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つぶされてたまるか

「前へ習え!」をかっこよくやることに価値を見出していた小学生も、やがて太宰治に出会い、ロックやパンクに出会い、生き延びたい一心で「従う身体」を脱いでいく過程でフェミニズムに出会い、茨木のり子に出会い、憲法を改めて読んでみたりして、保育を通して改めて人間を知り、そのうち議員になったりします。

差別をなくして、戦争をなくして、地球と仲良くして、自由に生きられる世界になるまで死ねないねって思った時から30年くらい経ちました。



何の話かと言うと、都知事選の直前まで議会だったから、本当はここに、今回のめちゃくちゃ推せる杉並区議会の一般質問たちを載せようとしてたんだけど、見事にそれをやる余裕を失っていた、という話です。

都知事選は最初から最後まで「ぬぁんじゃこるぅぁあ!?」としか言えないようなとんでもないことが起きまくっていましたね。

杉並区議会で猥褻画像10枚を含む陳情資料が委員に配布され、ハラスメントではないかと委員長らに抗議の意を示し議会全体で議論をしていたばっかりなのに、「表現の自由」を思いっきり勘違いしたポスターがあろうことか公営掲示板に貼られてしまう事態を目の前に、いよいよこの国はどうかしていると思わざるを得ませんでした。

政見放送も、手話通訳者を恫喝したりと本当に酷いものがありました。

都知事になって1400万人の命やくらしを預かる、ということを真面目に考えている人は、立候補した56人中何人いたんでしょうか。

政治はエンタメではありません。
ただ単に面白可笑しくするだけでは何も変わらないので、今と同じように、生きられたはずの誰かが死にます。
ただ見ているだけでも誰かの死に加担することになるかもしれません。
それから、他者を貶める方法で笑いを取ろうとする行為はエンタメではありません。いじめです。

政治は個人をいじめるためではなく、個人がそれぞれに自分の幸せを掴んでいくのを支えるためにあります。
社会の中にある余計な障壁を取り除いたり、話し合いながら他者とともに生きていくための環境を整備したりするのが仕事です。


風刺や建設的な批判とただの侮辱や攻撃との区別がつかない、あるいは意図して区別していない者の影響を受けやすい、というのは、青年期くらいまでならそうなるのはよくわかるので、今回の選挙結果には残念ながら納得させられています。

10代、20代の人には、自分より年上の大人の話は、どんなにありがたいものに思えたとしても疑ってほしいです。
私も時々適当なこと言い過ぎてSNSで叩かれたりしていますが(これは公人としては反省すべき点ですごめんなさい)、物事を確信を持って言える瞬間なんてそうそうたくさんないし、慣れてきて惰性で喋ってるみたいな大人いっぱいいるから、ちゃんと疑ってほしいです。

特に政治家は。



スケボーしたりバンドやったりしてたらステッカーめちゃくちゃ作るしめちゃくちゃ配るしめちゃくちゃ貼る。

路上で見かけるのはほとんどがグラフィティライターのものとかかな。

こういうことを書き始めると、やっていいとも何とも言ってないのに「犯罪を擁護するのかー!」とか言われます。

世の中の「やってはいけない」とされているもののうち本当にやってはいけないことって実は少なくて、殺してはいけない、盗ってはいけない、騙してはいけない、みたいなことですよね。

それ以外は結構、「話し合って調整したりするのが面倒なので、とりあえずダメってことにしておいて丸くおさめよう」とか、「これをやる人が増えるといくらお金(税金)あっても足りなくなっちゃうから、ダメなこととして知らせておこう」とか、超大雑把に言うとそんな感じで作られている法律もあります。

で、たとえばグラフィティとかって、建物に絵や文字を描いたりするだけなので、人は死にません。そして時々、息を飲むような作品に出会うことや忘れられない言葉に出会うこともあります。
夜中にやっていたりするので、ペンキが関係ない人にかかったり、お店の営業を直接遮断したりすることは滅多にありません。

