自己紹介 #3
まずは自分の事を語っておこう。この記事を書いている奴が何者なのかご紹介させて頂きたいと思う。バックボーンはとても大切、しばし自分語りにお付き合い願いたい。
パントマイムアーティスト 前田秀
パントマイムとバルーンアートの講師をしている芸歴15年目の現役パフォーマー。【自由・自立・選択】をモットーとし、【Smimeラジオ📻🎶】という配信番組を2018年1月より始め現在4周年目となる。有名テーマパークやアミューズメント施設、声優PVへの出演やTBS『SASUKE』の本選出場など様々な現場にて活動中。2018年から4度のソロ公演、出演、振付、レッスンなどパントマイムを通じて沢山の素敵なお仕事をさせて頂いている。
出会い
岡山県で産まれ小学校3年生までを過ごす。親の離婚から母と兄妹弟5人で母の実家のある佐賀県唐津市へ移住、中学高校と青春時代を過ごした土地はこちらなので出身は佐賀県と答えている。高校2年生の二学期の中間テストの時に聴き始めたラジオにハマり、様々な方の番組を聞くようになる。
当時一番聞いていたのは〚小森まなみ〛さんや〚林原めぐみ〛さん〚森久保祥太郎、中原麻衣〛さんなど、声優さんがやっている番組を特に聞いていたと思う。将来の目標やなりたい職業など何もなく人生の意義を見出せない中で、ラジオから届く言葉は希望と勇気に溢れていた。『夢+努力=現実』だと。周りの大人達の中で壮大な夢を語る人はいなかった。田舎の小さな町の中で初めて感じた可能性の道だった。自分は《ラジオパーソナリティ》になりたいと思った。
就職と夢
《声優》になれば《ラジオパーソナリティ》になれるかもしれない。そう思った自分はこれまでにはなかった行動力が一気に開花し様々な情報収集を開始。専門学校や大学などの道はそもそも財政難の問題より論外であった為、自立しながらもその目標に近づく為”養成所”という手段を選ぶことにした。養成所であればレッスンは週に一度だけだし、自分で仕事をしながらであれば支払うことの出来る許容額だ。たしか年間25万円とかそんなくらいの入所金だったと思う。
次に土地を選ぶ必要がある。養成所として目星をつけたのは聞いていたラジオ番組のスポンサーでもあった「日本ナレーション演技研究所」だ。通称日ナレと呼ばれるその養成所は東京、大阪、名古屋と3エリアにあり土日平日問わず開講していた。
自分の出身校である唐津商業高校に来ている求人の中にこのエリアに該当して寮生活も可能であった会社は三つあった。一つは左官屋さん、もう一つは鉄鋼会社、そして最後がトヨタ自動車だ。この選択肢なら当然トヨタ自動車一択だろう。お給料もいいし休みも多く、何よりネームバリューの響きがよい。先生にその旨伝えていたが募集枠は1名のみ、希望する人は自分も含めて3名いた。結果から言うと勉強もしっかり出来て、野球部に在籍しスポーツにも励んでいた井川くんに持っていかれ、自分は鉄鋼会社の求人に申し込むこととなった。
養成所時代
無事に就職を果たし高校卒業後、単身愛知県にて寮生活がスタート、それと同時に毎週土曜の夜に名古屋の養成所へと通う生活が始まった。細かく話すと長くなるので割愛するが青春真っ只中という日々だった。女性とまともに話すことすら出来なかった自分も気の良い同期のお兄さまお姉さま方に可愛がってもらい、一緒にオールでカラオケに行ったり泊まりで遊びに行ったりと非常に楽しかった想い出しかない。
その中で一応目指している声優という職業に関しても理解は深まっていき、このジャンルで成果を出すことの難しさを感じていた。《ラジオパーソナリティ》になるために声優を目指していたがどうにも演技というものはルールや型がわからない。講師はいたしレッスンは受けていたがそれで声優になれるとは到底思えなかった。そうこうしている内に自分は3年で仕事を辞め東京に出ることを決意する。20歳になっていた。
