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⑥私が手術台の上で『みなさん、よろしくお願いしま〜〜す』と大きな声で言った日の前後のはなし=その⑥

手術が無事に終わりました。
「先鋭部隊私チームのみなさん、“よろしく“を受け取り頑張って下さって、ありがとう」

吐き気と頭痛と痛みで翌朝を迎えました。ICUから病室に戻ります。
お腹を切ること自体が初めてだった私はこの日から開腹手術後の大変さを身をもって知ることになります。

看護師をしている友人からのアドバイス「術後の痛みは我慢しない。痛みを我慢すると治りが遅くなるからね」
この言葉を胸に痛みに弱い私の自分に甘い痛みを我慢しない術後生活スタート。

とにかく苦痛しかない時間

心電図、酸素吸入?たぶん、痛み止めの点滴、その他点滴、尿管、ドレーン(※注1)などにたくさんの管に繋がれ、いつまでかは忘れましたが「動かないでください」と寝返りも出来ない時間が続きます。
痛み止めの副作用で激しい頭痛、激しい吐き気を訴える→痛み止めを軽くする→痛みは増す→点滴をやめて服用、座薬に変える→何時間後まで服用ができない時計を見て過ごす→痛みを我慢(痛みは我慢しなくていいと友達が言ってくれたのにだ笑)。。苦痛しかない。痛い気持ち悪い一切動けない。。
この時のストレスが4年経った今も私の中に大きなストレスとして残っていて、ある種のトラウマになっています。

心身共の大きなストレスに、こんな表現はいけないんでしょうが、
この状態が終わるまでそのまま寝かして欲しかった。と何度も思いました。

(※注1)ドレーン
肝臓で作られた胆汁は胆嚢に貯められ、食事の度に消化を助けるため一気に十二指腸に排出されます(食事タイムに合わせるとか人体の不思議)、貯水タンクである胆嚢が無くなってしまったので、肝臓で作られた胆汁は十二指腸に随時流れっぱなしになります。お腹の中の状態観察?濁りなど?胆汁の状態を確認するためにおへその10センチぐらい右側に穴を開け管を通し、胆汁を体の外に排出し貯める袋を数日つけるための管。


そんなこと出来る訳がない

病室に帰った翌朝に?「レントゲンを撮りますねぇ」と移動式の大きなレントゲン機材が病室に持ち込まれ、私が体を移動させ→ベッドに大きな板を置く→私がその上に寝、撮影。するという壮大なことを簡単に説明を受けました。

「無理だったらいいですよ」(無理だったらいいとならそれ今、必要?)
一応、大人ですので試みる。
とっても痛い。悶絶。
身体に力が入りません。
痛みで力の入れ方も分からない。
断念。

「今日から歩く練習をしましょう」
歩行器あっても出来る訳ない 笑
昨今、手術後はなるべく早く、何なら一刻も早く動きましょう!!という風潮がありますが、歩ける人は歩きましょう 笑
私も大人ですので一応行動に移すジェスチャーはしました。 無理です。
翌日は10メートルくらい?頑張りました。

手術翌々日になって私は気が付きました。
内臓を切るということは、内臓の外側にある筋肉も切っているということ。
皮膚の下に内臓があるわけではない。という10歳ぐらいにも理解できている事実。
気がついたというより、主主治医に言われて、はたと気がついた(遅)
「そりゃ痛いですよ〜、筋肉を断絶してるんですからぁ〜」

筋肉を断絶。。
キ・ン・ニ・ク、ダ・ン・ゼ・ツ。。
そうか、そりゃ痛い。
納得!!今頃納得!!(遅っ!!)

みぞおちから銭湯で牛乳(フルーツ牛乳瓶)を飲む時、腰に手をやる“あれ“をした時の人差し指の先辺りまで続く大きな切開です。
まさにお腹の真ん中の筋肉をダンゼツした事実。今更。

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これは術後2日目昼のランチ。
これ術後一食目。バナナくらいは食べられたのかな??
それにしても、愛が感じられない悲しき食卓。


個室最強

病室に帰って来てからの長く感じたストレス時間、周りを気にしなくてもいいことが唯一の救いでした。
過度の心身苦痛を持ちながら、相部屋で過ごすストレスたるや想像もできない。
私の性格上、そんな状態で周りに気を使うのもしんどいし、ここは個室で!と贅沢をして良かった。(手術内容が決まってから、加入してる医療保険の入院手術給付金を計算して、よし個室でいい!と決めました。保険大切

