公立高校総合学科に通う意外なメリット【「みんなと仲良く」から逃走する手段としての選択肢】
今の時代、学校という存在は子どもたちにとってどんな存在なのでしょうか。
特に小学校から中学校まで、同一クラスで学び、学校行事も一緒という閉鎖的な空間で過ごすことで追いつめられる児童・生徒がいることは間違いないところです。また、社会がその問題を認識しているにもかかわらず、その救済という点では、対応は極めて不十分だと感じます。
また、そのような児童・生徒は、管理者という立場での学校の先生には、時としてノイズのような好まざる存在として映り、余計な負担を押し付けられる存在として認識されている。さらに、問題が生じれば、教師を叩くという風潮もあり、「問題が存在しているけれど、問題は存在していないことになっている」社会問題のひとつなのではと感じます。
いろんなことを学校に押し付け、結局学校の先生が負担を強いられる構造になっている点に疑問を持たない社会のありようをどのようにしたら、改善できるのでしょう。とても大切な問題ではと思います。
そんな外部の影響が及びにくいクラスという閉鎖的空間にあって大きな問題として横たわっているもののひとつに「みんなと仲良くする」という価値観があるように思います。昨今、コミュニケーション能力が重要だという風潮もあり、人間関係を上手く築けない児童・生徒は、時に彼らの問題として切り捨てられているのではと感じています。
解決の糸口はないものかなと感じている矢先、公立高校の総合学科に通う生徒の担当になりました。
総合学科の公立高校は、かつて商業高校だった学校の改組によってできた学校が多い印象ですが、現在は大学進学を目指すこともできる点も魅力になっている学校です。
通っている生徒に聞くと、一応、クラスというものはあるようなのですが、登校して朝のホームルームが終わると、散り散りになって自分が受ける授業のある教室に向かうのだそうです。大学の受講システムとほぼ同じのようです。
その生徒に言わせると、クラス単位という意識がみんなにあまりないので、人間関係が気楽でいいとのこと。
その生徒は、普通科の進学校に行ってもよかったのでは?と思う程成績は良いのですが、あえて人間関係の気楽な仕組みの学校を選んだようです。
もしかしたら、小中学校で辛い体験があったのかもしれません。
私もクラス単位の良さと束縛されない自由さを天秤にかけると後者に価値を置くタイプだったので、大学生になって「気楽になった」と感じたものです。
今もあるのかは知りませんが、大学生が友人ができないことを気に病んで、「便所飯」を選んだりする話を聞くと、大学生になっても高校生的なつるむ文化を引きずる若者の姿に驚いたものです。それだけ、みんなと仲良くという価値観は大きく、友達がいないことは劣等感に繋がっているのでしょう。
個人的には、みんなと仲良くというのは、一つの価値観であって、普遍的な価値観ではないと思います。高校生くらいからその価値観から卒業する人がいてもいいのではと思います。
総合学科の高校を選べば、「みんな仲良く」の価値観から逃走できるのであれば、選ぶ価値はあるのではと感じます。