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メディアあれこれ 13 情報誌ぴあは首都圏で40万部売っていたーーリクルートの情報誌とは何が違うのか

はじめに:25年前の文章ですが、読み直したところ今日でもおおいに意味があると判断して掲載します。これは、1999年(平成11年)10月8日に大阪市で開催された(財)情報通信学会 関西支部 第6回支部大会 パネルディスカッション 「メディア産業の変容」における私の発言部分を抜き出したものです。(意味が変わらない範囲で手を入れています。また、見出しは今回付けたものです。)

私が今やっている(やっていた)未来編集という会社は、オンラインのマガジンを出したり、ネット上でサークルとかクラブ活動ができるような場所を用意したり等のインターネット・ビジネスをやっております。以前ぴあ総研というぴあグループにおりましたので、情報誌出版とチケットシステムビジネスを近い所で見て来ているという事でお話させていただきます。

それでは、これから主に3つの観点からお話したいと思うのですが、今の情報誌を見てそこから何が感じられるかというのがひとつ、そしてそれがインターネットの登場でどういうふうに変わっていくのかが2つめ、そしてその結果ビジネスモデルがどう変わっていくのかというのを若干お話して、実はそれが放送局や新聞社の変化方向にもヒントを与えるのではないかという事で申し上げてみたいと思います。

◇網羅主義ぴあに対してオススメ型Tokyo Walkerの台頭

まず情報誌を繰ってみて何が見えるかという事ですが、まず素朴に、今いかに情報洪水か、過剰な情報の時代であるかと思いました。テレビのチャンネルも増えていますが、私に言わせればそれが仮に100、200になろうが雑誌のタイトル数に比べればはるかに少ないです。それくらいあっても本来はおかしくないと思っているのですが、それにしても雑誌・書籍の世界というのは異常です。

例えばじっくりと地味に出版しているかのように見える岩波書店の岩波新書というのがありますね。あれを今月々何冊ずつ出しているかご存知ですか。毎月8冊です。5~6年前までは3冊でした。選りに選ってこの著者ならという事で毎月3冊出して、岩波信仰の強い人等はテーマに関係なく必ず買っていたという事もあったくらいですが、そういう人達にとって今はもう追いつかなくなっているのではないかと思います。

粗製濫造とまでは言いませんが、その気も出てきているかなというのが私の印象です。文庫も、月に各社16~18冊出ています。5~6年前までは各社6~7冊だったのです。そのくらい大変化しています。それに加えて幻冬舎文庫だとか小学館文庫等も参入してきているわけで、普通本屋の中には書籍と雑誌のコーナーがあると思っている方も多いと思いますが、あれはもうすべて“雑誌”でして、総雑誌化現象です。ただ通り過ぎているだけという状況だと思います。

インターネットになると自分の意識としてもう掴みようがない、そういう状況だと思います。そのような過剰な情報環境の下で、情報への感受性というのはむしろ低下しているのではないかと、極端に言えば過剰な情報はないのと同じ、ゼロであるというような意識が消費者側に芽生えているのではないかと思います。それが、文化・エンターテイメントの情報誌ではダントツにトップだった「ぴあ」が、角川書店の「Tokyo Walker」が抜いてしまったというところにも表れているような気がします。

「ぴあ」と「Tokyo Walker」は本来コンセプトが違う雑誌でして、競争者ではないという考え方もあります。なぜかというと「ぴあ」は網羅主義で、対象エリアで行われているコンサートや芝居、映画等を網羅的の載せるわけです。それに対して「Tokyo Walker」は、いわば重点主義であり、映画のようなポピュラーなジャンルの情報は割合載っていますが、芝居の情報などはほとんど載せていません。また、特集主義を採っていて、「今週は○○にある××に遊びに行ってデートしなさい」というようなストーリーを作って、編集部があらかじめお勧めしているわけです。過剰な情報の中で感受性が鈍った人達がそれにうまく乗せられていると言えば言いすぎなのですが、情報誌の中ではそんな動きも起きています。

そういった情報洪水の中で、本当にさまざまな分野の情報が情報誌に流れておりまして、住宅からラーメンまで、こと細かに載っているわけです。そういう意味ではやはり「Tokyo Walker」のような色を強く出したもの、ですから私はテレビでも地上波が残ると-「地上波」という物理的なものというより、キー局的なテレビ局が残るというふうに思っています。やはりある程度向こうから近づいてきてくれる、用意したものを提示される事(オススメ)を一般消費者は期待していると思います。

第二の観点はテータベース検索とオススメという点、「大衆は検索しない」
というのが私の標語です。例えば、図書館でいえば閉架式と開架式というのがあるのですが、町の本屋さんを閉架式にしてみると-窓口がひとつしかなくて、お客さんが来たら「あなたの欲しい本が何なのか言いなさい」というのがデータベース検索なのですが、そういうのは普通の人には向かないわけです。だからやはり並べておいて見せるという事がメディアでは必要だと思います。

