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第三歌集『鴇色の足』 奥村晃作鑑賞【後半】

現代ただごと歌の提唱者として著名な歌人、奥村晃作の歌集を第一歌集から鑑賞。第一歌集『三齢幼虫』、第二歌集、『鬱と空』に続き、今回は第三歌集の『鴇色の足』の後半となります。
本文末尾に奥村先生の「あとがきーわたしの歌の立場ー」も一部抜粋して紹介します。

これまでの記事はマガジン「歌人 奥村晃作の作品を読む」をご参照ください。

第三歌集『鴇色の足』 本阿弥書店 昭和62年

昭和五十九年(1984年)

雪山のてっぺん
膝付けて滑ろと言はれ右足に体重乗せしとき転倒す

東京の雪
「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか

鴇色の足
ポップコーン食べんと集ふ鳩たちの鴇色ときいろの足絶えず土を踏む

教室の子ら
沈黙に恐れをののく生徒らもわれも授業の時間の中で

感受性の嵐
書き仕事日に日に遂げて歌詠まぬ日々募りわが心危ふし
如何いかんとも処置なき心の鬱憂が詠ますわが歌悲鳴の如き歌
落ち込みて心の置処おきどらぬ日々友なしや耐へてわが生きんとす

緋牡丹白牡丹
球形の大き蕾はべにさしていまだ開くに間のある牡丹

白き吸殻
これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり

太平洋高気圧
独得の泳ぎであまり進まずに妻泳ぐ水から頭を出して
撮影の少女は胸をきつく締めぬのから乳の一部はみ出る
八月の陽ざしかひなに照り付けてベンチのわれはコカ・コーラ飲む
コカ・コーラ断然うまい炎天のプールサイドで飲む一杯は

三島は果てつ
日の丸の鉢巻締めて現はれしバルコニーの三島顔面蒼白
絨毯のはしに転がる首一つ三島の首をせし夕刊

珪花ラーメン
新宿の「珪花けいくわラーメン」脂濃あぶらこき汁、腰強き麺また美味うま

昭和六十年(1985年)

越の青空
幹を嗅ぐ如くにわれの足を嗅ぎ跳ねとぶよ雪の路に会ひし犬
積る雪降る雪もはやけぢめなき白の斜面を見つつ運ばる

奥村晃作の家
プッキーの声いちいちに抗議する隣のばあさん塀越しに叫ぶ
屋根の雪ドスンと落ちて「この雪はお宅の雪だ持ち去れ」といふ

春の草花
生々なまなまし黒き土の真赤なる椿の首があまたころぶは

父うへ上京す
父母ちちははを引き連れて科学万博の会場に向ふバスに乗り込む
夜の酒を思へば湯茶を飲めるかと八十歳の父ぞのたまふ
それほどと思へぬスイス館映像を讃嘆して父のまたしゃべり出す
階上のわが横に来て妻坐る階下のおしやべり親父おやぢ置き去りて
ああいまは娘浩子をつかまへてしやべりつづくるか階下の父は
躁病さうならずただうれしくてあのやうに父はしやべくる上京の父
「二十年ぶりの上京」みづからを繰り返し告げて機嫌よし父の
とうさんはディスニーランドも見たいつて」声を低めて母の呟く
三日目に声枯れ果てつ上京の父休みなくしやべりつづけて
風邪引いたオレはと喉にタオル捲き横臥よこふす父よしやべりすぎたのだ
サンシャインビルレストランのしやぶしやぶが思ひに深きか、父受話器の声

海岸の砂
清からぬ海なれど人ら押し入りて子をく父のその子声を上ぐ
岩石を墓場となせる貝たちが寄り合ひて岩石に固く付着す
富士山よりはるかに大きな雲ありてその下にまたあり富士ほどの雲

晩秋初冬
犬見つめ通り過ぎゆくオカッパの少女が次にわれの眼を見る

***
『歌集 鴇色の足』には奥村の歌の立場を記したあとがきが掲載されている。〈ただごと歌〉を理解する上で貴重な内容であり、一部抜粋してご紹介する。

あとがきーわたしの歌の立場ー

(前略)
 歌とは情の、感動の表現態である。情を、感動を一首の中に取り込み、封じ込めたもの、それが歌である、と考えるのがわたしの歌論であり、歌の立場である。
 ところで、その情を、感動を丸ごと摑み取って、微塵も損ねることなしに一首の中に取り込み、封じ込めたるための最善の方法は、きっかけとなった物や事を、出会いの現場において、つまり時空の座標軸の上に、正確に表現することであると、わたしは信じている。物については正確な描写を行ない、事については正確な叙述を行なう。〈正確な〉というのは、物・事に即しての素の、直の、直接の表現を目指すことであり、それは〈直言(ただごと)〉表現に徹することである。
(中略)
 わたしは生活人として、日常の折節の感動を一首の中に取り込み、封じ込めるだけであり、その感動たるや、ふつうの場合、取るに足らぬトリビアルなもの、つまり〈只事(ただごと)〉に見合う程度のものであるだろう。
 内容・世界における〈只事〉を〈直言〉表現で歌い上げるわたしの短歌は、正真正銘の〈ただごと歌〉である。
 一方、一点の瑣事を抑えて全体を語ることは可能である。また、ささいな、〈一揺れの情〉と〈心全体〉との間に軽重、差別のあろうはずはない。(後略)

『歌集 鴇色の足』奥村晃作 1988年 P240

***
『鴇色の足』は〈ただごと歌〉がほぼ確立した時期の重要な歌集とご本人も言われている。
あとがきの「わたしの歌の立場」を読んで見返すと、確かに、“きっかけとなった物や事を、出会いの現場において、つまり時空の座標軸の上に、正確に表現する”という作風が以前よりもさらに徹底されていることに気付く。

今回は、後半部分から好きな歌36首引いた。
「父うへ上京す」の連作が素晴らしく、流れと共にお伝えしたくてたくさん採ってしまった。おしゃべりなお父上について、媚びることなく淡白ながらもチャーミングに描写していて微笑ましい。
海岸シーンの歌も魅力的。奥村さん一家はよく海に行かれるようで、時代を感じる人々の活気や波のさざめき、海風の匂いまでもが感じられるような作品が印象的だった。
一方、明るい歌ばかりではない。精神的な苦悩を抱えつつ、歌世界に救いを求めながら社会生活を送る歌の連作は胸を打たれた。人間の作った枠組みである〈社会〉とその外側の〈世界〉を行き来する芸術家、歌人 奥村晃作の葛藤を感じ取ることができる。

あとがきの文章で私が重要だと感じたのは〈只事〉を〈直言〉表現で歌い上げることが〈ただごと歌〉であるということ、そして“一点の瑣事を抑えて全体を語ることは可能である。また、ささいな、〈一揺れの情〉と〈心全体〉との間に軽重、差別のあろうはずはない。”という言葉。
ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』の中でシッダールタ(釈迦)が川をじっと見つめることで世界の境地に達するシーンがあるのだが、それを思い出した。
奥村の短歌は瑣事=〈只事〉を歌っていながらも世界の境地に通じてしまう力がある。いわば細胞の一つ一つにDNA情報が全て入っているようなイメージに近いかもしれない。一つの〈只事〉に世界の全てが詰まっている。奥村はそれを掴み取る芸術家ならではの直観力があるのだと思う。それが穂村弘の言うところの「“王様は裸だ”と叫んだ子供のような素直さ」ということなのだろう。

次回は第四歌集『父さんのうた』を読んでいきます。


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