でも、描かれた店や家の人は、困ったり怒ったり悲しんだりもします。
こちらから頼んで描いてもらったのでもなければ、「描かせてください」と申し入れられて「どうぞ」と許可してもいないし、自分の知らない間にいつもの風景が乱されるなんて、とても不快だし不安になります。
卑猥な言葉や攻撃的な言葉をでかでかと書かれてしまったらその後の営みに確実に影響するし、上から塗り消すにもお金がかかります。

"描きたい人"と"描かれる側の建物の持ち主"、どちらも尊重しつつ、でも圧倒的に建物の所有者の方が事後的には色々大変そう。。
だったら最初からそんな非対称な関係を作らないように、勝手に描くこと自体を禁止するのが話が早いですよね。

まぁ、そもそもグラフィティはそういうルールを掻い潜ってやるものだから、なくなることはないとは思うけど。

少なくともそういう個人の表現については、警察や当事者間でどうにかするしかないものだから、メディアは都庁に映されてる壁の落書き…じゃなかったプロジェクションマッピングに税金がめちゃくちゃ投入されて公共事業として行われていることにこそ目くじらを立ててくれないと困ります。その金そこに使う意味本当にあるのかよと。

二元代表制で議会を通ったから大丈夫でしょ、とならないと本来は困るけど、そうでもないのが今の日本の政治なので、それは一歩外から声を上げる立場として最も力を持つメディアに、客観的な考察と批判をしてほしいところです。
今は大きなメディアでなくても、というかSNSを通して個人がメディアになることが可能な時代ですが、取材をするための機材や人脈が圧倒的にあるという意味で、大きなメディアに力の発揮どころを考え直してほしいなと、どうしても思ってしまいます。

とはいえ、選挙で応援する気持ちがあるなら、一般的に「それはちょっと…」となるようなやり方(公共の物にステッカー貼りまくるとか)で応援しちゃうことが候補者を不利にする可能性は考えないとだし、今回は全然関係ない人が巻き込まれていじめられる対象になったりもしているので、そこは本当にやった人が責任持たないとダメなやつですね。

政治はエンタメではなくて、本当に人の命がかかってるので。。。



そう、あと、なんか本当に今回の都知事選挙では、わけのわからないいじめが横行しています。

物言う女をいじめたい。
勇気を持って一人で立つ人をいじめたい。

いじめたい気持ちを包み隠さず表に出すことが「歯に衣着せぬ物言い」だと勘違いしてめちゃくちゃ恥ずかしいことを平気でやってしまうのとかは、本当に、社会の成熟度が問われますね。
そんな30代・40代を許容しない、という態度が社会の側に必要な気がしています。

もちろん年齢は関係ないのだけど、子育てや仕事で責任が重くなってくる時期にいる年代の人たちは、家父長制に完全に飲み込まれる寸前で「はて?」と思えるかどうかの瀬戸際にいると思うのです。

家父長的な価値観は本当に根深いので、ちゃんと気が付かずに有耶無耶っとその先に進むと、人間関係が突然破綻したりします。

自分が抑圧されてるような感じがして相手を抑えつけに行く前に、この不安や不満がどこから来るのかを調べたいですよね。
でもその点検の仕方として、動画を再生するだけで精一杯なのが、時間と労力に余裕のない現代でおきていることです。

そしてそれは、意図的に、政治的に、つくられた環境でもあります。

政治は私たちの生活だけじゃなくて、自分の意思で何を選ぶかの価値観の基盤すら握っていたりするので、誰を選んで何をさせるのかの手綱は、市民側が持っておかないといけないんですよね。

イタチごっこですけど。



つらつらと余計なことばかり書いてしまった気がするのですが、真面目に政治をやらなきゃいけない一方で、楽しくなきゃやれないよねというのもあります。

外枠だけ楽しそうで中は空っぽとかぐちゃぐちゃとかではなくて、「こんな世の中になったらいいよね」に向かってみんなであれこれ意見を出し合ったり、一人でもなんか思いついてやってみたり、そうやって工夫や協力を楽しみながら真剣にやれたらいいよねって話です。

いい子になりなさい、と命令したり脅したりしてくる奴の言うことは聞かなくて大丈夫です。

お互いの自由を守り合える世界というのは、脅しや命令では作れないので。

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