巫覡(ふげき)と脳

神様や仏様との媒体のことです。彼らが経験することは、もしかして私たちがもっと脳を使えば、誰しも体験できるものではないかと思われます。

さて、ものの本には巫覡の巫は女性で覡は男性だとあります。神仏は実体がないし、普段お話しできる存在ではないので、こうしたmediumが必要なわけですな。

平安時代、藤原家の全盛の基礎を気づいた藤原兼家には専属の巫女がいました。打伏巫女(「うちふしのみこ」、あるいは「うちふしのかんなぎ」)と言います。賀茂の若宮を憑依させて託宣を行いました。このとき、神に我を明け渡し、トランス状態になり、ぱたりと倒れて託宣するのですが、このとき太政大臣兼家は自分の膝を枕にすることを赦したそうです。それで、打伏(うちふし)の名が付きました。

憑依させるってどういうことかと言うと、自ら聖なる存在の器になることです。自他の境が無くなり、いつもと違う感覚が目覚め、時空を超え、物理的存在を越え、目の裏にこの世ならぬ像を結び、それを説明する。あるいは声を聴いてそれを伝えると言う。ええ?それって、ヤバいものやってんじゃね?みたいに考える方がいると思います。この感覚に近いことを体験して説明してくれる脳学者がいます。

ジル・ボルト・テイラー博士です。

神と呼ばれるものが何なのかは分かりませんが、この世のあらゆる分子のレベルにまでつながる瞬間が、神・仏を体験することになるのではと考えたりします。左脳が司る言葉が「我」と周囲世界との境になります。巫覡はいったん左脳の働きを止められる人なんじゃないかなぁ、と私は考えています。なので打伏巫女はぱたりと倒れたのかなと想像しています。フルバージョンだと、スピ系の人々から「よくぞ説明してくれた。私たちの体験に近い」と言うメッセージをもらったと話されています。

ところで、ニルバーナを天国って訳してるけど、ちがうんじゃね?(これは私の左脳に宿る翻訳者の世界だ (笑)

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