◇抱き合わせ販売というビジネスモデル

それから情報伝達とジャーナリズムという問題がやはりあると思います。情報誌というのはジャーナリズムではなかったのかというとそうでもなくて、例えば「ぴあ」という機能的な情報をぎっしり詰め込んだ間に、例えば演劇の記者や映画の記者というのがいて、けっこういい記事を書いていたりするんです。文化産業をウォッチして、報道・解説・評論みたいな面があったのです。しかしこれは言わば抱き合わせ販売でして、新聞で言えば社説みたいなもので、同業者しか読む人がいないと言われますが、もしもデータベース型になって、ネットでバラバラに売るようになった時に社説を買う人なんて5人くらいしかいないわけです(笑い)。従って、抱き合わせ販売だからこそ成り立っているわけです。

ですから書店でコーナーごとに採算を取れと言われれば、大書店というビジネスが崩れてしまう。ビジネスの再編というのはそういう意味で、編集という役割、パッケージをどういうふうに取って、抱き合わせをどういうふうに作って、どう編集していくのかという事が非常に大事で、今後ビジネスモデルとして収入が伴っていないといけないというビジョンを求められていると思います。

そういう中で、ジャーナリズムと重なりますが、世論形成のための公共的な議論の場というのが非常に少なくなっているという気がします。ネットの中でそういうものをどうやって作るのかという事が、非常に問われてきていると思います。情報誌がそういうふうになってきています。

インターネットが情報誌を変える要素ですが、ひとつはデータベース化情報の多面的利用という面です。これは、元は同じ物を溜めておいて、それを使いまわしするという事です。2番目には高速を繋ぎっぱなし、これがやがて登場します。こうなると新しいメディアがさらに登場すると思った方が
いいくらいでしょう。3番目はマルチメディア化、メディアが融合していく-これは技術的にはそうなのですが、実際には、生活の中での設計はやや違うと思います。

それを決めるのは、ディスプレイの大きさとディスプレイまでの距離という事だと思います。今までのテレビ的なものは、画面が大きい方がよい、そして2メートル離れる、それに対して今までの雑誌的なものは30センチ離れてなるべく高精細で見る。そういったように考えると設計がしやすいのではないかと思います。

それからパーソナルメディア化、ワン・トゥー・ワンのマーケティング・システムです。その観点で情報誌がどう変わってきているのかという事について、ぴあの例で言いますと、手段情報の閲覧手段的処理目的行動
という3つの次元に分けて考えられると思います。難しく聞こえますが、要するに紙の 「ぴあ」を読む、それを元にチケットぴあで予約をする、そして最後にコンサートに行くという事です。それが今までバラバラだったのですが、情報誌のビジネスとチケットのビジネスを同じ会社でやっていてもつながってなかったんですね。

それがインターネットだと、ネットの上で情報を見て、直ちに予約できる。これは株式のホームトレード等でもそうなっています。目的行動というのは、例えば映画を観るとかテレビを観るとか、そこまでも一体になってしまう可能性もあるわけです。そうすると情報誌事業という、つまり購読料・広告費で稼いでいたビジネスモデルから、コンピュータ・ネットワークシステムという、インターネットを使った新しい手段的情報処理までもを含めたビジネスになってきているわけです。リクルートは典型的にそうなってきています。

◇インターネットへ乗り出すのの早い・遅いの差

ぴあはインターネット対応が遅れています(注:座談会の行われた1999年頃の話です)。何故かというとリクルートの情報誌というのは、情報源からお金(掲載料=広告料)をもらう、だからお金を取りにくいインターネットの世界には入りやすかった。ぴあは、情報源は零細な芝居の劇団とかの情報もたくさんあって、情報源からお金(掲載料)が取れません。でも網羅主義ですし載せないといけないというのでやってきていますから、情報の元からお金が取れないのでインターネットには乗り出しにくかったと言えます。そういうわけで、リクルートは今年度2900億円の売り上げのうち8割が紙の情報誌の広告費等で占めています。5年後には4600億円の売り上げのうち、情報誌依存度を50%にもっていくと、残りはインターネット等の新しいビジネスにもっていくというような動きを示しています。

ぴあも無料の情報掲載とは別ワクで広告も載せています。つまり読者からの購読料プラス興行主などからの広告費というビジネスから、さらに手数料、会費、モノの販売代金、サービス利用料といった収入の多様化をもたらすような範囲の広いビジネスに展開していこうとしているわけです。これが新聞社等に無縁であるはずがなく、新聞社は先ほど申し上げた「紙」に印刷したものが商品ですから、抱き合わせ販売で社説まで一緒に届けていたというビジネスをやってきました。それが、これからバラバラに再編されてネットの上で切り売りされる方向になるとどうなるのか、その時例えば、海外特派員や張り付いている新聞記者等がいなくなってしまったら一体どうなるのか、こういうジャーナリズムの一番大事なところを、どうやったら維持していけるのかというビジョンが必要だと思います。