個室のいいところ、、
痛みがひどい時など座薬とか頼むのも気を使わない(術後オムツで過ごす期間もありました。当然ながら浣腸もベッドの上でされます)、深夜早朝にビニールガサガサしても、家族が来てくれても、友人がお見舞いに来てくれても気兼ねがいりません、動きたいように動き、周りの音を気にせず寝たい時に寝る、エアコン温度調整自由自在、術後初シャワー上がりに保湿シートパックをしながら自撮りシャカシャカ撮ってもよし、毎食の記録を食べる前に写真におさめるとか、ポリープ発見から手術までの日々を思い出し急に泣いたりしても平気笑、私が入院したお部屋はお湯も出る洗面台があったので本当に助かりました蒸しタオルとかし放題、同室の人のしんどいタイミングに迷惑をかけなくて済むことが何より精神衛生上、二重丸。

手術を受ける場合、個室を強くお勧めします。心から。保険大切←二回目

私は他人に対してあんまりイラついたりしない方の人です。
周りの何かにイライラしたり、あんまり人の行動でムカついたりしない方の人。(あんまり、あんまりと重ねるところが怪しい)

ですが、入院中(特に痛みと不自由さに精神がやられている時)一人だけいたガサツなタイプの看護師さんが検温後、何でもカートみたいなタイヤがついてるコロコロ荷台の下の段に使用済みの体温計を放り投げる時に聞こえる金属音に心底イラついてました。なんで?放り投げる。それも毎回。
このガサツなタイプの看護師さん、ずっと休んでいて欲しいとさえ思っていたし、

病院の正面玄関の車寄せに駐車したままの車がある時だけ病室のスピーカーから聞こえるナンバープレートの番号と至急移動お願いの院内放送に“またか!!停めるな!!“と、恨みにも似たイラつきを感じていました。本当。

通常なら何か事情があるのかもしれない、この看護師さん穏やかな気持ちでお仕事できてないんだろうか、、と寛容に受け止めることができるモノも、しんどかったです。特に音。
この2案件が術後の痛み以外で私のしんどかったツートップ


2016年6月22日
レントゲン無理です。
歩けません。
キンニクダンゼツに気付く。

2016年6月23日
朝から10メートル歩く。
久々の食事はカレイの干物。
午後には座って歯磨き、顔を蒸しタオルで拭く(家族の介助あり)。
痛み止めの座薬回数一回のみ快挙!

2016年6月24日
朝、管が1本のみになる。最多時8本。
午後には最後の1本も取れ自由の身(祝)
微熱はまだ続いているが、快方に向っていると医師団。
トイレに一人で行けるようになる。(看護師さんたちが褒めてくれた。頑張りましたね!!すごい!)
看護師さんが体を拭いてくれている時に自分の腹部を初めて直視、それまで怖くて見れなかった、大きなテープに覆われていてどこからどこまでが手術痕なのかがはっきり分からない、看護師さんに大体の長さを教えてもらう、想像していたけど、想像より現実は大きな手術痕で改めてショック。
何年も掛けて咀嚼し、何年も掛けてこの現実を受け止めて行くしかない。(4年経ったけどこの咀嚼はこれまでずっと続いて来たし、これからも続いて行くと思う)

2016年6月25日
恐る恐るの初シャワー。
傷を覆っているシートに水が入りビビる(まだまだ傷の下はすぐ内臓をイメージ)
シャワー後、お腹のシートを貼り替えてくれた看護師さんに「綺麗な傷ですね」と褒めてもらう。(だった筈が、ケロイド体質であったようで未だに悩まされている傷痕、もう4年)
手術に使用した糸は溶ける糸で真皮縫合で縫ったと知る。
真皮縫合の意味がわからずネットで検索、綺麗に縫ってもらえて良かった〜と喜ぶのも6時間後ぐらいに、その糸いつ溶けるのよ!?ちゃんと傷がくっついてから溶けるん?と、急に不安になる(まだまだ傷の下はすぐ内臓をイメージ)
病棟内を3周歩く、えらい!!

今日はこの辺りで、まだ続く。

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