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引越し

東京に来てから、もうすぐ18年になるらしい。

じゅうはちねん…?



先週末、『14歳の栞』という映画を見てみんなでトークしよう、というイベントでファシリテーターをした。
映画を観て

よく思春期を生き延びたねぇ🥺
本当にみんな今大人になって生きててえらいねぇ😭

という感想を持った私はだいぶ暴走気味だったのだけど、観にきた方々は本当にいろんな人がいた。
それこそスクールカーストは社会全体の中でのほんの一瞬の一部の出来事なんだということを思い知るような瞬間もあった。

生きてその先にとりあえず行こう。27歳の壁を越えたら、図太くなれる…はず…

なんて、図太く生きたから言えることであって、とりあえずその先に行くなんてことを、19歳とかの時には全く考えてなかった自分を思い出したりもしている。

でも本当に、生き延びたのは本当にえらいよ。あんな恐ろしく心が傷だらけになる時代を生き延びて、今"大人になって"生きているっていうのは、もう、どんな人生歩んでてもとりあえず本当にえらい。

全人類えらい。

せっかく生きてるんだから、平和に、自分の好きなことをやれる環境を社会的に整えて生きていこうよね、と思う。




さて、東京に来てから住んだ自治体はいくつあるかしら。

調布市、武蔵野市、西東京市、杉並区。

あちこち行ったり来たりしながら一人暮らしも同居も経験してきたけれど、私が選ぶ家は大抵「築年数40年越え」「隙間風あります」「ネズミと遭遇」「お風呂の入り方(バランス窯よりさらに古いタイプ)が難しい…」などとなっており、友人からの感想は「合宿所みたい」「何でここにしたの?」となるのが大抵であった。
時々の同居人が選ぶ家は大抵「いい家だね」と言われていたので、一体どうしてなのか、誰か教えて欲しい…。。。

そして今。
2年前に越してきてしばらく住むぞと思っていた現在の賃貸アパートが、『取り壊しになるので立ち退いてください』と通知を出してきた。

またしても引越しをせねばならぬということで家を探したのだけれど、「区議会議員になったことだし、少しやさぐれモードを緩和しないとな」という不動産屋さんのアドバイスもあり、

「わたくしごときがこんなすばらしいいえにすんでよろしいのですか」

と動揺しながら家探し。
貧乏生活しか知らない私が、セキュリティや広さを考えて家を選ぶ日が来るとは思いもしなかった。

木造のアパートでギターを弾いて歌っていると、横からオペラが流れてきて、斜め上からアンプに繋いだベースギターが聞こえてくるのが、私の中のスタンダードな賃貸のイメージである。

議員先生はタワマン買えるんじゃないの?と揶揄う方もいたりするのだけど、私は3階以上の高さのある建物に住むのがどうもしっくりこないし、そもそも選挙で貯金がゼロになったので、到底買えるはずがないのであった。

それにしても、杉並区も地域によって家賃がだいぶ違う。

高円寺に住んでいたときは、駅近&商店街至近で65,000円で1DK(6畳)だった。
西荻の駅から少し離れたところでは、45,000円の1K(4畳半)があった。
久我山は、5畳の1Kで6万円くらいが相場である。

私の活動地域は京王井の頭沿線なので、三鷹台から高井戸の地域の間で、大量の本を置いても生活が成り立つ広さがあり、かつわりと命が守られやすい家、という難題を不動産屋さんに突き付けることになった。
ありがとうございました。。



30歳を過ぎてから、人生があっという間に過ぎてしまうのではないか、という不安に駆られる場面が増えている。
これを書き始める時にも18年という長さをどうも実感できなかった。

今日だって倒れてきた自分の自転車を脚で受け止めて大きな青あざを作っているのに、私はもうそんなに長く生きているんですか、へぇ、もうすぐ36歳ですか、へぇ…、と驚きながら1日を過ごしている。



引越しをするとなれば、いらないものは捨てて、どれを新しい家に持っていくかを考えるものだ。

たとえどんなに持ち物が少なくても、「これは愛着がある」「これは必要」「これは…使ってないな…」と生活を思い起こして、持っていくかどうかを考える。

いつだって、必要なものだけあればいいのであって、余計なものはいらない、となりがちなのだけれど、結局、10年以上開いていなくても日記帳などは捨てられるはずもなく残り、大抵は服や靴や本やCDが処分の対象となる。

私は、捨てたくないものしか持っていない。

つい最近ラストのイベントを終えた渋谷のハコは、捨てたくないけど、選んで掴んで前に進まなきゃいけないものが何なのかを、考えさせてくれた場所だった。

まだまだ生きてやることがいっぱいある。

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