【道】 第1回 険しい海岸段丘に「階段国道」(国道339号/青森県)
国道だから車が走れるとは限らない。本州最北、津軽半島の海岸線をぐるっと回る国道339号は、北限の竜飛崎に階段を経由する区間があるため、「階段国道」として親しまれている。
階段は362段。竜飛の集落から上れば、前半はつづら折りで標高を稼ぐ。中腹に達すると眼下に津軽海峡を望み、遠く水平線際には北海道を見渡す。
国道に指定された1975(昭和50)年にはまだ津軽半島を周回する道はなかった。半島の西海岸線をたどり、竜飛の集落で終わる道が辛うじて通じていた。
太宰治は「津軽」で、この道を「路が全く絶えているのである。ここは、本州の袋小路だ」と記している。太宰が訪れたのは戦時中の44(昭和19)年だったが、国道に指定された昭和中期になっても、それほど大きく変わらなかった。険しい海岸段丘の地形に人の足跡を残せる道は限られている。
わずかに集落から龍飛埼灯台へとつながっていた坂道が「階段国道」の前身だった。暫定的にこの道を国道とし、津軽の山並みを越えて延びてくる予定の周回道路を待ち受ける端点とした。ようやく全通したのは84(昭和59)年10月のことだ。
国道といっても、すべてを国が管理するのではなく、動脈ではない国道は地方自治体に管理が任せられている。「階段国道」も青森県が管理している。
かつて竜飛は青函トンネル工事でにぎわっていた。今は廃校となった竜飛中学校も階段国道の中腹地点にあり、工事関係者の子供たちが学んでいた。雨や雪になればぬかるむ坂道。その通い路となる道を修繕することに「国道」は一役買っていた。50年前の日本には、青森県に限らず悪路は多数あった。
青函トンネルが開通し、津軽半島を周回する国道の「龍泊ライン」もつながった。これで「階段国道」も晴れてお役目ごめんとなるはずであったが、いつしか人の耳目に触れるようになり、無くすに無くせぬ存在となっていた。もし太宰治が生きていたら、「階段国道」をどのように描写したのだろうか。
2010・9・22 記
時事通信社出稿
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