勝手にフォロワーの#2021年自選十句を呟く から十句。
表題の件について。
本当は全員書きたい気持ちでいっぱいなのですが、数を決めないと無限に終わらないぞ!と思ったので、十人十句に絞りました。順不同、敬称略です。
Twitterの仕様で検索かけても出てこなかった人や、リプライで直接この句好き!と伝えた方、noteを書き始めた時にまだ投稿されてなかった方は除いています。つまり、運です!
勝手に書くので勝手です。ご了承下さい。句をクリックすると自選十句ツイートに飛べるようにしました。
【2022.01.03 追記】「勝手に」なのでnote作成時点で相互フォローの方のみとしています。その点もご了承下さい。
酷く暑いと書いて「酷暑」。前略まで書いてみたものの続きも全部略したくなるほどの暑さ。
手紙を書くという行為、私は机に向かって手紙を書く段階に辿り着く迄の道のりの果てしなさに頓挫し後回しにしがちです。机に向かう迄が面倒くさい。それを乗り越えて「前略」までは書いてやったのだからもう良いだろう。ここまで酷暑だと逆に開き直ってしまいたい。頭も回らないし。という気持ちになりました。
何故この句が好きなのか、考えて気付いた事があります。この句を読んだ時に私の頭に浮かんだ映像は作者視点のクローゼットではなく、作者が覗いているクローゼットからの視点でした。
「龍淵に潜む」で龍が潜む暗闇が私の頭に浮かび「今日着る服がない」で、その暗闇を作者がパッと外から扉を開き、こちらを覗いているような感覚に陥りました。そうか、私は龍視点。服がないよと探す作者に見つからないように、龍は淵に潜んでいるのかもしれません。
一読して、私はヒヤリとしました。「都合よく使ふ友」であるかもしれない。
焼鳥は美味しいです。そしてとても手軽で、飲みに誘いやすい。そして焼鳥を口実にして、自分の話したい時に友を誘って飲んで話す。そういう関係。この友が同性であるか異性であるかでも違う「都合よく」の関係性が見えてくると感じました。女の子より男性の方が何となく誘いやすいですからね、焼鳥。飲みながら食べるとなると必然的に夜になりますからね、焼鳥。大人です。
「幽霊」が季語になるか否か問題は難しいので触れずに。幽霊を迎えるのにプラレールを並べる発想が奇妙で何となく惹かれてしまった一句です。
プラレールはおもちゃです。本物の電車でも道路でもありません。プラスチックで出来ているのでぬくもりもない。青いレールの上を偽物の電車達が一定のリズム・スピードでぐるぐると回り続けているわけです。それで「ゆうれい迎えます」なんて。プラレールでしょ、とは思うのですがなんだか想像してみればみるほど迎えられそうな予感がしてしまうのです。(ここまで書きながらそんな予感の理由についてピンと来た部分はあるのですが、あえて書かずにゆうれいを迎えます。)
恐らくコロナ禍の句なのかもしれないと思いつつ、個人的な記憶が浮かび共感に至りました。
抗がん剤治療の副作用により母は一時的に味覚がおかしくなりました。「おかしくなりました」と書くのは簡単ですが、結構めちゃくちゃな味覚でした。水が甘かったり、酸っぱい日もあったり。水って本来味が無いはずなのにね!水が不味い!と言っていたのが印象的でした。
副作用の強い治療が終了し、元の味覚に戻った母は「ご飯ってこんなに美味しかったんだ!」と喜んで食べて、食べすぎて太ったと言っていました。繊細な梨の味が正しくわかるようになれば、一安心。そんな記憶がアルバムを捲るように思い起こされる一句でした。
「喉奥に椿咲かせて泣く」って、どういう事!?と思いつつ妙にある説得力。花まるごと落ちる椿のように、悲しく、孤独に、けれどどこか恨めしく。
「喉奥に椿咲かせて泣く」なんて、そこまで泣く事ってあり得るのか?もしかしてそうやって泣いているのは、わざとそういう風に見せる為の演技では無いのか?咲いているのは結局、喉奥に"過ぎない"のではないか。等、想像がぐんぐんと広がっていきます。狂気的でありつつも美しく、素敵です。忘れられない「をんな」でした。
きらきらしたビー玉を「ルビー」と名付けてルビーとして扱う女の子が浮かびました。それは幼い頃の私でもあります。きっと女性は共感する方が多いのではないかなと勝手に思っています。本物のルビーは赤いけれど、たぶんこの「つもり」のルビー(ビー玉)は青いか薄緑なような気がします。
本物じゃなくても良い、私が満足して大切に出来るものならば。そんな気持ちに「秋麗」を感じました。
