医師が観た映画『Dr.コトー診療所』 憧れから違和感へ
私が医師を志したきっかけは、小学生の頃に放送されていた「Dr.コトー診療所」という医療ドラマでした。主人公の五島健助医師(コトー)は、大学病院の外科から離島医療に身を移し、真摯な姿勢で島民に信頼され、家族のように患者に寄り添う姿が描かれていました。その姿は当時の私にとって理想の医師像であり、”私もいつかコトー先生のように、一人ひとりの患者に真剣に向き合う医師になりたい” と強く思ったのです。
しかし、実際に医師となり、現場で多くの患者さんと向き合う中で、ドラマで描かれる理想的な医師像や患者との絆が、現実とはギャップがあることに気付きました。ドラマでは、医師が一人の患者に全力で時間をかけて向き合うシーンがよく描かれますが、現実の医療現場では、一人の医師が多くの患者を診なければならず、全ての患者に十分な時間を割くことは難しいのが現状です。また、信頼関係を築くためには時間と努力だけでなく、患者の病状や治療の経過、患者家族などの影響も大きな要素として関わってきます。
そのためでしょうか、2022年に16年ぶりに集大成となる映画『Dr.コトー診療所』が公開された際も、劇場に足を運ぶことができませんでした。医師となった今、大好きだった作品をエンターテイメントとして楽しめないのではと思ったのです。しかし、イノミライの活動を始め、持続可能な医療について考える日々の中で、医療ドラマやエンターテイメントが持つ影響力を改めて考える機会が増えました。
そして先日、意を決して映画『Dr.コトー診療所』を観ました。これから映画鑑賞後の、私個人としての感想、医師としての違和感、そして医療ドラマがもつ影響力、について綴りたいと思います。
※ネタバレ注意
この先には、映画「Dr.コトー診療所」の内容が多く含まれています。これから映画を鑑賞予定の方はご注意ください。
あらすじ
まずは映画のあらすじをご紹介します。 日本の西端に位置する美しい孤島、志木那島。医師コトーは、19年前に東京からこの島にやってきて以来、島に“たった一人の医師”として島民すべての命を背負ってきました。島民からも深い信頼を寄せられており、コトーは長年支えてきた看護師の彩佳と結婚し、現在彩佳は妊娠7ヶ月。コトーはもうすぐ父親になろうとしています。島出身の看護師や派遣された新米医師と共に診療を切り盛りする中、島の過疎高齢化、医療統合によりコトーが島を離れる話が浮上してきます。一方で、コトー自身にも病魔の影が忍び寄ります。さらに台風の被害によって診療所は急患で溢れかえるという、まさに怒涛の展開が繰り広げられます。
私個人としての感想 憧れた昔
映画を観ていると、登場人物と彼らを演じる俳優陣、そして作品を包み込む音楽は、当時の感動を呼び起こしてくれました。コトー先生と島民たちの和やかな空気感、そして美しい与那国島の景色は、懐かしさと今でも色褪せない魅力を持っていました。自分がなぜこの作品に惹かれ、医師を志すきっかけとなったのかを改めて思い出しました。一方で、医師として働く今、感じざるを得ない違和感もありました。
医師としての違和感 医師の命とは
医師としては、手術シーンや医学的な知識に関連した違和感はいくつか感じましたが、主軸はやはり人間ドラマであり、今回それは一旦置いておきます。
過疎高齢化や離島医療における医療体制維持の課題、そして災害医療におけるトリアージを含めた問題や苦難が取り上げられており、役所職員や新米医師のセリフなどは日本医療の現状にも即しており、共感できました。一方で、コトーと島民の関係性の描かれ方には、複雑な思いを抱きました。
今作品では、コトーは結婚し、妻彩佳は新しい命を授かっており、さらには自らも白血病という大病を患っているにも関わらず、強い使命感や重責から、自身は病院にもかからず診療さらには災害医療まで臨みます。自身の健康や家族のことを顧みず、もしくは顧みることもできないまま、自己犠牲的な行動を取る姿は、医師として悲痛な思いでした。また、島民たちのコトーへの厚い信頼は、ときに依存に変わっているようにも見えました。
それらを象徴するのが、クライマックスの災害医療のシーンです。コトーは押し寄せるケガ人や急病人に対応するなか、持病のため倒れ意識を失います。立ち尽くす島民たちに対して、事情を知る新米医師は「先生は病気なんですよ!病気の人間をここまですり減らしていいのかよ!」と叫びます。倒れたコトーに島民たちは「コトー!先生!」と声援を送るも、駆け寄って支える者は一人もおらず、コトーはふらつきながらも立ち上がり、白血病により鼻血を出しながら看護師に指示を出し、緊急のバイパス手術へと向かいます。
医師は使命感から献身的な働きをし、患者はその医師の自己犠牲に知らず知らずに依存する。その結果、医師の生活や健康、そして命が軽んじられる。長年培われてきたコトーと島民の絆の裏にある現実は、奇しくも新登場である新米医師の叫びによって表されていました。そして、この悲しい現実を、「医師の献身、医師と患者の絆という美談」とするのか、「医師を取り巻く過酷な実態」とするのか。私は、前者として描かれているのではないか、ということに強い違和感を覚えました。
医療ドラマがもつ影響力 果たす役割
医療ドラマを含めたエンタメが世間に与える影響力は非常に大きいものです。私と同様に、ドラマや漫画などに影響を受けて医師となった人も多いでしょう。しかし、医療従事者としては、現実とのギャップを感じることも少なくありません。世間の人々は、創作であると理解していても、ドラマなどを通じて医師や医療現場に対する理想像を形成してしまうことが多く、その理想像が現実とかけ離れている場合、医療従事者に対する不満やプレッシャーが増すことになります。
医療ドラマはあくまでエンタメであり、多くの人がその題材に興味を持つきっかけになりますが、誤ったステレオタイプを与えるリスクもあることを、制作側・視聴者側がともに認識する必要があります。医療現場で働く医師として、視聴者に誤った期待やプレッシャーを与えないためのバランスを求めることの重要性を感じています。エンタメとしての価値を保ちながらも、医療現場の実情に対する理解が深まるような作品が増えることを願っています。
さいごに
自己紹介でも触れましたが、私は映画鑑賞や小説、漫画が趣味であり、これらの作品から人生観に多大な影響を受けてきました。今回のnoteでは、一部批判的な内容も含まれましたが、かつて強く憧れた作品だからこそ感じた違和感でもあり、その点をご理解いただけると幸いです。
これからも、様々な作品を通じて得た気付きを、医師として、父として、そして一人の人間として、綴っていきたいと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。