英語が道具だということに気がついたのは小1だった。
その昔、英語を初めて間もない頃
「英語は道具」「英語を使って何をしたいのかな?」と先生と話す機会があった。
私が英語を習い始めてから少しあと世の中はwindows98で盛り上がっていた。
98年頃になると英語学習が進んでいてアルファベットに対する苦手意識はなく
URLのwww.から始まるなが〜いアドレスを打ち込む作業を楽しんでいた。
周りの友人からインターネットで調べ物を頼まれると喜んで没頭したものだった。
彼らはただ単に打ち込むのが面倒というのが実態だったのかなと振り返り思う。
当時、同世代の仲間やもっと上の世代のなんとなくインターネットがわからなくて
怖い世代から頼まれてホームページを訳しているうちに彼らとのコミュニケーショ
ンが生まれていた。
最初の問いかけに答えると当時は
「道具としての英語」=「友人とのコミュニケーションとしての道具」だった。
その価値観が変化したのは父の仕事の都合で10才の時ヨーロッパに訪れた頃だ
「YES~」「NO~」で運命の分かれ道みたいな行き当たりばったりの旅だった。
「4ヶ国語旅のおとも」的な本を持って右往左往したものだ。
変化というのは「友人とのコミュニケーションとしての道具」から
いかにして異国の地で自分の欲しいものをゲットするか。
いかにして日の暮れる前に宿泊所に到着するかなどなど
すごく「実践的なコミュニケーションとしての道具」に変化した。
学問としての英語から実践的な英語、趣味としての英語、楽しむ英語。
どれを英語学習の目的とするかは人それぞれだけれど、私は今は趣味としての英語
学習を楽しんでいる。
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