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メルティングポット社会からサラダボウル社会へ

■ 多様性尊重

ダイバーシティーの概念が生まれた歴史について。
多様性尊重とは、人はみな、その存在価値において等しくて尊い。
さらに人はみな違うからこそ尊いという認識に立つ考え方ですが、 そもそも日本では多様性というものを考える機会がなかなかなかったのではないかと思います。
北海道にはアイヌ民族の方がいらっしゃって、そして沖縄琉球地方には琉球民族の方がいらっしゃってという人種というか民族の違いということをなかなか意識する機会なく生きてきているのではないでしょうか。
同化政策によって文化の違いがほぼないに等しくなっている今、 日本は島国で単一民族だと思っている方だって少なくありません。
そこがまずダイバーシティー概念が生まれたアメリカの歴史と大きく違うところだと思います。

■ ダイバーシティー概念とメルティングポット社会

長い間アメリカはメルティングポット 社会だと言われてきました。
人種や文化の異なる人々がポットの中で ぐつぐつ煮て溶けてメルティング、混じり合っている社会。 メルティングポット社会では人々はそれぞれの独自の文化や言語を尊重し維持するよりは、むしろ独自性を捨てて多数派に溶けて 混じることを求められてきました。
多数派というのは、アングロサクソン、 そして男性、健常者、ヘテロセクシャルの価値観に同化することが求められたということです。
お鍋の中にはたくさんのポテト、少しのお肉 、一本の人参、一個のトマトが入っているとしましょう。ぐつぐつと煮込まれた それぞれの食材は溶けあっていて、人参とかトマトもう元の原型を とどめてはいません。
味も人参やトマトの味はよくわからない。なんと言っても一番量の多いポテトの味が支配的です。
このようにメルティングポット社会では、人種的少数派は、多数派に同化することで、初めてアメリカ人として認識してもらえたわけです。
アフリカ 系もアジア系もイタリア系もみんな、自分の子供にはアングロサクソン系の典型的な名前をつけることで、子供たちがアメリカ社会で生き残り成功することを願いました。
先住民族はその独自の言語信仰生活様式を捨てて、白人を模倣することで初めて生存が許されたのです。
しかし1950年代に始まった公民権運動に代表されるアメリカの社会変革の大きな運動は、60年代70年代にメルティングポット社会が、実は 白人社会への同化を要求してきたことを指摘して、新しい価値観を反映した社会の理念を追求していくこととなりました。
差別や偏見 そして盗獄されたり、また殺されたりということを繰り返しながら、それでも 諦めずに運動は続いて今はサラダボール社会と言われるように変容したわけです。

■ 多様性を尊重する社会への変化

メルティングポット社会からサラダボール社会へ。
個々を尊重する社会へと変わったという歴史です。
公民権運動という自分たちの人権尊重を要求する人種のマイノリティ、女性、障害者、性的マイノリティの人たちの長年に渡る運動の末、獲得することができた概念、考え方だということをぜひ知っておいていただきたいと思います。


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