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ウチの子 発達障害!?vol.26~30
vol.26 「子育てエッセイに相応しくなくても」
満のメンバーに勧められ、このエッセイを書き始めて2年が過ぎた。当初は辛いこともあるが前向きになろうと自身を励ますために書くつもりで、酷い内容でも最後はきれいにまとめて終わろうと考えていた。しかし実際は過去の苦しみを書いても書いても忘れられず、思い出してはまた苦しむ…の繰り返し。前より明るくなったと言われることもあるが、実は今も前向きになれない。だったらこの際、心の中の黒い部分も出していこうと思うのだ。
虐待されて育った私は、息子がかわいいと思えず、日々世話をするだけで精一杯だった。他の子どもと何かが違うと気づき始めた生後半年頃、周囲の母親達が「夜中の授乳が減り、楽になった。」と言っているのに私は夜中に何度も起こされていて、妄想の中で息子を殺してしまいそうな時期があった。発達が遅れていると言われ幼稚園へ入れてもらえなかった時には、「あんたを殺して私も死ぬ!」と何度も泣き叫び、息子に暴力をふるった。息子を否定されるのは、私自身が否定されるより辛くて耐えられなかった。そんな状態の中「二人目は?」と聞かれ、何度拳を振り上げそうになったか…。その後、私達を救ってくれた人達と出会うのだが、それがなければどうなっていただろう。
子育てが楽しい、子どもがかわいいと言える人が本当に羨ましい。愛情に飢えて育った私には、愛情というものが今もわからない。守ってくれるはずの親に守ってもらえなかった子ども時代…。自分の成育環境が育児に悪影響を及ぼすと知っていれば、結婚も出産もしなかった。こんなことを考える度、苦しくなる。(2012.10.25)
vol.27 「子どもがダメなのは母親がダメだから?」
先月、久々に息子への怒りを爆発させてしまった。算数の宿題プリント、全て習ったものばかりなのに「わからない」とやる気なさそうにしていたことにイライラして、冷静に宿題を見てやることができなかった。何度も怒鳴り、時には手を上げ、鉛筆を折り、最後にはプリントをゴミ箱に入れ、息子を放って先に寝た。分かっているのに怒りを止められなかった。
息子が成績優秀で性格も良い自慢の子どもだったらどんなに子育てが楽しいか…と夢みたいなことを何度も考える。でも実際は、息子にこんな仕打ちをしてまで厳しくしつけてきたのに、発達が遅れているだのしつけが悪いだのと、否定ばかりされるのだ。息子の困った行動やダメなところを見たり聞いたりする度、うちの子だけ何でできないのかと悔しくて涙が出る。「子どもがダメなのは母親がダメだから」と言われているようで、子育てどころか生きていく自信がなくなる。
どの子も同一に平均的に発達していくわけではないのに、その平均から少し外れただけで、なぜこんなにも苦しまなければならないのだろう。「みんな違っていて当たり前」と言いながら、なぜ違っていることをまるで悪いことのように否定され続けなければならないのだろう。「大人にとって都合の良い子」ばかりが重宝される社会では、息子も私も肩身が狭い。
(2012.11.29)
vol.28 「冬休みの宿題」
今回の冬休みは、実家へ帰らず自宅で過ごした。実家へ帰らない正月は久しぶりだった。正月の間、旦那と息子は二人でオンラインゲームばかりしていた。
休みといえば、いつも通り宿題を見てやらなければならない。ゲームばかりさせて宿題をほったらかしにはできない。算数のプリントには息子の大嫌いな割り算があった。やり方を忘れていたので一から教えた。四捨五入も何問かあったが「どうやるんやったっけ?」とか言ってるし…。でも前よりはできていて怒鳴ることなく終わった。
もう一つの漢字プリントは休み明けにテストがあるので大変だ。「あまり早くやると忘れるから。」と言うので最終日の朝から取り組んだが、50問中10問ほどしか書けなかった。なのでこの機会に、冬休み前にごまかしていた宿題の漢字も覚えさせた。夜には何とか40問ほど覚えたので、「頑張ったらできるやん。」と褒めたら、辛かったのかこたつの中に隠れて泣いていた。
