言葉
最近ちょっと考えたことを残しておこうと思う。
言葉とか品とかって一朝一夕で身につくものじゃない。だからほんの一言でもその人の価値観や考え方が透けることがある。たかが言葉、されど言葉。昭和よりも暴力が絶対的にNGとなった今の時代、人を殺すのも救うのも言葉になっていると思う。そしてその傾向はSNSの拡大によってさらに大きなものとなった。今や身体に現れる暴力とかいじめとかではなくて、心を傷つけるような暴力が多く起こっている。それに危機感を覚える人は多くいるのに、なぜそういったことがなくならないんだろうか。
ちょっと話が脱線してしまった。とにかく、最近私が思ったのは言葉でその人の価値観や考え方が透けるなってこと。言葉遣いもそうだし、「いただきます」「ごちそうさまでした」を言うか言わないかとかもそう。じゃあそういうのは一体どこで身についてきたんだろうって考えると、小さい頃親に注意されたりとか周りの友達が使っていたりとかが影響して私の言葉は成り立っている。でもうんと小さいときの影響だけじゃなくて、最近知り合った友達の口癖がうつったり好きなアーティストがよく言っていることを言うようになったり、言葉は内面を映し出す鏡にもなっているんじゃないかな。「口下手で〜…言いたいことが伝えられなくて〜…」っていう人もいると思うし、私自身そういう経験があるけど、やっぱり知らず知らずのうちに言葉によって自分の内面が曝け出されているんじゃないかと思う。周りにいてくれる人は一生懸命伝えようとしてるのが分かるだろうし、中身を知ってそれでもそばにいてくれてるんじゃないかと思ってる。おこがましいのかもしれないけど。
言葉を取り繕おうと思っても、どうしてもボロが出てしまう。だからボロが出たとしても嫌な人にならないようにしていきたいし、今私の口から紡がれる言葉は、私が出会った全てのものに影響されたものだと思うから、親や友達、先生、sumika、sumika繋がりで出会った人、その他のアーティストなど私を作り上げてくれたものに恥ずかしくないような言葉を使っていきたい。素敵なご両親なんだろうな、とか、素敵な考えの人と出会ったんだね、とか思われるように気をつけていきたいと思った。まして、自分の言葉で大好きな人たちを下げるようなことをしたらダメだ。それだけは絶対にしたくない。
「この学校の制服を着ている以上あなたたちはこの学校の看板なのですから、それに相応しい行動をしてください。」と小学校のときに口を酸っぱくして言われていた。これは学校以外のすべてのことに言えてくるんじゃないかなって思う。私たちは生活する以上絶対なにかしらの看板となっている。「親の顔が見てみたい」とか言われるのは、相手が自分を通して親を見ているってことなんじゃないかと思う。
人を殺すも生かすも言葉だ。言葉にはそれだけの価値があり、それだけの責任が伴う。何を話して何を話さないかも言葉遣い。これからはもっと考えて言葉を使っていきたいし、美しい言葉遣いをしていきたい。
感謝と愛をたくさん伝えていこう。
なんてことをふと考えたので、文字にして言葉にして伝えてみました。最後まで読んでくださり、ありがとうございます☺︎
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