そして東京へ
東京に出てきた時は難民だった。間抜けなその理由も割愛するが家のない自分は東京にいる友人宅に荷物を送りつけ身一つで東京の地へと降り立った。そこから1年、日ナレ東京校にも通ったが楽しさを感じなくなっていた。声優を志して東京に来たもののまるで結果が出る気がしない。そもそも成長の実感が無いのだから。
演技というものは目に見える部分が少なく、技術や具体的な数値で上達を感じることが出来ない。練習方法と言われるものすら4年養成所に通っていたのによく分からず、どれだけ発声練習をしたところで声優にはなれない。今思えば自分の捉え方やアプローチの仕方次第でもっと有意義な時間に出来たのだろうと思うこともあるが、未熟な前田青年にはその奥深いところまでたどり着く力はなかった。
周りの人達がバカに見え、愚かに感じ始めたらイエローサインだ。間違いなく心がささくれ立ち、自身の狭い世界感に没入し始めた証拠だから。そんな中で一つ出会いがあった。養成所に通う同期の中に平井さんという男性が居た。彼がパントマイムをやっていると言い少し見せてくれたことがあった。これはキッカケだったと思う。
影響を受けた人
話は脱線しているようでちゃんと本筋を走っている。自分はラーメンズというお笑いコンビが好きだった。多摩美大出身のインテリで我々の世代であれば「爆笑オンエアバトル」というテレビ番組で彼らを知った人は多かったかもしれない。そのラーメンズの公演が演劇業界において革命を起こしていた。
自分が名古屋の養成所に居た頃にハタケさんというお兄さんからそのDVDを貸して頂きその作品と出会った。初めて見た時は衝撃だった、衝撃的に面白かったのだ。しかしそれは漫才やコントの笑いとは一線を画していた。
何もない真っ黒な舞台の上に黒い正方形の箱が一つ、そんなシンプルな舞台上において様々な世界が映し出される。演じる人物も場所も世界線も何もかもが変化し、「やられたっ!!」とその場でひっくり返りたくなるような衝撃的なオチが待っていたりする。どの公演を見ても面白すぎて養成所内ではブームになっていた。自身もどっぷりとその魅力にハマっていた。
パントマイムと出会う
そして、本筋に話は戻る。東京に来て悶々とした日々を過ごす中、ふとラーメンズの面白さについて考えることがあった。何故に彼らの作品はこんなに面白いのだろう、他の漫才などの笑いも面白いが自分がこんなにも魅力に感じてしまっている部分はどこにあるのだろう?と。もちろん複合的なものであることは当然だ。脚本の素晴らしさ、アイデアの奇抜さ、人物そのものの魅力、言葉遊びの痛快さ、これらも大きすぎる魅力の要因だろう。しかし、自分が最も注目したのはそこではなかった。
真っ黒な舞台上において、真っ黒な衣装のみで、小道具を極力用いずに、年齢性別問わず人物のリアルを演じる。自分はこの側面の面白さが【パントマイム】であると気づいたのだ。
ポイントはリアルであるということ、ラーメンズの小林賢太郎氏は「非日常の中に住む人の日常」を描いているという。この感覚がとても好きだった。パッとみると滑稽で不条理な世界なのだがそこに住む人にとってはそれが当たり前のことである。創作においてこの視点はとても重要で、自分がその世界感において予定調和を感じてしまうと表現に嘘が出る。
パントマイムにおいて嘘は最悪だ。ただでさえ無いものをあるかのように表現して存在しない空間の中に生きているのに、それを自分が感じられていなければ見ている人が受け取れるはずがない。この話を始めると長くなるのでこの辺にしておくが、要はパントマイムでリアルを演じていることがラーメンズの作品の面白さだなと思ったのだ。
修行時代
