第二話『仏前会議』

 夢を見ていた。
いつか当たり前のようにスーツを着て働き、
モデルとまではいかない綺麗な奥さんと結ばれ、可愛い子友達に囲まれる。
それは決して無理難題ではなく、努力せずとも
ある程度は自動的に叶うと考えていた。
 
 定員割れとは言え、公立の高校を出て、
所謂Fランだが大学もストレートで卒業した。
小さな中小企業の内定ももらったが、友人に誘われベンチャー企業に籍を置いた。

 学生の頃は気が付かなかったが、私の睡眠サイクルは尋常とは言えないほどにズレていた。
 昼夜逆転なんて生やさしいものではない。
体内時計というものが存在しないのだ。

 精神も不安定で一時は自死まで考えるほどだった。
 しかし、私の叔父にあたる母方の兄弟の1人が、ちょうどそのくらいの歳に自殺した。
そんな話を聞かされた私に自死の選択肢などなく、もがき苦しんでいた。

 断っておくが、ネガティブな自殺願望ではない。
 例えるなら、寿命を自己選択するような感覚に近い。
 その時の私は、今とは違う苦悩と闘い、自分が生きる意味を見出すことができずにいた。

 そんな時、顔見知りだが親友と呼ぶには遠い存在の友人から深夜に電話をもらった。
普段なら無視していたかもしれない。
 しかし何かを感じた私は、その電話に出た。

 『バヤシ君大丈夫ですか?』
 そこまで深くない仲の仮にも年上の友人に
真夜中にいきなりの電話で一言目に出てくる言葉としては、かなり唐突であった。

 詳細は端折るが、簡単に説明するとその彼は、直感的に私の不調を感じ取ったらしい。
確か時計は深夜2時を回っていた。
 電話で軽く会話を終えると、彼はすぐに駆けつけてくれた。その晩を私たちは『発想のビッグバン』と呼んでいる。

 どうやら私はADHDという発達障害を持っているようだ。彼は3歳の頃に診断され、適切とは言い難いが治療を受けながら成長して来た。

 その時、私は中学生の頃を思い出した。
その頃の私は、完全に周りから浮いていた。
 秀才ではないが馬鹿でもない私には、自分が何かしらの障害ないしは病気であると確信していた。

 それを両親に泣きながら打ち明けたことが
覚えているだけでも、3回はあった。
 両親は個性だから案じることはない。と
まともに受け止めることはなかった。

 高校に上がった時には、似たようなレベルの気の合う友人たちに囲まれ、中学生時代のような周りから浮くような感覚になる事はなく、花の高校生活を楽しんだ。

 そのままの勢いで大学を出たものだから、
私自身、病気や障害である可能性の問題をすっかり忘れてしまっていた。


(つづく)

 

 

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