そういう意味でやはり何らかの抱き合わせパッケージを作らなければいけないのではないか、それを収入でどう支えるのかというのを早く具体的なビジョンを持つべきだと思います。現在、情報伝達、データ提供といったようなジャーナリズムの隣接あるいは重なる領域のところを、先ほどのCS放送ではないですが、商社とか今までメディアとは無関係なところがどんどん産業として乗り出してきています。そうすると、資本的に弱小な新聞社がどうやって対抗してジャーナリズムを守っていけるのか、今までの延長ではなく、ネット上でジャーナリズムの機能を発揮していけるような具体的なモデルの提示というのが必要だと思います。私自身に妙案がなくて申し訳ありませんが、以上です。

【以下は、全員のスピーチを聞いたあとのコメントです。】

◇番組・マガジン・ファンクラブ型と情報誌・コンビニ・自販機型


先ほど話題になった家電メーカーの立場で考えると-これはちょっと冗談になりますが-テレビをつけるといつも最初に毎日放送が映るというようなテレビをタダで配るというような事はあり得るかと思います(笑い)。事実今、インターネットで似たような事が起こりつつあるのです。

それはともかくとしまして、ネットの世界で2つのタイプが出てきておりまして、先ほどリクルートのビジネスモデルの話が不十分でしたので、別の角度から申しますと、ひとつは番組・マガジン・ファンクラブ型というも
のと、情報誌・コンビニ・自販機型というものです。

つまりメッセージ性がありコミュニケーションがある、あるいは物語がある。そこには共感が生まれ、感動が生まれるというのが前者の方で、もう少し機能的で、流れているのはデータ注文という機能志向で、「そこをどうしていつも使うのか」というと「習慣だから」とか「愛着があるから」というのが後者です。

自販機を使うのはそんなに難しくないなので、どの自販機も使えますが、例えば「ぴあ」のような情報誌等は、中身がいいからというよりは、指が慣れていてここを開くといつも○○のページだという、そういう事がけっこう重要なわけです。

ですから編集方針(※フォーマット)を変えると必ず読者から文句がくるのです。そういう世界というのは、ネットの世界でもあるし、今のリモコンでもそれがあると思います。ですから、機能的なものはいかに慣れさせる
というのが、選択になると思います。そういう事を考えていくと、商社等がいろいろ乗り出してきて、コンピュータ・システムをバックにおいたサービス業として、予約を取ったり、ショッピングさせたり、オークションをさせたりというのがどんどん出てきます。

その中でコンテンツというのが「刺し身のつま」になってしまう可能性があるわけです。コンテンツはタダ、ニュースは他にもたくさんあって、すぐ“隣り”でやるのでasahi com.などもお金が取れないというままずっと来ているわけです。お店と違ってネットの中は、隣という距離感もないですから、そういう意味でコンテンツはなかなかお金が取れないという面がこれまでありました。それで、これをサービスに転化させてお金を取るというのが、今リクルート等いろんな企業がやっている事です。

では新聞社がどうしていくのかというのを私が勝手に描いている事は、これだけで生き残れるわけではないのですが、吉本化路線であると。つまり、人、キャラクターを抱えるプロダクションであると考えるという事です。
例えば毎日新聞が、原則ほぼ全記事署名入りをやっていますが、まだその良さというのが出ていないような気がします。別に記者の意見を聞きたいとかスター的なタレントにするというのではなくて、例えばひとつの火事を伝える事実も、こちら側から見るのと正面から見るのとでは違うという事があると思うのです。

そうした中で今一番味が出ているのは、国際面だと思います。海外特派員というのはずっと以前から個人署名入りでして、「ああ、この人この間までメキシコ特派員だったのに、今ワシントン特派員やっている」とか考える楽しみがある、そういうのは、人がわかっているから。それは今まで匿名的な、5W1Hの無味乾燥な記事を読まされてきているという気がしていて、そういう意味で人をもっと打ち出す、タレント(※才)をたくさん持っているよ、論説委員もいるよという、社説なんて皆あまり読まないかもしれませんが、論説委員のいない新聞なんて読む気がしないでしょうというような、人をもっと前面に出して活かす新聞社をこれからもっと期待したいと思っています。

◇付記:パネルディスカッションの実施概要

1999年(平成11年)10月8日(金)
梅田スカイビル タワーウエスト会議室
基調講演講師: 高木教典(関西大学 総合情報学部 教授、東京大学 名誉教授)
コーディネーター: 井上 宏(関西大学 総合情報学研究科教授)
パネラー: 宇澤俊記(朝日新聞社 電子電波メディア局 大阪セクションマネージャー)
友野庄平((株)毎日放送 常務取締役 報道本部長)
三浦文夫((株)電通 関西支社 営業統括局 デジタル業務推進部長)
横沢 彪(吉本興業(株) 常務取締役・東京支社長)
校條 諭(未来編集(株) 代表取締役社長) ※いずれも当時の肩書き、敬称略