一物仕立てと捉えました。「立つやうで座すやうであり」、何の事を言っているのだろうと疑問に思っていたら出てくる「冷奴」に、ああー!とやられました。その視点は無かった。
冷奴という季語、「奴」という漢字が使われているのでたくさん擬人化して使っていました。主にムカつく人と取合せて。けれどこの句はその「奴」を、冷奴自体に向けている。冷奴自体が人間であるかのように。奴は立っているのか座っているのか、どっちなんだろう。どっちなんだろうと思いながら冷奴をただ見つめている視点。私が歳時記を作るなら、冷奴の例句にしたいくらい好きです。私もこういう句が作れるようになりたい・ザ・ベストイヤー、ノミネートです。
実は私、扇風機が苦手です。昔は今ほど苦手では無かったのですが、恐らく苦手になった理由は夏の暑さが年々酷くなりすぎて、扇風機程度ではどうにもならない場面が増えたからだと思います。
しりとりの「る」で攻められるのも、コイツ〜!と正直イライラします。と同時にる攻め出来る人ってすごいですよね。どうやったら毎回「る」で終わる単語を見つけてくるのか。頭の良さもですがその執念?のようなものもすごいです。それも含めて、やられるとイライラします。
もう出ないよ!「る」から始まる言葉!と思いながら、必死に脳みその中を探す。そんな時に扇風機の音がちょっかいを出してくる。もう、今考えてるんだから話しかけないでよ!そんな気持ちになっていきます。扇風機、静かに回っているはずなのに自分が集中してる時ほど五月蝿く感じるのは本当に不思議ですね。しかも、本当に年々夏は暑すぎて。よりイライラする事が増えたように思います。本当は扇風機のように穏やかでありたいけれど。
はい、発想が天才です。この句を目にしてから、もう蟷螂が神の折り紙にしか見れない状態に陥っています。美しすぎて罪深いです。この句の好きな所はこの十七音に全て詰め込まれているので私が色々と感想を言葉にするのも野暮であるとすら思っています。なので以下は余談です。微グロ・虫注意。
「蟷螂」の兼題が出てから…というより実は発表が終わってからYouTubeで蟷螂の動画ばかり見ていた時期があります。可愛い動画ではありません。蟷螂のお尻を水に浸けて、そこから針金虫がニュルニュルと蟷螂から出ていく動画をたくさん見ていました。それが、とても不思議なのですよ。ニュルニュルと針金虫が出ていった後の蟷螂は抜け殻のようになってしまうのではと思っていたのですが、普通にピンピンしていて、生きているのです。どの蟷螂も。勿論蟷螂を全身水に入れると溺れてしまうのですが、お尻だけ浸せば蟷螂は溺れずに生きたまま針金虫がお尻から出ていく。針金虫が出ていった後の身体も、問題なく動いている。それを見て、蟷螂の身体って一体どうなっているんだ!?どうしてあのなが〜い針金虫が生きたまま入っていたのに、出てきても弱らずにピンピンとしているのだ!?と、すごく謎でした。
そんな時に、この句が頭を過ぎったのです。そうか、蟷螂は神の折り紙なのかと。だからこの蟷螂は生きているんだなと妙に納得しました。ちなみに針金虫を出した後の蟷螂、ちゃんと栄養を摂れば普通に蟷螂として生活を続けられるそうです。本当にすごい。意味がわかりません。さすが神の折り紙。人間の想像の範囲を飛び越えていく折り紙です。
以上、十句でした。乱文長文お読み頂きありがとうございました!
●以下おまけ●十句に入れなかったけど好き句を検索機能で出てきたフォロワーさん全員の十句からそれぞれ好きな一句を選びました。感想無しでごめんなさい。検索機能あまり信用していないので、漏れがありましたら申し訳ないです。教えて下さい。こちらもリンクから飛べます。
宇宙から見えない蟻と象と我 たまのねこ(成吉思汗鍋も好き)
青空の濾過されてゐる泉かな 染井つぐみ(かかり湯も迷う)
烈風のめくる教科書沖縄忌 平良嘉列乙 (浴衣と迷う)
【2022.01.03 追記】#2021年の自選十句を呟く を使用していた方を追加しました。一言ですが感想を添えています。
蓑虫は孤独を選び空は青 月岡方円 (「選び」が良いです)
バッハ聴く月下美人の咲く夜更け 音羽凛 (とにかく美しい)
ひとりっ子最後の添い寝冬の夜 大神阿修羅 (子の成長と親の寂しさを感じます)
以上!ありがとうございました。
2022年も素敵な俳句を楽しみにしています!
(誤字脱字・俳号間違いありましたら修正致しますのでTwitterへご連絡下さい。間違えてしまった方々、大変申し訳ありませんでした。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?