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私とサッカー⚽️大学時代〜スタート〜


いつもありがとうございます♪


前回記事はこちら



そして、ただいまお送りしてます

私のサッカー人生⚽️

こちらの

高校時代(後編)



その続き

大学時代編へと入っていきたいと思います👍


大学時代はまた一段と色んな事がありましたので、

いくつかの投稿に分けてお送りしたいと思います。

本日は『スタート編』です♪



話に入る前に


これから大学時代の話を振り返っていくわけだけれど、本当に激しい波がたくさんありました。

中にはもしかしたら過激な話もあるかも?しれません。


今の自分なら、もっと過去を上手く乗り越えられたような気がしますが、当時は本当に深みにハマっていきました。


ある意味例えるなら
トンネル時代に入ったのが
大学時代だったのではないかと思います。


しかしながら、
すべてのことに意味があり

その過去があったから今がある

こうして振り返る中で
過去をより消化していってるような気もしています。



この投稿を進めるにあたって
写真を探したり
中に出てきた
後輩たちからの卒業ビデオをみたり

色んなモチベーション映像をみたり

残ってるものや今は手元にないものもありますが、色んな過去を思い出しました。



卒業DVDの頭に流れていた
卒業ソングから


懐かしく思い出しました。


新たな道へ進むと決めたあの日
一歩踏み出す事が
怖くて寂しくて…


そして今、またその何かを感じながら、

大学の頃の記事を書かせて頂こうと思います。





進路選択



前回、高校時代の記事で
私は高校でサッカーを引退する予定だったと書きました。


なので、大学に入るまでの流れを添えます。



高校選手権で怪我してキリ良く引退。

そのはずだった…



高校で最後にする!



そう決めると、
秋から冬にかけての全日本選手権にも出たくなったんですね。


足の痛みもなくなってきたから、
最後、その全日本選手権で


サッカー人生に幕を閉じよう。


そう思って出場したわけですが、

その大会に出てしまっだか故に

私の中の成長欲求にスイッチが入ってしまったんです。

悔しさともっと上手くなりたい思いと

このまんまじゃ、まだ終われない。


そんなスイッチが入ってるのと同じくらいのタイミングだっただろうか?


とある大学からのお声もいただいて、そんなお声もいただけることがありがたかった。

そうなると、
やっぱり

まだサッカーしたい✨


大学でも…

そんな思いが強くなって


進学校で、国公立の進学を望んでいた親や先生を説得して、色んな約束を結んだ上で


大学でサッカーをする道を選択し始めた。


県外に行きたかった気持ちもあった。


でも、親との約束の中で選んだのは

県内でも強くて有名だった
吉備国際大学へと進学することに決めたんです。


吉備国にはスカウトされて入るメンバーが多い中で、
私の場合は、普通に受験して入りました。


そして、親との約束で

授業料減額免除で受かること❗️

(減額といっても、国公立と比べたらお金はかかっちゃいますからね…)


その条件を満たし、吉備国へと進学が決まりました。


(受験で5キロ以上太ったとかは内緒ね💦笑)


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遅れたスタート


がしかし、

それはもうすでに、

2月頃だっただろうか?


