永田キングというコメディアン。
(今回は、目次を行ったり来たり。
画面の広いパソコンの方がおすすめです。
そして肩のこるお話なので。体調のいいときにどうぞ。(^o^)丿
まじめに読むと目が回ります。
ざっくり読もうとしても、あなたはつかれます。
(…え。読ませる気がないの。(;・∀・))
いいえ。とんでもない。人に伝える気ぃの薄い語彙が、いつもより多めにまぶされ 渋滞しております。(…結局どっち。(;・∀・))
みなさま。どうか本当、体調のいいときに。あしからず。)
今回お話しようと思う主要人物。
永田キング(ながたきんぐ)
澤田隆治(さわだ たかはる)
エンタツ・アチャコ(えんたつ・あちゃこ)
香川登志緒(かがわ としお)
近代漫才の父と言われているエンタツ・アチャコ。その活躍は、コンビを結成して4年間だけだった。山口百恵ちゃんですら、7、8年程活動をしていたのに。4年。
私には、歴史に関して一本の軸がある。一本の時間軸があって、「一方 その頃世界では…」と。脳内トラベルをする。だから【渋沢栄一とモネって、タメ(同じ年)なの?…だとしたら。もしや、パリ万博の会場で すれ違っていたのではないか】とか。答えのない歴史の 時間軸パズルをして、あそぶ。
さて。今宵は永田キングのお話と参ろう。
永田キングの詳しいお話は、澤田隆治さんが残してくれている。
note.にも。お話されている方がいらっしゃる。
故に私は話さなくてもいいかなあとも思っていたけれど。冷静に考えて。
「永田キング…?誰だ」と思う母数は、多ければ多いほどにいい。
(チーズと 成績と、動画配信者にとっての再生回数は、伸びれば伸びる程にいい。…そういうのすきよな(;´∀`) だまれよ。(^◇^) …(゚Д゚;)!?)もとい。
電子マネーも、SNSも。使用している人の母数が増えれば増えるほど。
より使いやすくなる原理に近いのかもしれません。
母数を増やす。私をきっかけに、この 演芸好きの 我も気も なかなかに お強い 澤田隆治さんの。
(以後、面識はございませんので、勝手に澤田のおっちゃんとお呼びさせて頂きます。※関係者ああ、読むなよお(^O^) THE 門外漢の、知らんから言えること(^ω^))そんなおっちゃんの、意志を引き継ぐ方が現れればいいなあと思います。
澤田のおっちゃんの著書「永田キング」ってどんな本?●●●
はっきり言って澤田のおっちゃんの著書「永田キング」は、読みにくい。難しそうで、魅力的なタイトルでもない。買おうとも思わない。だが、私は手に取った。何故なら。図書館で、図書館なのに。図書館であるにも関わらず。誰にも一度もページをめくられた形跡がなくて、ほぼ新書のような においをしていたから。(かいだわけじゃないよ。雰囲気です。割と最近に出た本だからというのもありますが。それにしても。(^-^;
時々見掛けます。頻繫に図書館には行かないけれど。
図書館で、図書館なのに。図書館であるにも関わらず。誰にも、一度もページをめくられた形跡がなくて、自他共に認める実質・新書。「自」って、本に直接聞いたのかい。… ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ
図書館で。図書館の人が。本が傷つかないようにカバーを掛けるのに一度パラパラした程度の。(わかる?つたわれ (^-^))
私も、おっちゃんのお名前を知らなければ(おっ)と思って、手には取らなかっただろう。ページを開いたら開いたで、なんて濃いお話なんだろう。良い本だけど。すごい本だけど。もうちょっと薄めたものを。いや、己で薄めて いい塩梅に出来る者におっちゃんは書いているんだろうなあ。澤田のおっちゃんの著書「永田キング」。
【ここから具体的にどんな本か言ってます。】
