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【短編小説】スケッチをする人

 スケッチをする人がいた。

 80代くらいと思われるその男性は、ある郊外の駅前に腰を下ろして、いつもひとりで絵を描いていた。

 私は通勤の際に、しばしばその男性を見かけた。
 朝早くスケッチをしていることもあれば、私が帰宅するときにいることもあった。

 しかし、描いている絵を覗いてみても、さっぱりわからない絵だった。
 風景画には違いないが、現実の景色とは似ても似つかない風景だったからだ。

 しかも、毎回、同じ場所に座り、同じ方向を向いて描いているにもかかわらず、ある時は、高層ビルを描いていたり、またある時は、単なる平地を描いていたりと、毎回のように絵が変わっていた。

 私は気になって、その年配男性に尋ねてみた。

「あのう、何を描いてらっしゃるんですか?」

 だが、年配の男性は返事をしてくれなかった。
 私は無視されたと思い、なぜだか恥ずかしくなって、その場から立ち去ろうとした。

「・・・だよ」

 聞き取れなかったが、男性は立ち去ろうとした私の背中に向かって、何やら言葉をかけた。

「え? 何ですって?」

 私はもう一度、年配の男性に尋ねてみた。

「未来だ。わしは未来を描いとる」

 --未来?

 私は思わず彼のスケッチブックを覗き込んだが、そこに描かれていたのは、まったく見覚えのない駅の風景だった。

 この人、おかしくないか?

 一瞬、胸の奥に違和感が広がったが、それはある単語によって消えていった。

 --認知症。

 そうだ。
 この人、認知症だ。

 駅前でスケッチしているのに、描いているのは未来だ、なんて、よほど変な人か、もしくは認知症の人に違いない。

 私は何も言わずに立ち去ろうとした。

「この絵は10年後だよ」

 みると、きれいな絵だった。
 駅の風景は新しい駅へと変わっており、建物もカーブのついたガラスで覆われているなど、未来的な感じを受けた。

「へえ~」

 私はさも感心したように言ったが、内心ではこの人とあんまり関わらない方がいいな、何で話しかけちゃったんだろう? と、後悔していた。

 そのことを、男性は感じとったのか、私にこう言ってきた。

「信じとらんのだろう?」

 男性は私の顔を見ることもなく、スケッチブックを見つめたまま言った。

「え、ええ、まあ」

 私は自分の気持ちを見透かされたようで、気まずかった。

「では、20分後の未来を描いてやろう」

「は?」

 男性はスラスラと、ものの5分ほどで一枚のスケッチを描き上げた。
 絵はたいへん上手な人だった。

 おそらく、これまで画家として生きてきたのだろう。
 それが、このたび認知症になってしまったのだ。

 肝心の絵だが、男性のいう20分後には、駅の階段から転げ落ちる若い女性の姿があった。
 急いで帰ろうと思ったのか、もしくは、歩きスマホをしていて足を踏み外したのか。

