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【短編小説】狂愛
金太郎が死んだ。
金太郎とは、私と一緒にいた金魚のことだ。
オスかメスかはわからなかったけれど、金太郎と名前をつけた。
10年、一緒にいてくれた。
10年の間、付き合った男性は4人ほどいたけど、金太郎は1匹だけだった。
たった1匹の金太郎は、水槽の中で大きく育っていった。
体長は15センチ以上になっていた。
いつも私は金太郎に話しかけてきた。
仕事から帰ると、
「金ちゃん、元気~?」
休みの日も、
「ごはんだよ~」
話し相手はいつも何も答えない金太郎だった。
金太郎のおかげでいつも癒されてきた。
私が近づくと、口をパクパクさせて、ごはんを欲しがった。
水槽をトントンと叩くと、叩いた方へ寄ってきた。
私が落ち込んでいるときは、何もしていないのにすーっと近寄ってきてくれた。
まるで、慰めてくれるかのように。
私が泣いているときなど、おなかがすいてもいないのに、水面に上がってきて口をぱくぱくした。
「どうしたの?」
まるで、そう尋ねられているかのようだった。
何気ないことだったけど、心が通じ合っていると感じた。
水槽の中で一匹、泳ぐ姿が私と重なった。
家族のいない孤独な私と。
金太郎は私の親友であり、家族だった。
そんな金太郎が、死んだ。
悲しくないわけがない。
友だちが、家族が、死んだのだから。
偶然と言えば、偶然だったのかもしれない。
現在の彼、雄一(ゆういち)が水槽を洗ってあげるからと言って、金太郎を水槽に入れたまま洗おうとした。
魚を水槽の中に入れたまま、水槽を洗えるものは世の中にある。
けれど、雄一が持ってきたものはそうではなかった。
にもかかわらず、雄一は金太郎を入れたまま、私に内緒で水槽の中に洗剤を入れた。
金太郎は苦しかったに違いない。
急に毒物を入れられたのだから。
「あれ? 金魚の様子がおかしいぞ」
大して驚いてないかのように、雄一は言った。
「え?」
私は慌てた。
見ると、金太郎がもがき苦しんでいた。
「ちょっと、何入れたのよ!」
私はすぐに金太郎を網で救い出し、バケツの中へと移動させた。
だけど、金太郎は横になったまま、すでに動かなくなっていた。
手遅れだった。
「あ~あ、間に合わなかったね。こりゃ、死んじまったな。ごめん、間違えたみたい。店でよく見て買ってきたんだけどな~」
雄一は洗剤の裏書きを見ながら、しれっと言い放った。
「・・・」
私は無言だった。
ショックで言葉が出てこなかったのもあるけど、雄一の平然とした態度に無性に腹が立った。
雄一の心ない言葉だけが置き土産のように、私の中でこだましていた。
「これは買いに行くしかないね。また別の金魚を買いに行こう。こいつはもうダメさ。死んじまったよ」
雄一はたたみかけるように言い放つと、バケツの中で横たわった金太郎をピンッと指ではじいた。
その時、私の中で何かがはじけた。
金太郎に比べて、雄一なんて取るに足らない生き物のように思えた。
ゴンッ!
鈍い音がした。
私は、うちで一番重たい花瓶で雄一の後頭部めがけ、思い切り振り下ろしていた。
雄一は、面白いようにのびた顔をして卒倒した。
倒れた雄一をよそに、私は死んだ金太郎に話しかけた。
「ごめんね、ごめんね」
私は愛おしそうに両手で大事に金太郎を持ち上げた。
金太郎はピクリとも動かなかった。
「ごめん・・・今まで・・・ありがとね」
金太郎はいつも通り、何も答えてはくれない。
けれど、たとえ無言であっても、生きているのと死んでいるのとでは、まるで違う。
私には金太郎が死んでしまったということが、信じられなかった。
私はゆっくりとバケツの中に金太郎を戻した。
雄一に対する憎しみが一気に吹き出してきた。
私は無言のまま、再び花瓶を雄一の頭めがけ、振り下ろした。
部屋中に鈍い音が鳴り響く。
振り下ろしていくうちに、血も吹き出してきた。
構わず、私は振り下ろし続けた。
雄一の顔が血まみれになり、顔の原型をとどめなくなった。
返り血を浴びた私の顔も血だらけだった。
気が済んだところで、私は花瓶を振り下ろすのをやめた。
同じく血まみれになった花瓶をその場に投げ捨てた。
ドンッと階下にも響くような大きな音がした。
床も血まみれになっていた。
今度は、私の荒い息使いだけが、部屋には存在した。
私はへたり込んだ。
ひどく疲れた。
金太郎が死んだという悲しみに向き合う前に、殺されたという怒りが先行していた。
私は金太郎をマンション敷地内にある土の中に埋めることにした。
目印は何もつけなかった。
私と金太郎だけの秘密の場所。
ここへ来れば、いつでも金太郎に会える。
金太郎は土にかえるけど、私はまだ生き続ける。
生きてる間は、金太郎の供養をしていきたい。
私は金太郎のお墓に手を合わせると、その場で警察に通報した。
懲役20年。
私に下された判決だ。
金太郎の喪に服すには十分な長さだ。
弁護士はしきりに精神鑑定による異常性を強調したがっていたけれど、私はまともだ。異常じゃない。
知り合って1年や2年の新参者に殺されて、金太郎はさぞや、くやしかっただろう。
何せ、私たちは10年来の付き合いなのだから。
私たちの絆の深さは誰にもわからない。
裁判官には断罪された。
誤って金魚というペットを殺してしまったからといって、仕返しに人の命を奪うという、あまりにも残忍で身勝手な犯行として、情状酌量の余地もないとして断罪された。
裁判官は何もわかっていない。
私たちの絆の深さを。
言葉は交わさないけれど、心の中では通じ合っていた。
単なるペットだなんて言って欲しくない。
親友であり、家族だったのだから。
裁判官は言った。
「人の命の重さを考えて、十分に反省しなさい」
私には全く響かなかった。
だって、あいつは私の唯一の家族を殺したのだから。
絶対に許せない、許せなかった。
今日も私は独房の扉を見つめながら、金太郎の冥福を祈っている。
終