
【短編小説】罪金交換
「矢井田(やいだ)死刑囚、最後に言い残したいことは?」
「私はやっておりません」
「他に言いたいことはないのか?」
「私はやっておりません!」
「矢井田死刑囚、前へ!」
矢井田は吊り下がったロープへと進んだ。
刑務官たちが矢井田の首にロープをくくりつける。
刑務官たちは別室へと移った。
「執行!」
3人の刑務官たちが同時にボタンを押すと、床がガタンッと抜けた。
「私は犯人を知っているッ!」
「!」
矢井田は叫びながら、首にかけられたロープでぶら下がった。
ぶらんぶらんとしばらくもがき苦しんでいたが、やがて動かなくなった・・・。
刑務官であり、今回の死刑を執行した小原(おばら)は、矢井田の最後の言葉が何度も耳の中で反響していた。
「私は犯人を知っているッ!」
犯人を知っている?
まさか。
死ぬ直前に吐いたウソだろう。
いや、しかし。
もし、本当ならば、なぜ今まで言わなかった?
確かに、一貫して否認していたが、犯人を知っているとは言っていない。
まさか、無実の人間を闇に葬ったのか?
いやいや、法に基づいて従ったまでだ。
だが、しかし・・・。
小原は葛藤していた。
そのことを所長に打ち明けると、
「君は何年この仕事をしている? ひよっこか? だったら、気にするな。我々は法に基づいて執行するまでだ」
事件の概要とは・・・。
空き巣の常習犯であった矢井田は、資産家の佐々木さん宅へ押し入った。
そこへ偶然、ご主人と娘さんに遭遇し、2人とも殺害してしまった、という事件である。
ただ、疑問点は多々あった。
まず、殺害方法だが、なんと毒殺なのである。
空き巣に入った強盗が、家主に出くわして毒殺するなんてことは、まず、考えられない。
ましてや、矢井田が事前に毒物を手に入れたという証拠もなかった。
にもかかわらず、なぜ、矢井田が犯人にされたのかというと、毒の入ったビンから矢井田の指紋が検出されたからである。
これが動かぬ証拠となり、矢井田は起訴され、死刑囚となった。
果たして、本当に矢井田が殺したのか?
小原は少し調べてみることにした。
といっても、もうすでに矢井田は死んでいる。
死刑囚として、天寿を全うしたのだ。
だから、今更、調べたところで何も変わりはしない。
事件はすでに決着をみたのだから。
しかし、小原はどうも気になっていた。
矢井田の最後の言葉。
「私は犯人を知っているッ!」
死ぬ直前に言う言葉としては腑に落ちない言葉である。
ただ、事実でなければ、言うはずはないだろう。
死ぬ直前にどうしても伝えたかった言葉だ。
そのことを胸に、小原は被害者宅へと向かっていた。
「あの男はやっと死んだんですね」
被害者の妻、佐々木洋子(ささき ようこ)はそう言った。
被害者はこの家の主人と娘だった。
洋子は市会議員をしている。
夫は洋子の秘書をしていた。
「あの男が死んだって、私の家族は帰ってこないですよ。何も変わらないですよ」
当たり前だが、洋子は矢井田のことを苦々しく思っているようだった。
「この5年間、どれだけ苦しんだことか」
事件からは5年が経とうとしていた。
「事件当日、自宅にはご主人と娘さんがいらしたんですね?」
「ええ、私は出掛けておりましたから」
「そこへ、偶然、死刑囚の矢井田が空き巣に入ってきたと」
「ええ、そうです」
「運が悪かったということですか?」
小原は怒られることを覚悟で聞いてみた。
「そういうことになりますかね」
意外な答えだった。
普通なら、運が悪いで済まされてはたまらないとでも言いそうだが、洋子は素直に受け入れた。
「矢井田は苦しんで最後を迎えましたよ」
小原は事実を伝えた。
その時だった。
一瞬、ほんの一瞬だった。
ほんの少しの表情の変化だったが、小原は見逃さなかった。
洋子の口元が一瞬、ニヤリとしたのだ。
この洋子に対する違和感はなんだろう。
小原は感じた。
洋子は犯罪に関わっているのではないか。
そんな疑問が湧いていた。
洋子が犯罪に関わっているとするならば、どうして、家族を殺すことに関わっているのか。
夫はともかく、娘まで亡くなっている。
母親が娘を殺すことに関わるだろうか。
確かに、矢井田が空き巣に入ったことは間違いない。
そこで、洋子とどう関わったのか。
洋子からは違和感しか感じない。
長年、犯罪者と向き合ってきた小原にとって、洋子は犯罪者と同じ違和感がしたのだ。
まず、小原は知り合いの刑事に聞いてみることにした。
「バラさん、また蒸し返してんの?」
知り合いの刑事は呆れたように言った。
「いやいや、どうも、気になっちゃってね」
「まったく、困ったもんだよ、バラさんも。もう解決したんだからさ。そういやあ、この事件、気になって調べてた人がもう一人いたな」
「誰、誰だい? 教えてくれないか」
「バラさんと同類ですよ。気になったら、いてもたってもいられないっていうタイプ」
その刑事は、定年間際のベテラン刑事だった。
「あの事件を調べてるんですって?」
小原は単刀直入に聞いてみた。
