「ありったけの輝きで」と「想像のつばさ」
「ありったけの輝きで」と「想像のつばさ」。
どちらも283プロダクションのアイドルである櫻木真乃が歌うソロ楽曲で、どちらも「自分」のことを歌っている、そんな曲だ。
(現在見れる範囲にある唯一の「想像のつばさ」の音源(シャニ5thで流れたティザーPV)
しかしながら、その歌の方向性、特に歌うときの立ち位置、というものは大きく違う楽曲ではあると思う。
想像のつばさ
『想像のつばさ』は飛び立つ前に感じた予感、真乃が思った「もしかしたら」という感情をそのままメロディーに乗せて、響かせている曲だ。
「もしかしたら」というのは仮定を表す言葉であり、歌詞にある「もしも」という言葉もまた、少ない可能性を意味する言葉である。。ことから、真乃の不安がぬぐい切れない心情を示している。といえるだろう。
櫻木真乃という人間がなぜアイドルになりたいのか、という点に深く触れるのはenza版シャニマスのS.T.E.P.コミュに譲るが、要するに櫻木真乃という人間は「自信がない自分を変えるため」にアイドルになった人間であり、自分での行動の判断には常に迷いがある。
それはアイドルになる前の真乃が持っていた悩みであり、プロデューサーがその状態の真乃に声をかけることで、アイドルとしての真乃のストーリーはやっと開かれ始める。
つまりところ、『想像のつばさ』を歌っている真乃は「アイドルとして始まっていない時の真乃」を歌っている。といえるだろう。
ありったけの輝きで
こちらは反対に、「あの日躊躇った私を忘れずに、忘れないで一緒に未来を始めよう」と、自信を感じさせるような前向きな言葉が綴られている。
「あの日」という単語には、程度は人によって違えど、「かなり、少し過去の出来事」という意味がある。
つまり、「躊躇った私」という存在は過去のものであって、この曲における櫻木真乃という存在はその反対の存在として描かれている。
「躊躇った私」の反対の存在というものは、「自信がない自分を変えるためにアイドルになった」という櫻木真乃の理由を考えれば、理想とする真乃のアイドル像、といえるのではないだろうか。
先日実装されたMy Songs Collection【私のハルモニア】櫻木真乃でも、「この曲は『こうあれたら』と思う、そんな自分」(のことを歌っている)曲である、という話があり、私はこうでありたいという理想像が歌われていることは明らかであると思う。
まとめ
「アイドルとして始まっていない時の真乃」を歌っている楽曲と、「私はこうでありたいという理想像」が歌われている楽曲。そのどちらも自分のことを歌っている曲であるし、その裏には「私はこうありたい!」という誰よりも強いヒカリ、想い、輝きがそこにはある。
自信がないアイドルだからこそ、プロデューサーという立場から支え、一人のファンとして彼女が奏でる「ハルモニア」を、彼女の持つ想いを聞く。
それこそが櫻木真乃をプロデュースする、ということの本質なのではないのだろうか。
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