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ウチの子 発達障害!?vol.36~40

vol.36「決まった友達はいません」

 私は息子に「学校で休み時間は何をしていたの?」とよく尋ねる。低学年の頃はドッジボールや鬼ごっこに参加していたようだ。でも4年生ぐらいからは、「一人で工作していた」とか、「寝ていた」と答えることが多くなった。5年生の初めの頃は、6年生のドッジボールに参加していたこともあった。帰宅後は相変わらず、宿題の後にゲームや工作など一人で遊んでいることが多い。ゲームで通信プレイをするため、たまに女の子が遊びに来ているぐらいだ。
 普通ならこれでいいのかと心配するのかもしれないが、私は無理に遊びに行かせたり、遊んでもらうために子ども達にお願いしたりはしない。それでも1年生の頃は、近所の子ども達とも仲良く遊んでほしいなぁ…と思って外で遊ばせたこともあった。でも、子ども達の息子を見る目に違和感を覚え、遊ばせることはなくなった。子ども同士でのかかわり合いがないと、母親同士のかかわり合いもなくなりがち。でもそのために子どもを利用したくはない。
 私が初めて集団生活をしたのは幼稚園の年中の時。その頃から「女の子の輪」の中に入って行くことが苦手というか、嫌いだった。その輪から外れている子としゃべったり遊んだりする方が楽しかった。一言で言えば「変人」かもしれない。でも少し頑張って輪の中に入っても、たいてい失敗する。だから息子も、無理して輪の中に入らなくていいと思う。いつも誰かと一緒でないと行動できないような人間ではなく、自分のやりたいことは自分で決め、他人に流されない。そんな人間になってほしい。(2013.9.26)

vol.37「思い込みで疑われたくはない」

 9月最後の木曜日、学校での出来事。5年生の息子が、3年生の子をピアニカで叩いたのではないかと疑われた。息子はやっていないので、皆の前で先生に聞かれた時に「やっていない」と答えたそうだ。周りにいたほとんどの子が「やっていない」と言ってくれたらしいが、中には「やったんじゃないの?」と言う子もいたらしい。すぐに隣のクラスから「ぼくがやりました」という子が出てきたので、その子と隣のクラスの担任と息子と担任の4人で3年生の教室まで行って、やった子が謝り、息子は自分がやっていないことを伝えたそうだ。
 息子にとっては早く忘れたいイヤなことだったかもしれないが、疑問に思い、詳しく話を聞いた。3年生を叩いた子とは背格好も名前も全く違う。それなのに3年生に特に知り合いもいない息子が疑われるとは、ショックだった。その日、たまたま別件で担任から連絡帳に書き込みがあったので、私は「全く悪くない息子が皆の前で疑われ、なぜ3年の教室まで行かなければならなかったのか?なぜ3年の担任は息子の元へきちんと謝りに来ないのか?」と書き、息子に持たせた。
 金曜日、帰宅した息子に尋ねたところ、3年の先生が教室に来て、真面目な顔で5回ほど謝ってくれたそうだ。息子はイヤなことを早く忘れたい人なので、先生に謝ってもらうのもイヤだったかもしれない。でも私は「間違いだった、ごめんごめん」で終わらせてほしくなかった。
 息子が疑われた理由も分かった。3年の被害を受けた子が、「5年生のお兄さんにピアニカで叩かれた」と言ったそうだ。この中に私達の姓が含まれている。聞き間違いから始まった、とんだ災難だった。(2013.10.31)