サッカーとは関係ないところで、進路を決めたものだから、サッカー部の情報は何も知らなかった。


でも、私の実家は新見で
大学は高梁

車で1時間もかからない距離。

練習へ顔出してみたいと思っていたけれど
行く手段がなかった。


私たちの高校は自動車免許は就職組以外取ることは許されなかったから
自分で運転していくことはできない。


電車で高梁まで行けても、そこからグランドまでの手段がない。


そして、その時、父は肩を怪我して
手術入院をしていた。

そんな忙しい中、母に送ってもらうこともできない。


とりあえず、卒業式を終えて
原付の免許を取得し


兄が大学を卒業する年だったので、
引越しの手伝いに行き
兄が使ってたバイクをもらうことになり

そのバイクが届くのをずっと待っていた。

待っていたのだが…


そのバイクが家に届くのは入学頃になるんです。

一度、3月中?にあった大会で
前の総社のチームに混ざって試合に出たときに
会場で吉備国の選手達がいて、

そこで、


『春からお世話になります!』

と挨拶をした。

そこで、急遽、
服のサイズとか
番号とか連絡先とか
写真撮影とかする事になったわけです。


そう、私は知らなかった。


その年から吉備国がなでしこチャレンジリーグに参入していたという事を。

すなわち、リーグの開幕が早いという事を。


だから、通常よりも色々な準備が前倒しになっていたのだ。


そして、
他の同級生達は既にチームに合流していた。


合宿もしたりしていて…


私がチームに合流したのは

入学式を終えた
その後の練習からだった。


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コミュニケーションの壁



入学式の日、
サッカー部は一つに固まって座っていて、
私はそこではなく、学校は違うけど久々にあった地元の友達と合流する事になる。


つまり、その日から私は

サッカー部とは違うグループのメンバーでの関わりが始まった。


中学時代のエピソードにもあったように
私はコミュニケーションが得意ではなかった。


できた輪に入っていくのは苦手だった。



周りがどんなに話しかけてくれても
私の中にある壁が大きくて


人に心を開き切ることができなかった。


今だからそう言えるが、

ほんと遠慮してるような
一歩引いてるような

凄く気を使った感じでしか
人と関われなかった。


常にどこかに何か


申し訳ない…

そんな気持ちがあったような気がする。


そう、
その時私は、
大学は実家から通っていて、


つまり、高梁に家はなく


部活で朝練がある時は

朝練から授業までの間に
みんなが順番に家のシャワーを貸してくれた。

でも、
それがもう

遠慮せんでいいとか
気使わんでいいとか
楽にしたら

と言われるんだけど

なんか
それができなくて

申し訳ない…

が増えてたんだ。


みんな優しかったんだけど、ほんと。


(今の自分は、その時と比べたらかなり図々しいくらいだ😂笑)




