがとうございました。」

と手書きで書かれていた
呼吸ができないような衝撃に、しばらく呆然としていたと思う。

何があったのだろうか。。
推し量ることはできなかったが、マスターを取り巻いているであろう苦しみをその時初めて知ったのだった。
自分自身がひどく幼稚に思えた。

店を閉めることを我々に言わなかったのは
マスターの最後の気遣いだったのかもしれない。
秋の夜風がいっそう冷たく感じられた。

幼稚な自分がそういう事をしていいものか散々迷ったが、後日マスターの携帯に電話をしてみた。
マスターは黙っていたことの詫びを述べ、閉店の理由は主に経済的なことだということをきちんと話してくれた。
そして、4歳の娘さんと奥さんを連れて、故郷に帰ることも。

1番最後になってしまったマスターの一皿は
渡り蟹のクリームパスタだった。
渡り蟹って、、まかないじゃないよなぁ、と思いながら食べたその贅沢な一品は、パスタ屋の看板メニューか?!と思うくらいに美味しかった。
「ちょっ、ちょっとマスター!これおかわり」
「もうねーよ」
という会話も忘れてはいない。

マスターが店を畳んだ後
友人でもなく恋人でもないような人とは一度食事をしたきりで、それから会わなくなった。

夜中の3時、どうでもいい話で笑いながら食べた渡り蟹のクリームパスタは、今でも時々無性に食べたくなる

その味はどう頑張ってもいまだに自分で再現することはできないが、
マスターのおかげで習得した「自分の弱みをさらけ出して持ちネタに変えてしまう技」は、日々を乗り越える糧となっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?