 そんな情景が20分後だという絵には描かれていた。

「ありえない」

 私は思わず口に出してしまった。

「この絵はあんたにやるよ」

 そう言いながら、男性は立ち上がると、さっさと片付けはじめた。

「あんたは検証してくれればいい。20分後に何が起こるかな」

 年配男性は帰って行ってしまった。
 帰り際にこう言い残して。

「病院に連れてってやってくれ」

 男性は階段から落ちるであろう若い女性のことを言っているのだろう。
 20分後に起きる未来の。

 困った私はぽかんと絵を持ったまま立ちすくんでしまった。

「バカバカしい」

 とは思いつつも、気になって仕方がなかった。

 --私は20分待った。

 じっと待つとなると20分という時間は長く感じるものだ。
 男性が描いていた位置から動かずに、私は絵をかざした。

 バカみたいとは思ったが、ひょっとしてということもある。
 私は緊張していた。

 --20分経過。

 立ち尽くす私の耳に、駅の遠くで響く電車の発車ベルが聞こえる。

 やっぱり、バカバカしい……。

 私は歩き出そうとした。
 そのとき--。

「キャーッ!」

 女性の悲鳴とともに、ひとりの女性が階段を転げ落ちてきた。

「え?」

 その女性は階段から落ちると、地面で動かなくなっていた。

 私は女性に駆け寄る前に、絵を確認してしまった。

「・・・・・・この通りだ!」

 私は手が震えるのを感じながら、女性に駆け寄っていった。

「だ、大丈夫ですか?」

「う、うーん」

 女性は意識はあるようだが、うめくように言った。

「い、今、救急車を呼びます!」

 救急車を呼びながらも、私は年配の男性が描いた絵が気になって仕方なかった。

 本当だった。

 本当に若い女性が階段を転げ落ちてきた。

 まさに、あの男性が描いた通りの情景が、私の目の前に繰り広げられていた。

 私は驚きを隠せなかったが、現実にケガをしている女性が目の前にいる。
 まずは、女性の身を案ずるのが先だった。

 やがて、救急車が到着し、女性は担架に乗せられた。  
 そして、私にも乗るように求めてきた。

「いや、私はただの通りすがりですから・・・」

 と断ったのだが、意識が朦朧とする中、ケガをした女性がどうしてもと言うので私も乗ることにした。

 救急車の中で私は男性の絵をまじまじと見つめていた。
 あの時点では、予想もつかなかった出来事である。

 なぜ、彼には見えたのだろう? 

 ひょっとして、彼は本当に予言者なのだろうか?

 病院に着くと、女性が診察を受けた。
 幸いにも、ケガというケガはなく、軽い捻挫で済んだということだった。
 あんなに激しく転んでよく軽い捻挫で済んだなと思ったが、運が良かったのだろう。

 女性は私にお礼を言うと、連絡先を教えてほしいと言った。
 女性は20代前半くらいの若い女性である。
 私は30代独身だから、久しぶりに女性と連絡先を交換した。
 私の心は浮いていた。
 ドキドキして、今後の展開を予感していた。

 その翌日--。
 私は、またあの年配の画家に出くわした。
 今日も何かを描いている。

 しかし、私が近づくと、彼はすぐにスケッチをやめ、片付けはじめた。

「昨日の出来事は本当でしたよ」

 私は感心したように言った。

「そうだろう。年寄りはウソをつかんからな」

「今日の絵も見せてくださいよ」

「見せてやる。だがな、未来は変えられん。わしが描く絵は未来に必ず起きることだ」

「へえ~。今度は何が起きるんですか?」

 私は期待を持って聞いた。

「それは見てからだ。わしには何もできん。当然、あんたもだ」

 男性はなぜか怒っているように答えた。

 そして、せっかく描いた絵を折り畳んだまま私に渡すと、さっさと帰ってしまった。

 私には訳がわからなかったが、何か怒らせるようなことをしたかな、と不思議に思いながら折り畳まれた絵を見てみた。

「・・・・・・」

 私は愕然とした。
 そこに描かれていたのは--私だった。
 私そっくりな男がナイフを突き立てられ、血溜まりの中に倒れている絵だった。

「バカな・・・・・・!」

 そう思うと同時に、私はいよいよこの時が来たと感じた。

 実を言うと、私はひき逃げをしたことがある。
 ニュースにもなったが、私はひき逃げによって、若い男性を殺しているのだ。

 毎日、いつ捕まるだろうかと、今でもびくびくしている。

 私はいつも恐怖があった。
 日々、怯えて暮らしてきた。 

 ついに、この日に私は殺されるのだ。

 一体、いつになるのだろう?


 それから2年が過ぎた。
 私はまだ生きている。
 髪の毛は死の恐怖とストレスから真っ白になった。

 あの絵はいつのことだろうか? 
 私は毎日怯えている。
 いつ刺されて殺されるのだろうかと。

 こう思うことがある。

 これはあの男性が私に課した刑ではないかと。
 未来を描いているなどとうそぶいて、実際には階段から落ちた女性と結託して、私を信じ込ませたのだ。

 そして、ひき逃げした私に、いつか殺されるかもしれないという現実的な恐怖心を植えつけたのである。

 かなり濃厚な線だろう。

 しかし、それも憶測にすぎない。
 私がいつ殺されるのか、という恐怖心はぬぐえない。

 肝心のあの年配男性とは、もう会っていない。
 どこかへ消えてしまった。
 階段から落ちた女性もまた音信不通だった。

 私は気が狂わんばかりになっており、気がつけば精神病棟にいた。

 こんなことなら、自首すべきだった。
 時すでに遅し。
 私はすでに廃人同然なのだ。


 スケッチをする人・・・。

 --なぜ、彼はあんな絵を描いたのか?

 本当に、未来を見ていたのか?

 それとも--。

 彼は私の罪を知っていたのか?

 証拠がなく、私が捕まらなかったために、被害者遺族が結託して、私をおとしいれたのか?

 今となってはわからない。

 私は毎日、病院のベッドの上で、これまでの人生を振り返りながら、懺悔の日々である。



 終

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