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茶番センサーや部族の掟に苦しんでいる話
サムネは最近仕入れた本。
茶番センサーという言葉は借金玉氏の著書に出てくる言葉。
簡単に言えば、挨拶だとか雑談だとか面子だとか社会を円滑に回していくために必要なものなんだけれど、それを「くだらない」だとか「茶番」だとか判断してしまうこと。
例えば飲み会で上司にお酌して回るとかいうときに、その行為自体にはコミュニケーションを円滑にするだとかそういう効果があると理解してるはずなのに、「なんでこんなことやらなくちゃいけないんだ」とか「自分でやれや」と思ってしまうような場合。まさに茶番センサーが発動してしまっている。
茶番センサーが発動すると、全てがくだらなくみえてしまう。また、それが何事もなくできる周囲に対して劣等感を抱いてしまうこともしばしばである。
要は考えすぎなのだ。
借金玉氏はこのようなとき、これは人間という部族のおきてなのだから仕方ないと割り切るよう勧めている。
しかし私は茶番センサーがバリバリ働いてしまう人で、くだらないとか、アホくさいと感じると途端にあらゆるモチベが下がってしまう。
だから対人関係も苦手だし、仕事上の付き合いも苦手である。特にホモソーシャル、体育会系のコミュニティーはこうした部族の掟を強く構成員に要求する。令和の今であってもだ。
昔からいわゆる体育会系とは相容れなかった。縦社会が苦手なやつだった。だから読書だとかインドアな方に逃げた。
しかし、社会は容赦なく、私のような人間に部族の掟を押し付けてくる。できない人間は無能の烙印を押されて酒の肴にされる。それがサラリーマンの悲しさだ。
ただ、そんな私も理解者がゼロなわけではない。少ないけれど、話をわかってくれる人がいる。そんな人を大切にしたいし、この際、価値観が違う人と無理に付き合う必要はないのだと考えるようにする。何言われても知らん。
社会は辛いが、みんな辛くても頑張っているのだ。昔は電車に乗ってくたびれたおじさんをみて、こんな風になりたくないだとか失礼なことを思っていたが、今ならおじさんたちがいかに偉大であるか、身に沁みてわかる。