引っ越し


そんなこんなで、
朝練で朝早ければ
夜練終わって

電車の本数がないから
乗れる電車は終電。

いつも帰りは深夜0時

それなのに、朝練があれば6時には家を出る。


授業中は、1年スタート早々から睡魔との闘い。


大学にロッカーとかなかったから
その日の全部の授業の教科書と
練習の荷物。

そんな重い荷物をパンパンに学校中を持ち運ぶ。


朝練後はシャワーをかりたり

帰りは遅いし

身体を休める間もない。


かと思えば、
練習後にみんなが色々やってるのにも参加できない。


その生活は1ヶ月でキツかった。

そして、

引っ越す事にした。


高梁での一人暮らしだ✨


一人暮らしになって
時間がたくさんできた。

練習と授業の合間もだし、

授業と授業の合間にも家に帰る時間がある。


ゆっくり過ごせるし
一人の時間もとれる。


とても有意義だった。


そして、
夜は友達と遊ぶ時間もできたり
色んなことができるようになった。




一人での葛藤



でも、
サッカー面では

遅れたスタートと
受験で鈍った自分の身体


周りは名のある高校から来てたり
先輩達ももちろん上手い


そんな中での遅れたスタートはなかなか大変だった。


やるしかない‼️


早くこの遅れを取り戻して、
絶対にレギュラーになってやる‼️‼️‼️

そんな中で過ごすも

やはり、サッカーでも上手くいかない

練習で飛んでくる声は怖い。

自分を出せない。


コミュニケーション上にあった遠慮は
プレーの中にも出る。

自分がどんどん小さくなってる。


でも、コミュニケーションがとれない。

相談できる仲間もいない。


自分の中で、消化できない
どうしようもない思いがパンクして

自分が壊れそうだった。


何度一人で涙を流しただろう。

親にも言い出せなかった。


だって、
自分が無理を言って
サッカーやりたいからって

吉備国へ行く事にしたから。


だから、弱音なんて吐けなかった。


誰にも相談できなくて
全部自分の中で抱え込んだ。


本当に苦しかった。


あの時、吐き出せる場所があったら
相談できる仲間がいたら
もっと早く立ち直れていたのだろう。


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嵐が通り過ぎた❗️笑


そんなある日、
突然、サッカー部のメンバーの何人かが

私の家に押しかけてきた。


先輩とタメと混ざって…

あまりコミュニケーションがとれなかった自分の家に押しかけてきてくれたんだ。


突然でビックリしたけど
その日のことは
今でも頭の中に映像として残っている。


そして、
その時そんな先輩に憧れたんだ。

一瞬だったけど嬉しかった✨

その時の自分にとって特に。


そして、
みんながご飯会とかしてるのきくと

内心自分も行きたいって思ってたから

部活以外の場で
仲間と関われるって
最高じゃん✨って。



いじられキャラ


でまあ、
自分って何もネタとか持ってないわけで


ただ、終始笑ってたというか

ツボが浅かったわけだけど

後に、そんなツボの浅いメンバーが集まるゲラ会というのができて、すぐ笑うから笑い堪えるのが大変だった😂笑


すぐ笑うし、
つられても笑うし


そんなんで
発言もよくわからんし

関西から来てる人のような
面白い話はできないし
オチのある話もできない。


話しは真面目な話しかできなかった。


けど、なんかどっか抜けてるらしく


いつしかいじられキャラが定着した。


けどまあ、度を超えてることもあったけどね。


でも、今色んな場を踏んで思うけど

自分から何かできるわけじゃないから

年上年下関係なく
いじられるくらいでちょうどいい✨って
最近思ってる👍


そのくらいノリで
パンパン言ってくれる方がおもろいし、
自分も人いじるというか
ちょっといたずらするのが好きだったりする😝


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(これをみたらいじられ具合も分かるのではないかと…笑)




努力がもたらしたもの…



少し話しはそれたが、
色んな葛藤の中も

それでも、
もっと上手くなりたかった❗️


親への恩返しのためにも
応援してくださってる方々のためにも
活躍したその姿で
恩返ししたかったんだ❗️


遅れを取り戻して

そして、トップでの試合に出れるように…


だから、人の倍、何倍も努力しなきゃ…

そう思ってた。

練習も行ける時は早く行って走り

練習後も残ってボールを蹴り

チームの筋トレメニューも必要以上にやった。

これでもかってくらい…



だけど、

だけどね、

それで私が得たものは


疲労の抜けない身体
動きの鈍った身体


そしてさらには、

怪我をしやすい身体

になってしまったんだ。。。


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悲劇は起こった


そして、ことは起こった…



大学1年の終わり、2月の後半のことだった。


来年の新入生達も練習に来る頃。

先輩になる年になって


そして、
私自身もよっしゃ、これからだ‼️


そう思って張り切っていた。


そんな練習試合の日のことだった。

私はその練習試合のアップ中にその場から立てなくなったのだ。

忘れもしない、あの瞬間。


その時、

1対1+フリーマンをしていた。

私は攻撃側でボールを持っていた。


その目の前の相手をかわして、
縦にゴー❗️

しようと思ったその瞬間

脚に力が入らなくて
踏ん張れなくなって
そのまましゃがみ込んだ。


音が鳴ったわけでもない、

ぶつかったわけでもない。

捻ったわけでもなければ

本当に何もなかったんだ。


ただ、私はそのまま
脚に体重をかけることができなくなった。


そして、
練習試合も出れないままに
その日が終わったのだ。




突然の手術



次の日病院に行ったら

半月板の損傷にプラスして
軟骨が剥がれている事を知らされた。


その軟骨が剥がれてしまったが故に
それが引っかかって
体重をかけれなくなったのだろう。


ただ全てが
運良く、検査もその日のうちにすべてでき、すぐに手術ができる事になった。


3日後に手術をする事になった。

だから、

病院に行った
次の次の日に入院して
その次の日に手術。

剥がれた軟骨再生のために
骨にドラミングで穴を開けた。
その穴の再生とともにできる
薄い骨の膜が
少しでも軟骨の代わりになれば…


ただ、そのドラミングをしてるが故に
約1ヶ月ほど体重をかけてはならず


松葉杖との不便な生活と

リハビリの生活がスタートする事になった。





今日はこの辺りで、
そんな『リハビリ生活』からは
次回の投稿へ回したいと思います👍




それでは、


今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます😊

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女子フットサル選手
金森彩加
現在、夢と色んなおもいを持って挑戦を続けている。
2018-2019シーズンにスペイン🇪🇸へ単身で渡り、一度帰国する事になったものの、再びスペインへと挑戦を決め歩んでいる。
怪我との葛藤も多く、『引退』が近いことも医者に宣告されながらも、なおかつそれを乗り越える方法を探し、可能性を導こうと歩んでいる。
それはきっと、夢を諦めたり、自分を否定したりしてる、また同じように怪我で諦めようとしてる、そんなあなたに届けられるものがある!と信じています。
『可能性は無限大∞』
『道は必ず切り開ける❗️』

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スペイン🇪🇸との架け橋✨金森彩加
女子フットサル選手。過去の経験から今がある!ことに感謝して、夢に向かって歩んでいます!そんな私の活動を応援していただけたら嬉しいです✨