苦しかった高校3年間
高校時代の記憶はあまりない。
貴重な青春時代の3年間のほとんどを「勉強」で埋め尽くした。
もちろん、成績を上げるため、良い大学に行くためではあったが、勉強を逃げ道にしていたのかもしれない。
なぜこんな生活をしていたのだろうか?
ひとつは、中学ほど簡単に点数を取れなくなったから。
中学校のテストでは、いつも難なく90点以上取れていたのに、高校ではそううまくいかなかった。
どの科目も優劣なく得意だと思っていたが、数学だけは明らかに苦手科目だった。
先生が教えてくれる内容は理解できるのだが、問題集の応用問題になるともう訳が分からない。
答えを見たって理解できない。
クラスの上位にいることが当たり前だった自分がそうでなくなるのは怖かった。
勉強ができることが長所で最大の武器なのに、それを失ってしまったらどうなるのだろうかというプレッシャーに押しつぶされそうだった。
5科目全てを理解しきるには、時間が到底足りないと焦っていた。
もうひとつは、クラスにうまくなじめなかったから。
女子が多いクラスだったので、いくつか女子集団があり、特に派手でにぎやかな6~7人のグループが苦手だった。
クラスのリーダー的存在ではあったが、高校生らしく見た目を着飾っていたり、それが原因で先生に怒られているところを見てしまうと、同じ扱いを受けるのは嫌だったので、できるだけ関わらないようにした。
学校行事にも協力的になれず、内心は「時間がもったいない」とさえ感じていた。
クラスの雰囲気も好きになれなかったので、高校での楽しい思い出作りは早々に諦め、とにかくひとりで勉強に打ち込んだ。
高校生活だけでなく、その頃の家庭環境にも良い思い出はない。
母と祖母は、毎日のように口喧嘩していた。
祖母は認知症を患っていたこともあり、とにかく被害妄想が激しく、「みんなで私を除け者にしている」といったような発言をいつも繰り返していた。
母と祖父の両方から悪口を聞かされる毎日が億劫で仕方なかった。
頼りになる姉は、高校からそのまま塾に行き、夜遅くに帰宅する毎日だったので、相談したり助けてくれる相手もいなかった。
家にいるのが嫌になり、家族と話さなくなった。
ひとりでは何もできないと思われたくなかったので、母が作るごはんには手を付けず、自分で簡単に作ったものだけを食べ、お弁当も毎日適当に詰めて自分で用意した。
片道1時間弱かかる登下校も、意地になって自転車で通学した。
授業が終わると、学校の自習室で飽きるまで勉強し、なるべくゆっくり帰る毎日だった。
親にはとても心配されていた。
でも、当時はその心配の声も鬱陶しいと感じ、とにかく無視し続けた。
好きではないクラスでも、学校で過ごす時間の方がまだましだった。
大学受験。
自分が進みたい道、学びたいことが分からず、ギリギリまで悩み続けた。
直前で進路変更もした。
第一志望には受からなかったが、何とか公立の大学に合格し進路が決まった。
やっと抜け出せる、一人になれる。
苦しみ続けた長い3年間が終わった。