シナイ山で日の出を見てから、全身性エリテマトーデス(SLE)で入院するまで
私がSLEで入院したのは、今からもう20年以上前になります。つらつらと振り返って書いてみます。
某通信社東京支局で英文記者として働いていました。同業人と縁あって結婚して、ハッピーではあったのですが、彼は遅番シフト、私は早番シフトが多く、寝不足になりがちでした。
最初の結婚記念日の3か月くらい前、1人でイスラエルとエジプトのカイロを巡るツアーに参加しました。ツアーの一つの目玉は、シナイ山に登ること。夜に出発して歩き通して、吐く息が白くなる頂上近くで見た日の出のことは忘れられません。そのときの写真が無いのが残念です。(上と下の写真はポートランドで撮った初日の出)
その帰り道、来た道を戻ったかどうか記憶が定かではないですが、日が昇るにつれて日光が強くなり、紫外線をまともに浴びました。
そのせいなのかどうか。帰国してから、風邪をひきました。
なかなか治らない風邪。微熱が続きます。何だか変だな。仕事帰りにクリニックによってお薬を処方してもらいました。
一週間たっても一向によくなりません。咳も出てきました。でも、マスクをして仕事をしていました。(こう書いていて、今のコロナ禍の状況だったらあり得ない行動していたと気づきました。)
そしてある日。出社してきた私の顔を見て、上司が一言。「家に帰って休むべきだ」
よっぽど顔色が悪かったんですね。
そう言われてホッとするまで我慢を続けていた私は大バカ者でした。
私の身体はそれまでにも何度かSOSを発していたのかもしれません。室内履きの健康サンダルを履いていて、あるとき足の裏がものすごく痛くなったこともあります。それ以前には、手首の関節が痛くなり、パソコンの使い過ぎかと思ってみたり。そのときは調べてもらってもリウマチではないと診断されましたが。
体の不具合があってもSLEの診断がつくまで、何年もかかる人がいます。(Lupusサポートグループの月例ミーティングで「診断つくまで7年かかりました」っていう人がいました。)
さて、仕事を休んで家で寝ていても、一向に良くなる気配はなく・・・フライパンが重くなって持てない、プルトップの缶ジュースのフタも開けられないという状況になりました。
検査機関から電話がかかってきて、その頃に受けた尿検査の結果蛋白尿が出ていると知らされました。+3だと。異常。その翌朝、トイレに行って気づきました。色がおかしい!
あれ?これって、まさか血尿ってやつ?
入院しなくちゃ。入院して、治療しないと死ぬかも。そう思いました。
(続)