悲しみを極服する方法とは?
怒りが思い通りにいかなくて生ずるのなら悲しみは喪失感から来ます
法輪僧侶「悲しみというのは喪失感からくる心理現象です。 何かを失くした時に来る喪失感です。 例えば、両親が亡くなった、子供が死んだ、財物を失った、友達を失った、恋人が去った、こういう時に来る心理現象です。 思い通りにいかなくて生ずるのが怒りなら悲しみは喪失感から来る問題です。
いつか夫に死なれたという知らせを聞いて商店街に行ったら、妻が私をつかまえてこう言います。 「ああ、お坊さん。 私はこれからどうやって生きていますか。 夫が死んで私一人でどう生きるんですか。」と言うんですよ。
こんな時奥さんの話は死んだ夫の心配をするんですか。 自分の生きることを心配してるんですか?”
「(大衆の)自分の心配です」(みんな笑)
「これが人間です。 死んだ人の心配をしているのではなく、今私の心配をしているということです。 「子供が二人なのに、この子たちを私がどうやって育てるんですか?」こう話す時、心配しますか? 育てる自分の心配ですか。”
「(大衆の)自分の心配です」(みんな笑)
「人間が利己的すぎるんじゃないか?」こう思うかもしれませんが、もともと人間はこんなに利己的なんです。 皆さんは、「親のことを考えて辛い、夫のことを考えて辛い、子供のために犠牲になる」、こういう話をするんですが、実は違います。 人間の存在自体が他人のためになることができなくなっています。(みんな笑い)それではそれが悪いのでしょうか。 違います. 一例として皆さんは電話が来たら「あれは必ず自分が必要な時だけ電話する」と言う時がありますよね?
「(大衆の)はい」
「しかし、電話は元々必要な時にするように生じたものなので、そのように言う必要はありません。 反対に何の用件もなく電話すると「無駄に電話する」とも言いますね。 このように私たちは人々があまりにも普遍的にする行為を度々非難しますが、そんなことではありません。 もし夫が死んだと仮定すれば、妻によくしてくれた夫ほど妻の悲しみが大きいです。
なぜなら、私に不利益が戻ってくるから悲しみが大きいんですよ」(みんな笑い)。ところが、毎日酒ばかり飲んで、お金も稼がず、苦労ばかりさせていた夫が突然死んで商店街を訪れたなら、奥さんが私に何と言うでしょうか。 「そんなに好きだったお酒、思う存分飲むように放っておけばよかったです」、これは自分の心配ですか? 死んだ夫の心配ですか?」
「(大衆が)死んだ夫の心配です」
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