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ぐっとくる憂い
どことなく不健康そうで顔色が冴えず、いつからかほんの少し触れただけで生首がホロっと落ちるようになっていた、雛人形の右大臣。
右大臣は生家にあった雛人形全キャストの中で、イケてなさは常に1位でした。
真っ白な生首がホロリと落ちる瞬間のもの悲しさ。。どういう訳か、子供だった私は右大臣の哀愁に惹きつけられていました。
上段にいる華やかなお内裏様やお雛様、三人官女よりも、下段で悲壮感を漂わせているイけてない右大臣が好きだ、という感情は誰とも共有できず、
「もげた首をそっとのせる時の、ちょっとした緊張感が好き」等といった発言をしないように気をつけていました。
ひな祭りが終わると、片付けの手伝いを母に志願し、せっせと片付けていました。
「雛祭りが終わったらすぐ雛人形を片付けないと婚期が遅れる」という俗説を、あの頃何故か信じていたのです。それを信じない母からは「はいはいはい」とあしらわれていました。
幼い時に社会から刷り込まれてしまった概念、それは強力で、いつの間にか人に根付いていきます。俗説の由来は諸説あるようですが、私は「婚期が遅れる」に含まれる否定的なニュアンスに反応し、そして、結婚は必ずするものなのだと思い込んでしまっていました。
また、「結婚=幸せ」という風潮も幼少期に刷り込まれる傾向があるように感じます。既に様々な媒体で言われていることですが、子供向けの絵本の中には結婚と幸せを結びつけていると思われるものがあります。
おうじさまとけっこんして、しあわせにくらしました
この結び、
これは結婚さえすれば幸せになるのだという思想を子供に植え付けかねません。よってこれからの絵本は、結婚すれば必ず幸せになるという訳ではない、ということを匂わせてみてはどうでしょうか。
例えば、
おうじさまとけっこんして さいしょのなんねんかは しあわせにくらしました
とか。
あるいは、巻末に別冊を添付し、
おひめさまは のちに おしろのにわしと ふかいかんけいになり おうじさまは べつのくにのおひめさまのところへ たびたびかようようになりました。それをしったじょうおうさまは、ひどくおいかりになり、、
等です。
終わりに匂わせる、もしくは続編でまさかの展開、私が子供だったらどちらにも興味が湧きます。
また「幸せ」とは受け身で待つものではなく、主体的に作りだすものだと認識できるようなストーリーの方が、現代には相応しいような気がします。
刷り込まれたものに疑問を感じるようになり、余るほど現実を知った私は、王子様のようなきらびやかな人には大谷翔平を除いて興味がありません。何故かいつも、あの右大臣のように、ちょっと憂いがある人に惹かれます。
雛人形は、都合のいい日にゆっくり片付けると良いと思います。人形の首元は繊細なので、注意が必要です。