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「カルフル」第7号の好きな句【 #カルフル俳句 】

久しぶりの感想note!と思ったけど、ほぼ全部非公開に戻してしまった(もしくは元々公開していない)ので実質初めて扱いになるかもしれない。なんて、そんな前置きはどうでも良いんだよ。以下本文。





消毒せよ冬の薔薇園入りたくば  古田秀

新型コロナの渦中にて作られた句だろうか。
現在「収束」と言われ始めてから半年以上は過ぎたと思う。そんな現在でも出入口の前にアルコール消毒が置かれている施設はまだまだ多い。
もう消毒を多少サボったからと言って目くじらを立てられる事は無いが、それでも扉の前に消毒用ボトルを見つける度に除菌をしないと心が落ち着かない。

ぷしゅ、と手のひらを消毒する。手でプッシュするタイプは適当な量を出しやすいが、機械が自動で出してくれるタイプやペダルを踏んで出すタイプの消毒液は予想以上にアルコールが出てしまい、手がべしゃべしゃになりがち。夏はまだ良いが、冬はそれが冷たい。早く乾け、乾け、と両手を念入りに合わせる。

そういえば冬の手水もいつも冷たかったなと、この句を読んでふと思った。二礼二拍手一礼の前に、手水舎で手や口を清める。清めた身体で神様へご挨拶をする。

冬の薔薇たちが棲む薔薇園も、せめて手指くらいは清めねば薔薇たちに失礼であろう。薔薇たちは薔薇で、私たちは人間なのだから。



福引で平和が当たつたらいいね  土井探花

私もよく「幸せがコンビニで買えたら良いのに」と考えた事がある。
お支払いはペイペイで、お手頃に買えたら良いのに。

けれどこの句は「福引」だ。コンビニではない。
もし、「平和」が当たる福引があったとして回すだろうか。私は、回せないなと思った。

何が出るのかわからない福引。ぐるぐる回して、だいたいハズレかティッシュが当たるのがオチだ。「平和」が当たる福引を回して、外れてティッシュが貰えるならまだ良いが「平和」が出なかった時のハズレは果たしてティッシュなのだろうか。

「当たつたらいいね」と、この句は言う。本当に当たるとは言っていない。「平和」が福引に入っているのか・入っていないのか、わからない。
よくある福引も、一等の豪華温泉ペアチケットが本当に入っているかどうかなんて出してみるまでわからないものだ。

それでも回し続けるのだろうか。何が入っているのかわからない「平和」が当たるとも限らない「福引」を。

などと書きながら、そういえば地球も回り続けている事に気が付いた。



ふくろ鳴けひとびとの耳あたためよ  このはる紗耶

カルフルにて古田さんも書かれているが、梟の声は怖い。もし真夜中の森をひとりで歩いている時に「ギャアッ」と聞こえてきたら、吃驚してしまいそうだ。

だがこの句はそんな梟に「ひとびとの耳あたためよ」と声を掛けているのだ。梟に助けを求めるほど、さみしい、さみしい夜なのだろう。私はこの句を読んで元旦に起きた能登半島地震を思い出した。

避難所で避難生活を送っている人もいれば、避難所以外の場所で避難生活を続けている人もいるそうだ。子供と一緒に車中泊を続ける人やビニールハウスで集団生活をしている人々。いろいろな避難生活があり、さまざまな夜があるだろう。

私が出来る事といえば募金と献血と、一日も早い復興を祈る事くらいだ。募金とは言っても大富豪では無いので雀の涙、献血も一度に協力出来る量とクールタイムが決まっている。あとはとにかく祈るのみ。という、自分の無力さを悲観しそうな瞬間もある。

もし、そんな夜に梟が鳴いたなら。ひとびとの耳をあたためるように、優しく鳴いてくれるなら。

被災地の人々はもちろん、被災地をおもう全ての人々があたたまりますように。そんな優しい祈りを感じた。





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