ウォークマンと初めて出会った日
ゴトンゴトン、ゴトンゴトン。
高山本線を国鉄ディーゼル急行列車が重い車体を揺らしながら走って行く。その姿はある種、走り疲れたバッファロー、野牛の様である。
車窓の景色にはサザンオールスターズの曲が軽快に流れている。
僕は大学一回生。飛騨高山でのバスケットボール愛好会、夏休みの合宿に向かっている。
発売されたばかりの「ウォークマン」が「流れゆく景色に音楽を付けている」のだ。鳥肌が立つ様な斬新な体験。SONYはやってくれた。そう僕は思っていた。1978年の夏の事である。
「Oh!クラウディア」が流れる。「栞のテーマ」が流れる。感涙ものだ。
中学・高校と神戸の男子一貫校に通った。大学も国立の経済学部。女子の数はいたって少ない。
中一から始めたバスケも七年目になるが、同じコートを女子選手が走り抜ける姿を見るのは初めてだ。眩しすぎる。
僕はある種の、思春期の興奮を覚えていた。これから1週間、バスケットボール愛好会「コンドル」の男女メンバーで昼夜を共にするのだ。
合宿は、夏休みで空いている地元の中学校の体育館を借りて行われる。昼ごはんを挟んで午前と午後、バスケ漬けである。
夕方、民宿に戻り、風呂に入って、宴会が始まる。毎晩毎晩。
女子の先輩からお酒を勧められると、一回生の僕らは断れない。ただでさえ、異性と話す機会が今まで無かったのだから、断る理由も無い。「いちびり」の精神も首を擡げる。
結果、日本酒を浴びる様に飲む事になる。
宴会後、昼間の熱気がベールの様に纏わり付く真っ暗闇の外に出て、先輩方の命令に従って、僕ら新入生は民宿前を何周も全力疾走する。どれだけ酔いが回っているかも分からぬまま。
僕は民宿の階段を駆け上がり、二階の真っ直ぐに伸びた廊下をダンクシュートに向かう様に猛ダッシュ。その先にもう一つ、階段があるとは知らずに。
僕は思いっきり階段を転げ落ち、階段の下で「大の字」になり、思いっきり吐いていた。
一つ上の男子の副キャプテンの先輩が、「僕の吐いた跡の始末」を全てしてくれた。僕には全く記憶が無い。
先輩は僕の荷物から真新しい着替えを出して、僕を着替えさせ、蒲団を敷き、寝かせてくれたのである。
そこで、僕はまた、「日本酒混じりのゲロ」を噴水の様に吐いた。
全て、その先輩から後で聞いた話である。
エアコンも異常気象もインターネットもスマホも無い夏。でも、僕らは底抜けに楽しく、エネルギーに満ち満ちていた。
毎朝、二日酔いで朝食を摂る時、岸田智史の「きみの朝」がラジオから流れていた。
僕は幸せだった。