vol.38「通級も5年目…」

 年に3回ほど、通級指導教室の懇談会があるのだが、最近新しい顔ぶれも増えてきた。私は入学当初から在籍しているので5年目。同じく5年目の方と「知らないうちに私達、古株ねぇ」なんて話をしつつ、本当に時の流れを早く感じている。
 通級指導時間帯が同じになった低学年の子のお母さんと話をすることがたまにある。子どもの様子を聞いていると、音に敏感だったり好き嫌いがはっきりしていたり、一つだけものすごく興味のあるものがあったりで、「純粋で面白い子なんだろうな…」と思うが、学校生活では担任に理解されづらく、扱いにくい子どもになってしまっていることが多い。
 かつて息子も先生から扱いづらい部分ばかりを指摘されて、私も何度も辛い思いをした。低学年の頃はただ謝るばかりだったが、最近は息子のことを理解してもらうために、私も言う時は言うようにしている。子どもたちにものを教える立場の先生には、息子のような理解されづらい子どもにもきちんと対応してほしい。そうすることですべての子どもたちにとって、教室は安心して過ごせる場になると思うから。
 扱いづらいと言われ続けてきた息子だが、来年は通級指導回数を減らすことになりそうだ。周囲とのかかわり合いの問題が減少し、個人的な問題に移りつつあるのだ。面倒がってなかなか進まない勉強についてどうやってやる気を出させるのか、授業態度をどうやってもう少し良くしていくのかなど課題も多いが、こういった個人的な問題は、先生よりも親である私が考えていけばいいと思っている。
 こんな息子だけど、不思議に人を惹きつける魅力も持っているようだ。私も彼の一言に元気をもらうことがある。彼なりのやり方で、問題を乗り越えていってほしいと願う。(2013.11.28)

vol.39「子どものことには自信が持てなくて」

 小学校恒例、12月の個人面談。今回、息子の担任の先生に言われたことは、「お母さん、もっと自信を持ちなさい」だった。ここのところ息子は、生活面でもほとんど問題なく過ごせている。嬉しいことなのだが、いくら褒められても素直に「嬉しい」と思えない私の心の中を先生に見透かされていたようだ。これまでいつだって、悪い出来事を聞かされてきた。「他に何か原因があったのでは?」と返しても、「だけど、あなたの息子が…」と言われ続けてきた。そんなことが何年も続くうちに、息子のことをどんなに褒めてもらっても、喜べなくなってしまった。先生の「褒めてやって」という言葉がどうしても素直に受け取れず、言われた通りに息子を褒めてみるものの、心のこもった言葉には程遠い。
 私は今でも子どもが集まる場へ息子を連れて行ったり、参観に行ったりするのが、ものすごく嫌だ。息子の言動を子どもや保護者達から「おかしい」と思われたり言われたりするのが辛いし、その度に説明することにも疲れた。そういう思いをすることはずいぶん減ったが、今でも息子のことをよく知らない子ども達と集まったり出かけたりするのは気が乗らない。これも私が自信を持てないからだと思う。
 今までにいろんな保護者と出会ってきたが、「うちの子、〇〇ができるようになった」と嬉しそうに話す人が、憎くてたまらない時期もあった。やっと息子もできるようになって私が同じように話しても、見下されているように思えて悔しかった。これまでの経験が重なって、私は子どもの話をするのが嫌いになってしまったのだ。こうして心の内を書き出しても、私が自信を持つことには、たぶんつながらない。(2014.1.30)

vol.40「褒めるところがないというのなら」

 早いもので息子は4月から6年生。通級の先生と来年度について少し話をする時間があった。通級の先生はいつも、「良いところを伸ばしてあげたい」と言ってくれる。私もそう思っている。できないことを頑張ることは、他人から見ると格好良く見えるかもしれないけれど、本人にとっては辛いこと。私自身、できないことを頑張れない人だったから、息子にも「好きなことを頑張ればいい。できないことはそんなに頑張らなくていい。」と言っている。
 発達障害の子どもを持つ親には、親自身が子どもの頃から優秀だった人もたくさんいて、発達障害のわが子のことを「褒めるところがない」と言う人もいる。優秀な自分を基準で考えたら褒めるところがないかもしれない。できない人の気持ちなんか理解できないかもしれない。でも優秀な頭を持っているのだったら、できない人がなぜできないのかを考えてくれたらいいのにと思う。それができなくて「褒めるところがない」と言うのでは、本当に優秀とは言えないと私は思う。
 また、わが子のことなのに思考回路がおかしいという感じのことを平気で言う人もいる。発達障害の子どもを育てながら、「自分の人生、こんなはずじゃなかった」といつまでも思っていると、いつまで経っても何も変わらない。私が見てきた優秀な人は頭の中が知識でいっぱいで、人の話を聞き入れる余裕がないように思う。私は自慢じゃないが成績は中の下、これといった特技も何もないが、頭の中に隙間があるので人の話は素直に聴くことができる方だ。これを読んで、「あなたに私の何がわかるの?」とお怒りの方もいるだろう。私には何もわからない。ただ、そんなあなたとかかわるのはすごくしんどい。(2014.2.27)

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