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ウチの子 発達障害!?vol.66~70

vol.66「感覚過敏と発達の関係」

 発達に凸凹のある子どもは、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が過敏だったり鈍かったりという特徴を持っていることが多いという。息子が小さい頃は、視覚過敏により、次々に視界に入ってくるものが気になって動き回っていた。また味覚過敏により、食べ物の好き嫌いも多かった。現在、視覚過敏の方はほとんど気にならなくなったが、味覚過敏はまだまだ続行中だ。
 食べ物の好き嫌いが多いと、周囲から「しつけがなってない」「わがまま」「贅沢だ」などと言われることもある。それが嫌で無理に食べさせようとした時期もあったが、涙目になってモグモグしながらも飲み込めない息子を見ていると、かつての自分を見ているようで悲しくなり、そこまでして食べさせなくてもいいと思った。
 そんな息子でも、今では私の身長を超えるほど大きくなった。確かに栄養バランスは悪いけれど、どれだけ健康に気をつかっても、病気になる時はなるのだ。もう偏食を気にするのはやめた。(2016.8.18)

vol.67「争いから得るもの」

 夏休み前の面談での話。息子と隣の席の女の子が、授業の度に言い争いになって、ついに他の先生から苦情が出たので席を変えた、と担任が話してくれた。私も息子から、毎日文句を言われてケンカしていることは聞いていた。先生も何とか折り合いをつけて収まるのを待っていてくれたようだが、ダメだったらしい。
 数々のケンカの原因の中で気になったのが、小テスト後の息子の採点が遅いと言われたこと。相手の子は息子の要領の悪さに苛立っていたようだ。要領が悪いことは本人も分かっていて、どうにかしたいけれどどうにもならない。彼なりに頑張っているが、ある程度仕方のないことでもあるのだ。その後、相手の子も人とのかかわりが下手だと耳にして、そうかもしれないなと思った。
 このような経験は悪いことばかりでもない。いつも言われっぱなしだった息子が相手に言い返せるようになったし、腹が立っても手を出すことはなかった。当たり前のことかもしれないが、発達についてどうのこうの言うより大事なことだと思う。(2016.9.15)

vol.68「夏休みも鉄道!!鉄道!!鉄道!!」

 今年の夏は久しぶりに帰省せず、家族で一泊旅行に行くことにした。一度はリニア鉄道館を訪れてみたいと思い、行先は名古屋に決めた。他に行きたいところを息子に尋ねたら、名古屋城でもなく東山動物園でもなく、「名古屋市営地下鉄に乗りたい」と言う。名古屋市営地下鉄には「上飯田線」という全長わずか0.8kmの日本一短い路線があるそうだ。上飯田-平安通の1駅のみを結ぶ路線だが、上飯田から名鉄小牧線と相互運転していて、連絡が可能となっている。息子はどうしてもそれに乗りたかったのだ。
 そこで旅行初日に市営地下鉄に乗りに行ったが、どうも何か不満な様子。聞くと乗った車両のことだった。上飯田線は名鉄小牧線との相互運転なので、ほとんどが名鉄の車両で、上飯田線の車両は1日数本しか走らないのだ。というわけで翌日、チェックアウトまでの時間の合間を縫って、午前中最後の上飯田線車両を目指して平安通駅に行き、地上に出る小牧原まで乗車した。思う存分写真撮影もできて、息子はとても満足な様子だった。
(2016.10.20)

vol.69「私も心配される子どもだった」

 いつも息子の発達について心配しているが、かつては私も親に心配されていた。ずいぶん前に母親から「小1の家庭訪問の時に担任の先生から、体育の時間にみんなと違う方向へ行ってしまって一人鉄棒で遊んでいた、と言われてショックだった」と聞かされたことがある。その時の記憶はないが、他のことで自覚症状はあった。
 私は4歳頃から中1の終わり頃まで、長時間じっと座っていることがとても苦手だった。授業中はいつも体のどこかが動いていたし、集会の時などに先生の話を聞いたりするのはかなり辛かった。
 今でもそういう癖は残っていて、誰かと食事しながらおしゃべりしている時には、ストローの袋やおしぼりを必ずさわっている。気になっている人もいるだろうが、指摘しないのはその人の優しさだと思っている。
 息子に私のすべてが遺伝しているわけではないが、療育センターで初めて発達検査を受けた時、結果を見ながら「まるで私のことだなぁ」と思った。と同時に、根拠はないが「まぁ何とかなるだろう」とも思ったのだ。
(2016.11.24)

vol.70「特徴を自覚し、改善につなげていく」

 前回、「根拠はないが、まぁ何とかなるだろうとも思った」と書いた。なぜあの時そう思ったのか、思い出してみた。私は小さい頃からよく「記憶力が優れている」、「余計な一言が多い」と親から言われていた。10歳頃までは「そうかな?」と思う程度だったが、小学5、6年から中学生の頃には少しずつ理解できるようになった。記憶力が優れていると、好きな教科については勉強に時間をかけなくてもテストで点が取れるので、苦手な教科に時間をかけることができた。「余計な一言が多い」というのは、いろんな人から「生意気だ」と度々言われたので、その通りだったのだろう。
 何が言いたいかというと、そういった特徴を幼いうちは親、大きくなれば自分自身で自覚することが大切だということ。自覚がなければ、病院へ行っても療育へ行っても、自分と周囲との関係はいつまでも改善できないが、自覚があれば意識して改善することができる。そしてもう一つ、自覚した後に自分を嫌いにならないでほしいことも、大切なことに付け加えておく。
(2016.12.20)

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