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私の妊娠、出産・・・膣が避けちゃった16年前の話

私には

育ち盛りの高校1年生と

中学2年生の息子が二人います

今日はそんな私の息子、長男の妊娠、出産の話


私が初めて妊娠したのは

16年前のこと


そのころ大阪に住んでた私は

スポーツクラブでインストラクターをしてました


妊娠5か月まで現場で働き

その後事務仕事に変わり9か月まで仕事をしてました

ずっと運動をしてたし

マタニティスイミングに通ったり

妊娠中は特に問題もなく過ごせてた


ですが

16年前は

今のようにマタニティさんのためのレッスンも少なく

インターネットも携帯もまだまだ普及してない時代


全く妊娠についての情報もなく

本当に妊娠について無知だったんです


近所の産婦人科医にいけばいいやと思ってたし

ちょっとあれっと思うことがあっても

誰にも相談できず

病院の先生に言われるがまま

(へその緒が首に巻き付いてるねとサラっと言われたことがある

次の検診までは不安でたまらなかったなぁ.

その時にこの先生、なんか嫌だなって感じたんだよね

でもそんなこと言ってはいけないと思ってた)


小さく産んで大きく育てよう

そいうのが流行ってた?時期だったのか

まだ、予定日より6日早いのに

祝日だからという病院の都合で

計画分娩で出産をしたの


あれよあれよと出産が進み

赤ちゃんが準備できないまま進んだ出産

赤ちゃんも私も準備できてなかったのか

3時間の分娩で

赤ちゃんがポーーンと

飛び出してきた


私は膣が避け

何度も縫い直しをして

我が子と一緒に過ごせず

何時間も一人で分娩台の上で過ごした

(おかげでわが子を産んだ痛みより、膣を縫う痛みが辛くて

看護婦さんの腕を握りしめて耐えてた思いでのほうが強い)


それでも我が子が無事に生まれてきてくれた喜びで

いっぱいで

出産の痛みや

何故あんなに避けてしまったのか

疑問にも思わず

当たり前のように過ごした


病院からは何のお話もなく

看護婦さんからは

『なんであんなに避けちゃったんだろうね・・・』

と言われたまま退院


その後のケアもなく

赤ちゃんのお世話の日々に追われる


赤ちゃんと母子分離の病院だったので

母乳のリズムもわからず退院した私は

その後、乳腺炎になる・・・

今、こうやって書くと

散々だよなぁ

よく何ともなかったなぁと


もともと妊娠前も妊娠中も

運動してたから回復も早かった


でも

マタニティのインストラクターになって想う


もっといいお産ができたのではないか

今なら

膣が避けた理由もわかるよね

乳腺炎になるわけもわかるよね


赤ちゃんが無事産まれてきてくれたら

それだけでいい

そう思ってたし

そうなんだけど

自分の体なのに

人任せで産んでしまったことを後悔してる


自分の息子に

自分の出産の事を実はきちんと話せてない自分がいる


自分が産まれた時に

母親の膣が避けて大変だったなんて

言えなかった

でもいつかきちんと伝える

私が無知だったこと、息子を急いで産んでしまったこと

それでも息子にあえて嬉しくて幸せだったこと)


今は情報もあふれていて

病院の体制も素晴らしい

そして何より、妊婦さん自身が

色々、選択できる時代です


それでも

妊娠中の体のことって

あんまりわからずに出産してしまい

産後も自分の体で変わったことがおきても

誰にも言えない


そんなことがまだまだあるんです

(例えば、尿漏れや膣ならとか)


だからこそ

妊婦さんたちに伝えたいことがある

自分のお産だから

自分も赤ちゃんも幸せなお産であってほしい


私のように

あまり人に話せず

自慢できないお産ではなく


ずっと幸せだったお産を

語りつづけられる

そんなお産であってほしい


私のレッスンは

エクササイズだけではなく

妊娠期の体のこと

産後の事をお伝えしながらのレッスン

(ちょっと話が多い)

自分の体を知り、感じる時間です

次回のオンラインマタニティエクササイズ・・・4/3(土) 10:30~11:30






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