随分と長く語っている。まだ前田青年がパントマイムを始めるところまで辿り着いていない。まぁ、人の人生を語りはじめたらそんなに短い文章ではいられない。いろんな出来事と出会いが偶然に奇跡のように重なり自分をこの場所へと導いている。というわけで長々と語って来たが、実際大事なのはこの導入の部分だ。即ち ”なぜ芸事を志したのか” であり ”なぜパントマイムを始めたのか” ということ。
パントマイムに興味を持った私はその後【スーパーパントマイムシアター SOUKI】というチームの門を叩く。レッスン生として2007年より通いはじめそこから11年お世話になることになる。
パントマイムを始めた理由は前述したような出会いがあったからだ、声優というジャンルで勝負していくことに違和感を覚え、パントマイムというものの面白さに出会うキッカケがあり、当時は声優の養成所とSOUKIのレッスンの同時に通っていた。そして、半年ほど両方に通いながら自覚したことは自分は成長の実感が感じられるジャンルでないと続けられないということだった。
名古屋にいた頃は友人との交流や初めての社会人生活の中での養成所通いは心のオアシスになっていたが、東京に来てからは夢を追っていることの焦りの方が遥かに増していた。そんな中でSOUKIのレッスンは筋トレやストレッチ、ウォーキングにバレエなど、体作りの基礎を徹底的にやっており、そこに妥協はなかった。そしてテクニック練習に入ると難しいながらも、やはりやればやるだけ自分が上達していくのを短い期間でも実感できたのだ。
何故パントマイムだったのか
今回の自己紹介はここまでにしておこう。すでに4,000字も書いてしまっている。その後パントマイムを始めたことにより様々な非日常を経験させて頂いた。やればやるほど難しさも奥深さも感じられ、何よりやり甲斐を感じていたのだ。”喋りが上手くならないなら(演技において)喋らなくてもいいや”と思った。
そして、最初に決めた《ラジオパーソナリティ》になりたいという目標も一向にブレていなかった。ある日新宿駅に降り立った時にこう思ったのだ。この駅を一日に何万人もの人が利用している(※調べたところ驚きの350万人以上だった)。この中に声優や役者など演技でプロを名乗っている人は1000人や2000人ざらにいるかもしれない。
しかし、パントマイムでプロだと名乗れるくらいまで研鑽を積んだ人がいるだろうか。もしかしたら、自分一人になれるかもしれない。ならばこのジャンルで自分が何者かになることができればその先に自分が言霊を持って語ることの出来る未来があるかもしれない。手段は変わるが目的地は同じだ《声優》ではなく《パントマイムアーティスト》として、自分が自分の人生と経験を持ってラジオから発信する側になるのだ!と。
これから
もともとは声優を目指していた自分がパントマイムをやっていたお陰で声優の小野大輔さんや谷山紀章さんのMVに出させていただいたり、朴璐美さんと現場で共演させて貰ったりと、あのまま声優を目指し続けていてもきっと会えなかった方達ともご縁させて頂くことが出来た。
これは何と言うか、ご褒美みたいなものだったと思っている。そしてそれ以上に、現在も沢山の応援してくださる方々のお陰でパントマイムアーティストとしての活動を続けさせて頂けていること、それが何よりも奇跡のようなことだろう。
嬉しくも沢山のお手紙を頂く中で自身の活動が誰かの人生に少なからず影響を与えているのだと感じられる。学校に行けるようになったとか就職活動を頑張ることが出来たとか新たなチャレンジを初めてますとか、最高じゃないか。
これからもパントマイムを通じて自身が経験したこと、葛藤や悩んだ日々をひっくるめて面白おかしく語り届けたい。自身の作品も様々な経験が根底に流れるテーマとなっている。あの日ラジオを聞いて進むべき道を決めた青年がいたように、誰かの歩む道を照らし続けられたなら本望だ。