「死刑になった矢井田の件ですね。あいつはやってませんよ」
「実は私もそう思ってるんですよ」
「ほう、それはまたどうして?」
ベテラン刑事は小原に意見を求めてきた。
「私の場合は単なる勘ですけどね」
「そうですか。勘ですか」
「また冤罪を引き起こしたのではないかと、心配してるんです」
「ええ、間違いなく冤罪だったでしょうな」
「いいんですか、そんなことを言って」
「俺はもう退職しますからね、それに、俺はつまはじきものでしてね」
「そうですか。仲間はずれにされとりますか」
「そこまでは言っとりませんがね」
「それは失敬。では、どうしてそう思われるんです?」
「アリバイがあったんです」
「矢井田にですか?」
「ええ、被害者の死亡推定時刻に矢井田は別の場所で目撃されとるんです」
「では、どうして?」
「被害者は毒殺であること、また、目撃証言が確固たるものではないと、判断されたんです」
「毒殺による時間差みたいなものですか」
「そのくせ、検出された毒物は即効性の高いものでしたからね。矛盾しとるんですよ」
「なるほど」
「にもかかわらず、目撃証言は揉み消されました」
「不都合な証拠だったから、ですか?」
「もちろんです」
「では、真犯人は一体、誰なんでしょうか?」
「今のところはまだわかりません。ただ・・・」
「ただ?」
「佐々木洋子は何かしら事件に関わっておりますな」
「やはりそうですか! 私もそう考えていたんですよ!」
「噂では、佐々木洋子には相手がおるようです」
「相手とは?」
「浮気相手ですよ」
「ええ! 真っ黒じゃないですか!」
「そうなんですわ。ただ、相手が見つからんのです」
「見つからない?」
「相手が誰か、わからんのですわ」
「ということは、佐々木洋子による殺害が濃厚ですか?」
「おそらく、その線でしょうな~」
「ただ、証拠がないんですね?」
「その通りですわ。お手上げなんです」
ベテラン刑事は肩をすくめた。
佐々木洋子による犯行という疑いがあるのに、確固たる証拠は全くない。
矢井田の名誉のためにも、是が非でも洋子を捕らえたい。
その前に、おさえるべきは、洋子の浮気相手かもしれない。
小原は議員会館へ向かっていた。
洋子は市会議員をしている。
もし、浮気をしていたのなら、噂の一つや二つ、あるかもしれない。
議員同士、口を割らないかもしれないが、何せ、殺人事件である。
すでに犯人の死刑が執行されたとはいえ、真実は追求しておかなければならない。
小原は議員会館へと突入した。
「部外者の方は入れないんですよ」
早速、警備員に捕まった。
予想していたことだが、こんなことなら曲がりなりにもベテラン刑事を連れて来ればよかった。
「そこを何とかお願いしますよ。こちらは捜査の一環で来てるんですから」
「だって、刑事さんじゃないでしょ?」
「それはそうなんですが」
「だったらダメです。捜査権がないんだから」
「警備員さん、噂話って知ってる?」
小原はいたずらっ子のような顔をして聞いてみた。
「知ってても言えるわけないでしょう!」
結局、警備員の壁はこじ開けられなかった。
どうしたものかと思案した挙句、小原は議員の一人一人に電話をかけることにした。
しらみつぶし電話作戦である。
議員に1件1件連絡をし、ひっかかる人間を探した。
なかなかいなかったが、一人、話してもいい、という女性議員がいた。
小原は、議員会館から少し離れたカフェで落ち合うことにした。
女性議員からは誰にも言わないで欲しいと頼まれた。
しかも、女性議員は変装までしてきていた。
用心深さがうかがえる。
「警察に聞かれても言いませんでしたけどね、彼女、浮気してるのは事実みたいです」
開口一番、女性議員はそう言った。
「問題はそのお相手なんですが」
「噂ですけどね、聞いたことありますよ。まあ、犯人が死刑になったから言いますけどね」
「どなたなんですか?」
「福永さんという方です」
「福永?」
小原は福永という苗字に心当たりがあった。
しかし、それはないだろうという気持ちだった。
「ど、どういったお仕事をされてる方ですか?」
「警察官です」
「え?」
「あ、間違えました。刑務官らしいです」
小原は一瞬、言葉を失った。
間違いない。
小原の部下の福永だ。
まさに、矢井田の死刑執行のボタンを押した3人のうちの1人である。
「あ、ありがとうございました」
小原はまさかという思いだった。
翌日、小原は職場に着くやいなや、部下の福永を問いただすことにした。
まさか、福永が犯罪に加担しているのか、もしくは、犯罪に巻き込まれているのか。
「福永くん、ちょっと」
福永は素直に応じた。
誰もいない柱の陰に誘導する。
「君は、市会議員と仲がいいのか?」
「え?」
福永は、驚いた表情を見せた。
「はっきり言ってくれ」
「・・・」
「どうなんだ?」
「俺がやりました。俺が・・・殺しました」
「ええ⁉︎」
福永は真実を語りはじめた。
福永は36歳。
真面目な男である。
それがなぜ?
