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メディアあれこれ 17 社交・つきあい欲求の支援メディア

本論は、1997年、BTネットワーク情報サービス株式会社の広報誌に掲載されたものです。スマホもない時代の文章ですが、趣旨は現在でも古びてないので転載します。

◆用もないのに使う携帯

 「日本の通信料金は高すぎる」
 これはいまや常識のようになっている。確かに事実なのかもしれない。(注:執筆当時の情勢はその後かなり改善されている。)しかし、ビジネスがうまくいかない理由として、すべてそのせいにするのはいかがなものか。日本のインターネットでのショッピングやコンテンツ販売などのビジネスがなかなか商売として立ち上がらないことの主たる背景は本当に通信料金なのか。
 事実、携帯電話のこの普及ぶりはどう解釈したらいいのだろう。(注:この当時の携帯はガラケーである。)携帯の料金は当初よりそうとう安くなったとはいえ、まだ高いといえば高い。それなのに人々の携帯への耽溺ぶりはどうだ。しかも、かれらはどうしても必要があって使っているかといえば、決してそんなことはない。
 飲み屋の片隅から携帯電話で「おーい元気か。いま〇〇と飲んでるんだよ」などと携帯がなければわざわざかけたとは思えないような他愛もない内容で、気の向くままに誰かを呼び出したりしているのだ。
 女子高生のポケベルやPHSなども、もちろん「必要」などということばとは無縁だ。つまり、用件があるからかけているのではなく、携帯があるゆえに用件(?)が創造されているのだといっていい。

◆プリクラやカラオケもメディア

 携帯電話やPHS、ポケベルはパーソナルメディアと呼ばれる。電話は家のメディア(ホームメディア)だったのが、いまや文字通り個人個人の体に付随したものになってきた。ただし、パーソナルといっても自分一人だけではなく、通常だれか相手があって利用する。
 つまり、他人とのコミュニケーション、あるいはつきあい(社交)のために、人々は不況下にもかかわらず、惜しげもなく金を使っているということになる。
 こうして、携帯電話は個人(パーソナル)の社交欲求を演出する支援メディアとしてこの社会で無視できない役割を果たすようになった。
 社交支援のメディアというと、もうひとつ思い出すのはプリントクラブである。プリントクラブに線はつながっていないし、電波も飛んでないが、これが社交支援メディアである証拠は、ひとりで利用している人がまずいないことである。ふつうは少なくとも2人だ。ときには5、6人のグループだってある。

プリクラの例

 こうして考えると、そもそも喫茶店、レストラン、居酒屋、カラオケボックス、カルチャーセンター・・・と世の中には社交支援「メディア」が実にいっぱいある。デパートやテーマパークだってそういう要素がかなりある。もしかしたら、社交支援というのは相当根強いニーズがある商売だということか。
 そのとおり。劇作家・評論家の山崎正和さん(注:1934-2020)は「社交本能」とまで言っている。

◆橋渡し役の重要性

 そういうメディアを使った「ソフト」としては、パーティとか合コンとか飲み会とか異業種交流会とかさまざまのものがある。問題は社交支援の質である。
 たとえば、立食パーティで連れのいない人がポツネンとしているのを見るのはよくあることだ。私はあつかましいから、隣り合ったのも何かの縁とかいって、いろんな人と名刺交換をしているが、普通の神経の人だとなかなかむずかしいものだ。そこはやはり主催者が気をきかせてつないでゆく配慮がほしい。要するに社交支援にもノウハウがあるということだ。
 その場合決定的に重要なのは見知らぬ人同士をつないだり、黙っている人にしゃべらせたりする調整役・推進役の人だ。カタカナではモデレーターとかファシリテーターという。
 私の会社(未来編集株式会社、当時)でこのほど始めたインターネットを使った社交支援サービス「アットクラブ」は、目的も性格も千差万別のあらゆるグループに交流の場を提供する。そして、ネットラーニングならではのノウハウによって豊かな社交を演出していくつもりだ。
 今後ともサイバーとフィジカル(直接接触)の両面に目を配りつつ、新しい価値を創出する対話型の社交社会の実現に貢献したい。

(注:アットクラブは、1997年、未来編集とNTTとの事業提携により、ネットコミュニティ・サービスとして提供を開始した。掲示板とメーリングリストをシンクロさせたサービスであり、のちに登場して成功したmixiの先取りだった。ネットユーザーがまだ少なかった時期に始めたためビジネスとして成立しなかった。)