日記:傷つくのも傷つけるのも簡単なのに、どうして人を嫌いになれないのだろう
なんて、ほの暗いタイトルですね。
この記事に特に中身はありません・・・。
ちょっとした悩みの話なんですが。
昔から人との距離感を図るのが苦手で、程よい付き合いの友人というのが思い当たりません。
もちろん、付き合いの長い友人もいるのですが、そういう相手にこそ、どうにも本音を話せないというか、
本当の自分を知られたら絶対に嫌われるな、という恐怖心がぬぐえない。
だからすごいあっさりした偽善的な付き合いになってしまう。
なんというか、親愛という感情が共依存と同一視されてしまうような気がしているんです。
信頼し合う間柄とは、すなわち盲目的に全肯定し合うべきだ、みたいな意識が拭えない。自分ではこの思いを「全か無かの法則」と名付けて温め続けています。
だから、ちょっと頼ってきてくれる人がいるとその人にぐわーっと寄って行ってしまったり。
それで過去の人間関係もだいぶやらかしています。という自覚はある。
最近もおそらくそういう早とちりな行動ゆえに、素敵な知人をひとり失いました。いや、相手はそっと離れて行ったので、こちら側の推測に過ぎないのですけれども。
パーソナリティ障害の類なのだろうか、とか悩むこともあるけれど、少なくとも表面上仕事も普通にできているし、正常の範疇に収まるだろうと自己解決して特に動きもせず。
世の中の家庭を持っている人だとか、パートナーときちんと信頼し合った関係を築いている人って、なんて真っすぐで曇りのない生き方をしているんだろう、といちいちうらやましくなってしまいます。
なんて悩みが顕在化してきたこともあり、人を撮ったりするのが億劫です、最近は。
ひとりで過ごす時間が増えて、いよいよ孤独道を極めつつある31歳の春。
なんて、吐き出せるとすっきりしますね。
noteはどうせ誰も見てないし、って思えるから気が楽だし、誰かが読んでいてくれるなら、それはそれでうれしいし。いい媒体だなぁ。
お口直しに、会社に行く道すがら撮った写真たちを置いておきます。