フィルムカメラ片手に日帰り岡山旅③
4月の平日、日帰り岡山旅。
前回は竹久夢二の生家と、アトリエ「少年山荘」を訪ねました。
夢二の生家記念館を出て、次に向かったのは、備前市の「閑谷学校」です。
実は生家に向かう途中に道路標識でその名前を見つけて、次はここに行こうとわくわくしていたのです。
なんといっても私は木造校舎が大好き。浜松の山奥で明治期の廃校めぐりなんかもしていたタイプの人間ですから、「学校」と名前のつくものに弱いんです。
閑谷学校は、江戸時代に岡山藩主の池田光政によって開かれた、庶民のための学校です。
庶民が通うための学校としては日本最古だそうです(それまでにも、武士が学ぶための学校などはあったようです)。
中央に見える建物が、重要文化財の校門…なのですが、正面からの写真を撮り忘れました。
駐車場から真っすぐ歩いていくとこの門が正面に見えてきます。
どことなく、初めて並木道を歩いて大学へ向かった日を思い出しました。
学びの場に足を向ける。いつ体験しても、わくわくするものです。
そして、でんと構える講堂は国宝指定を受けています。
こちらもオーソドックスな外観を撮り忘れました。
いいんです、思い出ってのは主観なんだから…と開き直ってみたりして。
釣鐘のような形の窓が特徴的ですね。
調べてみたら、これは「火灯窓」といって、もとは禅宗建築に用いられた形のものなのだとか。
これが建物の四方にずらりと並び、講堂に柔らかく光を注ぎます。
ほら、綺麗でしょ?(ぶれてるけど)(水平とれてないけど)
床は漆塗りだそうです。
そんならうかつに踏んだりできませんやん。と思っていたら、「講堂の床には漆が塗ってあり、手の脂で漆が禿げてしまうため、 手で触ってはいけないと言われている」(by Wikipedia)だそうです。
実用性より、美しさ。学校という用途的にどうなの?とか思ってしまいますが、まぁ国宝に文句なんて言えません。
そして例のごとく写真は撮り忘れましたが、講堂の屋根は備前焼瓦で葺かれているそうです。さすが焼き物の町、備前。
隣の建物にはこれでもかと座布団が積まれておりました。
ホームページを見てみると、毎日のように中高生が訪れて、講堂学習なるものをやっているようです。
国宝に入れるとは、実にうらやましい――とハンカチを噛んでいたら、どうやら月に一度程度、「閑谷論語塾」という催しがあるそうで。
この論語塾に参加すれば、講堂に坐して話を聞ける、という算段。
ぜひ一度参加したい。そして漆塗りの床にこの指先を…(いけませんね)。
さて、先ほど述べた通り、「明治期の木造校舎」が大好きなわたし。
国宝の講堂見学もそこそこに、敷地の奥へと進みます。
そこにあったのは――
ドンピシャ明治に建てられた木造の校舎です。
もともと岡山藩の学校として開かれた閑谷学校は、池田光政の没後、廃止されたり、私学として復活したりと紆余曲折ありつつ、最終的には岡山県立の高校(別の高校と統合され、分校のような扱いだったみたいです)として昭和39年(1964年)まで教え子を輩出し続けました。
この校舎は、明治38年(1905年)、「私立閑谷黌」だった時代に本館として建築され、その後学び舎としての役目を終える昭和38年まで使われたそうです。
現在は資料館として使われていて、閑谷学校のあゆみなどをパネル展示で学ぶことができます…が、お勉強に興味はないので展示はスルー。
木造校舎を感じることに全神経を集中します。
それにしても、築117年。歴史を感じます。
大好物である学校を堪能してすっかりご満悦。
この時点で16時をまわっていましたので、そろそろ帰路に…と思ったのですが、せっかくなら瀬戸内海を一目見ておきたいと、海に向けてさらに車を走らせます。
つづく。
Nikon FE2 + Ai Nikkor 50mm F1.2 + Kodak Ultramax 400.
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