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メディアあれこれ 14 ネット社会を「落ち着いた社会」に

<本稿は2003年1月開催の日経ネット会議における発言をもとに再構成したものです。まだスマホも無いガラケーの頃の論です。今、個人的にはコンビニやスマホの恩恵におおいに浴していますが、ここでの視点は持ち続けたいです。>
 
消費資本主義を論じる松原隆一郎氏は、「コンビニエンス・ストアや携帯電話は、戦後日本経済の到達点なのだ。だが、それは本当に誇るにたるのだろうか。・・・消費は、かつて百貨店に出掛けることがもっていた非日常性ないし「輝き」を喪ったのではないか。」と書いています。 (『消費資本主義のゆくえ』ちくま新書、2000年)

『文明の海洋史観』(1997年初版)の川勝平太氏は、「美の文明」論を展開しています。21世紀に日本が目指すべき文明は「美の文明」であり、「力の文明」からの転換こそ今必要なパラダイム・シフトだと説いています。 (『「美の文明」をつくる』ちくま新書、2002年)

私は、20世紀の力の文明は「落ち着きのない社会」をもたらしたという気がします。その象徴が松原さんの言う、消費資本主義の行き着いた先としてのコンビニと携帯(電話)でありましょう。

ITは、たとえば、あらゆるところで「かんばん方式」を浸透させました。言葉の由来である工場のかんばん方式、 コンビニの時分指定仕入れ、翌日に着く宅配便、必要な時だけ雇える人材派遣・・・。そしてこらえ性のない欲望を、人目をはばかることなく発露させる携帯・・・。

ITそのものが悪いはずはない。そう考えるなら、ITを好ましく生かす、社会のビジョンが必要です。21世紀のビジョンとして、 私は「美の文明による落ち着いた社会づくり」を掲げたいと思います。温泉や小鳥や花々に満ちあふれたなつかしい日本の山河のもと、 ゆったりと落ち着いた生活を実現する「美の文明」。そのためにITがさりげなく役割を負う、ということであってほしいと思うのです。
 
では、「落ち着きのない社会」とは、どのような社会現象のことを言うのでしょう。うまく表現するのがむつかしいのですが、時間概念の変化(瞬間思想とでも言ったらいいのでしょうか)や、 個人を分断的に管理・操作する技術の発達とでも言えばいいでしょうか。こらえ性やメリハリのない社会です。
 
例:
◆「こらえ性のない消費者仮説」を前提としたサービス(いつでも欲しいと思ったときに・・・ さまざまな場面でのかんばん方式の普及)
○コンビニの年中無休・24時間営業
○宅配便の翌日配達・時間帯指定
○スーパーの営業時間延長、元日営業
 
コンビニは、人を雇ってはいても、店主はあたかも24時間労働だと言われています。コンビニに弁当を納入している会社の主婦パートには、夜中の12時から朝5:30まで働く人もおり、途中トイレも自由に行けないそうです。

昭和40年代だったと思いますが、自民党が「家庭基盤政策」というものを出してきました。そこで描かれる家庭像は、夕方、父親も早く帰宅して、家族そろって夕食をとる団らんの光景でした。しかし、宅配便を翌日に届けるためには、夜中に高速をひた走っている「家族の一員」がいるはずです。また、コンビニで未明に弁当を作っている主婦は家族のために食事をつくれるでしょうか。
 
◆せわしい生活、メリハリの喪失
○メール依存症
○ところかまわずの携帯利用
○先回りマーケティング(どこにいても先回りしてプロモーション情報が追いかけてくる)
 
私自身、かなりのメール依存症です。外出中でも、ノートパソコン(1kg)を持ち歩いて、電車の中、地下鉄のベンチ、 喫茶店などで始終メールチェックをしています。その結果、大きな課題、長期のテーマよりも、 そのときに来たちょっとした用件に返事を書くということが優先されて、たいへん落ち着きのない生活になっています。 もちろん「心がけ」である程度改善できるとは思いますが。

携帯については、さすがにクラシックの演奏会でうっかり鳴らすような人は見たことがありませんが、講演会などではざらです。思い出すのは、いまは有名ネット企業の社長になった、まだ30歳位の人のことです。数年前、発注者である私とうちあわせをしている途中で、かかってくる携帯に当然のように出るので、「うちあわせ中は切っておいてくれませんか」と言ったのです。すると「えっ、どうしてですか?便利じゃないですか・・・」と答えたのです。

マーケティングの例で言えば、駅の自動改札をくぐったとたんに携帯に“役に立つ”情報が送られてくるとか、スーパーに行って駐輪場に自転車を置いて店内に入ると、その人向きの店内キャンペーン情報が携帯に送られてくる ・・・といった例です。私は、メルマガ受信の大洪水で、結果的にろくに見なくなってしまいました。すべて私自身が申し込んだものには違いないのですが。

さて、たまたま人に聞いたところ、フランスでは都市部でも、日曜日はかなりの店が閉まっているそうです。私が社会のビジョンを持ちたいと言ったのは、コンビニは23時まででいいじゃないか、元日はスーパーは休んで、 3日初売りでいいじゃないか・・・といった技術以前の社会イメージを持ちたいということです。
 
以上、私の提起したテーマは、ネットワーク社会の「モダンタイムズ」かもしれません。チャップリンのモダンタイムズは、生産におけるオートメーションがテーマでしたが、今度は、消費における「即時反応処理」(もっとうまく言えるといいのですが・・・)と言えないでしょうか。

工場オートメーションでは、当初はいまよりもずっと人間の手が必要でした。そして、その労働者は一方で製品の消費者としても期待されるようになりました。 T型フォードの普及ストーリーはまさにそうでしょう。工場労働は、二交代や三交代という労働形態も生み出したのですが、典型的には、日中の労働が基本で、 家族揃って余暇時間を過ごすというスタイルが実際に主流になったのだと思います。 製造業における労働組合の発達もそういった秩序形成に寄与したと思われます。

それに対して、消費における即応処理の世界では、工場における生産現場と消費という場の特性の違いから、 そのような基本スタイルへの志向が薄く、「こらえ性のない消費者」にひたすら即時対応していく動きが歯止めなく進んでいるのではないでしょうか。大規模集中労働の製造業と違って、労組の守りもない分断臨時低賃金労働がそれにあいまっているという気がします。
 
これからの社会のビジョンの基調は、はやり言葉と期せずして同じになってしまいますが、「スローライフ」ということではないかと思います。ただし、個人の心がけや志向の次元でなく、社会的なコンセンサスとして定着させ、技術の使い方もそのために役立つように誘導していくことが必要ということではないでしょうか。
注)発表当時のタイトル(ITと「落ち着いた社会」のビジョン)を変更し、一部字句を修正しました。)