そして冬休みが終わり、学校から帰ってきて「今日の漢字のテスト全部書けた。」と嬉しそうに報告してくれた。書けたと言っても点数はどうだか分からないが、一生懸命覚えたうちの70~80%ぐらいは忘れずに覚えておいてほしいなぁと思う。春からは5年生。勉強もだんだんと難しくなっていく。
(2013.1.24)
vol.29 「損だなぁ…と思うこと」
学年が上がるにつれて学校でのトラブルは減ってきたが、最近は順調だと思っていると、担任から電話がかかってきたり、通級で迎えに行った時によくない出来事を聞かされたりする。でもその内容をよく聞いてみると、元々は息子が原因ではなかったのに、気持ちをうまく切り替えられなかった息子が人や物に八つ当たりすることで、最終的に悪者にされてしまっていることも多いように思う。
先生はよく「他の子どもはできるのに…」といった言い方をするが、気持ちの切り替えが難しいのは発達障害やその疑いのある子どもにほぼ共通していること。曖昧な言葉がけのせいで子どもにうまく伝わらずトラブルになっている可能性だってある。こう書くと「教師が35人の子どもを一人で見るのは大変。」と言う人もいるだろうが、私は息子を特別扱いしてほしいとお願いしているわけではない。曖昧な言葉を使わずポイントを押さえて指導すれば、クラスでのトラブルは減らすことができるだろう。子ども達に短い言葉でわかりやすく伝える方法なんて、通勤途中にでも考えられるのではないか。
息子のような子ども達は、人の言うことを聞いていないように見えて、案外よく聞いているし理解している。おまけに私達が本気で訴えているのかどうかについては、もっとよく分かっている。「あなたのため」という都合のいい言葉を、私達が本当は「自分のため」に言っていることは、誰よりもよく分かっているのだ。最後に誤解のないように書いておくが、息子は私とは正反対の穏やかな男である。(2013.2.28)
vol.30 「普通の生活ではないけれど」
2月に息子の10歳の誕生日を迎えた。長かったような短かったような10年だった。
思えば生後6か月半で息子がつかまり立ちをしたあの日を起点に、「普通」からかけ離れた生活が始まった。気付けば周りの子ができているのに息子にはできないことばかりが目立ち、母親同士でお互いの子どもの成長を楽しむこともできなくなっていった。幸か不幸か今はそんな状況にも慣れてきて、いろんな人の我が子自慢も前ほど気にならなくなった。しかし息子が発達障害かもしれないのを知っているだけで詳しいことは知らないくせに「今後何か才能が芽生えるかもしれないね。」なんて言われると、一発ぶん殴ってやろうかと思うことはある。
この10年で辛かったことは、息子を受け入れ拒否した教育関係者が多かったこと。教育者が、都合の良い子どもだけを選別して受け入れて何が教育だ。発達障害の子どもを邪魔者扱いして排除しておいて、子ども達に「差別をなくそう」とは言えないはずだ。いじめが起こるのは、教育者が多くの子ども達の前で「できないこと」を非難し、努力が足りないと言うからだと思う。できないことは誰にでもあるはずなのに…。まぁ優等生と呼ばれて生きてきた教育者には、できない人間の気持ちは分からないのかもしれない。もちろんすべての先生がこういう人ではないことは理解した上で。
息子は相変わらず面倒なことはやらないので、毎日のように私と「宿題は?」、「ない。」、「ほんまやろうな?」の会話の繰り返し。こんなことがいつまで続くのだろうか。
「普通」でないことは苦労が多く嫌なことも多いけれど、「普通」じゃなかったから素敵な人に出会えた、「普通」じゃなかったから経験できて自分自身の勉強になったこともある。こんなこと書いてもただの負け惜しみか。でも、素敵な人に出会えたのは本当です。(2013.3.10)
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