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【名人百句】赤尾兜子の百句を読んで気になった句【約十句】

ふらんす堂の名人百句シリーズをご存知ですか。

私はよくこのシリーズを買って読んでいます。
読んで、読みっ放しのままだったのですが「せっかく読んだのなら十句くらい気になった句を選んで自分の言葉にしてみたら」と、赤尾兜子の百句を読んだ後で思ったのです。

なので不定期に書いてみたいなと思います。
また、本書の楽しみのひとつである解説文はなるべく触れずに句単体での感想を心掛けるつもりですので気になった方は本を読んで下さい。(大変おもしろいですよ!)また仮名遣いは本書の表記に即しています。



「はじめに」の代わりに※注意※

赤尾兜子を扱う為、ダークな話題も出ます。(赤尾兜子は踏切事故に遭い急逝しました。)メンタルが不安定な状態の方は読む前に病院を受診したり、元気になってから読んだりしてください。すべて自己責任でお願いします。


大雷雨鬱王と会うあさの夢

以前夏井いつき組長がYouTubeで取り上げていたので、いつき組の多くは知っている句かと思う。私もこの動画を見てこの句を知り、赤尾兜子の存在を知った一人だ。
私は、言葉を言葉にすると輪郭を持ってしまうような気がして、敢えて言語化を避けようとする時がある。この「鬱王」という言葉のもつ輪郭はちょうど良い塩梅だと思う。伝わるのに充分、伝えずに包むのにも充分。読者へ配慮しつつ自分の感情は隠さない。私も兜子のような言葉選びをしたい、と落ち込んでいる時に思い出す句のひとつだ。


帰り花鶴折るうちに折り殺す

本物の鶴は折れないから、折り鶴のことだろう。それがこの句の優しさだと思う。殺意に溢れている一句だと思うが、実際のところは何の生命も奪ってはいない。ただ眼の前にあるのはぐしゃぐしゃの折り紙。この殺意は外へ向けられたようで、折り鶴さえろくに折れない自己への殺意だと感じた。
折り殺してしまって、鶴になれない折り鶴。その結果が眼前に転がっている。それだけ。


おびただしく兜蟹死に夏来る

「カブトガニの大量死は事実だったのだろう」と本書にある。
それでも夏は来る。おびただしく兜蟹が死んでも、地球は回り続けて止まらない。恐ろしい。


神々いつより生肉嫌う桃の花

確かに大昔では生贄儀式があったとよく聞くが、現代では全く聞かなくなった。それの理由を「非人道的だから」とか「文明の発達で」とか考えずに「神々が生肉を嫌うようになったから」と思うのは詩人の発想だと感じた。ただもし、世界の何もかもが神の考えのうちであるならば、生贄儀式を行わなくなったのも神の意志のひとつなのではないか。神とはなんだろうか。静かに開く桃の花。


火を焚くや狼のほろびし話など

もう滅んでしまった狼の、滅んだ話を火を囲んで聞いている場面だと思った。単純に絶滅した話を聞いている…と読む事も出来るが、火を囲んで神話伝承のような話を聞いているとも読めてくるのは「狼」だからだろうか。


入水して死ねぬ滝ありわれはゆかず

私も死にたいと常々思うが(これは病なので苦情は受け付けない。治療は毎月受けているので静観して欲しい)死ねないのなら生きようと思っている。ただ、それでも衝動的な希死念慮というのは容赦なくやって来るのだ。
私だって、入水して死ねない滝なら行きたくない。けれど行ったら飛び込んでしまうかもしれない。だから最初からそういう滝へは行かないのだと思う。(ちなみに”絶対に”死ねる滝というのは存在しないと私は思うのです。)


ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう

「二つの夢とは何か?」「何が全く違うのか?」と本書では触れられていたが、私は純粋に「二つの蕗の薹が二つの全く違う夢を見た」と読んだ。
どんな夢であったのかは蕗の薹たちに聞いてみないとわからない。
私は可愛い句だと感じた。


幮(かや)に寝てまた睡蓮の閉づる夢

「また」という事は繰り返し何度も見ている夢なのだろう。
私も夢の中でよく行く街や家がある。兜子にとってのそれが「睡蓮」で「閉づる」のだろう。幮(かや)の中にいるからその夢を見るのだろうか。どうしてその夢を見るようになったのだろうか。夢とは不思議だ。考えている内に、また瞼が閉じていく。


子の鼻血プールに交(まじ)り水となる

あ、鼻血だ。と思ったのもつかの間。鼻血はどんどん水となりプールの一部となる。この水とさっきまでの水は同じ水なのだろうか。少し怖いけれど清々しい。子の鼻血が交じっている事に気付くプールの人らはどのくらいだろう。私が知らない所で頻繁にこれは起きているのかもしれない。(子もプールもおそらくそういうものであろう)


さしいれて手足つめたき花野かな

「さしいれて」をどう捉えるか。
私は靴を脱いで花野へ横になった状態と捉えた。手足を花野へさしいれて横になってみた時に、地球が棺のように思えたのではないかと思う。そう考えてみると、手足がつめたいという感覚にも納得だ。なんだか生前葬のよう。私も試してみたい。




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