俺が殺した?
どういうことだろう?
小原は福永の言葉に耳を傾けた。
「彼女と知り合ったのは、仕事上の付き合いからです」
「仕事上?」
「刑務所のイベントがあったでしょ。そのときに、問い合わせがあったんです」
「問い合わせ?」
「刑務所内での暮らしを知っておきたいって言ってね」
「佐々木洋子議員か?」
「はい、彼女からです。それから、意気投合して付き合うようになりました」
「不倫だよな。何とも思わなかったのか?」
「今思えば、一時の気の迷いでしたね」
「殺したというのは、まさか?」
「ええ、俺が旦那と娘をやりましたよ」
「ど、どういうことだ? なんでお前が? お前は刑務官なんだぞ」
「あのときは、どうかしてたんすよ。俺が青酸カリを手に入れて、お茶に混ぜたのを彼女が2人に飲ませたんです」
「動機は?」
「彼女と一緒になるためですよ」
「何でお前・・・まあ、いい。真相を話してくれ」
事件の真相はこうだった。
矢井田が空き巣に入ったとき、実は、中には佐々木洋子と福永だけがおり、2人でベッドに横になっていた。
そこを矢井田に見られた。
矢井田は何も盗らずに逃げようとしたが、洋子が引き止めた。
「100万あげるから、誰にも言わないで」
そのとき、部屋で3人、お茶を飲んだそうだ。
話し合いの末、結局、矢井田は200万で黙ってやるということで手を打った。
この時、矢井田の指紋が付着している。
のちに、毒物の入った容器となったシュガーポットに矢井田は触れているのだ。
この場はこうして収まったはずだった。
だが、福永と洋子は別のことを考えていた。
夫と娘の殺害だ。
2人は邪魔だった夫と娘を青酸カリで殺害。
警察に通報した。
家の中には、なぜか油断をして手袋を外していた矢井田の指紋があった。
こうして、矢井田は2人の殺害容疑で逮捕された。
しかし、矢井田は口を割らなかった。
なぜなら、矢井田が口を割らない場合は、矢井田の妻にお金がいくことになっていたからだ。
現場で受け取った200万に加えて、警察に話さなければ定期的にお金を渡すと洋子に言われていた。
殺人事件の犯人になることと、お金とを交換した形だ。
矢井田にはお金が必要だった。
子供はいなかったが、妻が難病を患っていた。
そのため、お金が必要だった。
まさに、死ぬまで矢井田は口を割らなかった。
死ぬ直前に、思わず「犯人を知っているッ!」と叫んだっきりである。
その無念はいかばかりか、計り知れなかった。
洋子と福永は、矢井田の妻にお金を払い続けた。
それは、死刑が執行されるまで続いた。
矢井田の妻が入所している施設へ密かに振り込まれていたらしい。
ただ、矢井田の死刑が執行された途端、送金はストップした。
それにしても、佐々木洋子はなぜ、娘まで殺したのか。
それは単なる嫉妬心だった。
夫の連れ子だったということもあるかもしれない。
洋子は夫と常に揉めていたという。
仕事のこと、家庭のこと、娘のこと。
娘は常に夫の味方だったらしい。
市会議員という地位を得ながら、家庭に洋子の居場所はなかったのだ。
そのくせ、夫は離婚を拒否していた。
夫にとって妻は金ヅルだったのかもしれない。
我慢ならなくなった洋子は福永と不倫をした。
そこへ運悪く、矢井田が空き巣に入ってしまったというわけだ。
「矢井田は空き巣犯ではありましたが、殺人犯ではありませんでした」
小原は所長に報告した。
「それがどうした」
「え?」
「もう死刑は執行されたんだ。この事件については解決済みだ。今更、何を言われても、何も変わらんよ」
「いや、しかしですね」
「我々は間違ったことはしていない、以上だ」
確かに、真犯人がわかったところで、矢井田が死刑になったことには変わりない。
事件としては解決済みなのだ。
一事不再理によって、再度、裁判が行われることもないだろう。
そして・・・。
福永と佐々木洋子も死んだ。
福永が抵抗する佐々木洋子を襲い、メッタ刺しにして殺害したという。
続いて、福永は佐々木洋子を殺した同じ包丁で自ら首を切り、この世を去った。
あたり一面、血の海となり、凄惨な現場だったらしい。
あのベテラン刑事が伝えてきた。
ただ、矢井田の妻は難病を抱えながらも、懸命に生きている。
それだけが救いだった。
小原は花を持って、矢井田の妻の施設を訪れた。
妻には、矢井田が死刑になったことを伝えていないらしい。
また、夫に会えると信じているのだ。
「はじめまして、小原といいます。調子はいかがですか?」
終