それは、おっちゃん自身が駆け出しの頃。(おっちゃんは芸人さんではないよ。)晩年の永田キングの芸をみて、衝撃を受けたこと。【掘下げ①※下記参考】そして、そこから四半世紀。
ある時、おっちゃんは、吉本興業の「戦前のプログラム」を見ていました。【掘下げ②】
すると、そこに永田キングの名前を見付けて「えっ⁉」と思い。吉本に電話を掛けて聞いたけど、戦前のことやし。勿論、知っている人が少なくて。(※この頃のおっちゃんのライフワーク・演芸史の資料集め。 おっちゃんが何者なのかは、また追々。)
おっちゃんは、思ったようです。
「永田キングに関する資料が余りにも少ない。いま、集めないと。どんどん消えていく。」
それがおっちゃんの天命だったのかどうかは分かりませんが。
澤田隆治。御年(その当時、おいくつだったのは定かではありませんが。)老体に鞭打って、徹底的に永田キングを追いかけ回した。どんな芸風で、どこで活躍をし、どんな さいごだったのか。その情熱というか執念といいますか。(多分、おっちゃん、よう知らんけど。よう知らんから言えるけど。字ぃの色からして、めちゃ頑固。(;・∀・) …「も」って、なによ。
「も」?…(^ω^)?
頑固とは。説明しよう。 (急にどうした。)
頑固とは。【距離を置いてみれば、 それなりに かわいいやつなんですが。こうも近くにいると、そのわがままさ 図々しさにうんざりです】というむかしのクレヨンしんちゃんのオープニングテーマがよくお似合いの人物のことで、いまワタクシメが、思い付きました。(∩´∀`)∩ …( ̄д ̄)?【掘下げ④】
B.B.クィーンズ/夢のendはいつも目覚ましより。……まじで、まじで一回おこられろ( ̄д ̄)っ、※関係者あああ。読むなよお(^O^) うんうんと。そうだそうだと。頷いておいてねえ。(*´ω`*)レッツいつもより多めに顔文字をまぶして誤魔化すやつヽ(^o^)丿家♪)その集大成が自身の著書「永田キング」でありました。
【う、うすめますね。】
とりあえず、おっちゃんの話(著書)は濃い。
否、濃ゆ‐い。
カルピスの原液が飲みにくかったら、薄めて飲めばいい。
私というフィルターが、ちょうどいい薄さになれば幸いです。
簡単に【おすすめです】とは言いにくいけれど、こんな方になら。●●●
さて。永田キング。まだまだコアで。ちょっとむずかしい。
キングを知るには、彼の生きた時間軸と、エンタメという産業の歴史が、(歴史という言い方をすると ちょっと、勉強感があって。胃が、うってなりますよね。(^-^;)
なんとなく。時間軸が流れていると。よりおもしろい。あなたがおもしろいと思うかはさておいて。私は、全ての時間軸が、直列つなぎになる瞬間におもしろいと思う。(演芸史+テレビ史+その他 時事=流れ。)
何より、コメディがすきな方に。キートンや、チャップリン、それに、ロイド。他にも、たくさんの素敵な、カルピスの原液のようなコメディがあるんだよって。おっちゃんの情熱は、おっちゃんの言っている言葉以上に純粋に演芸やコメディが好きな方に向けて記されておりました。
きっとおっちゃんは、同じ業界の人だけに書いたわけではないと思います。結果的には好きすぎて生業にしたけれど。ただの演芸好きの。 我も気も お強いおっちゃんの。
『こんなおもろいのが、おるんやで。』とただ言いたいだけの。
永田キング推しのおっちゃんの、止まらない探求心のお話です。
(もう細かすぎて探偵ナイトスクープかよと(;´Д`)思いましたよ。楽しそうに考察して。
「Aさんはこう言っているけれど、Bさんはこう言っている。…そうなると、キングの年表に何年の誤差が出る…なぜか。(-ω-;)ウーン…」とか。
ご家族にまで会いに行って。ひとり探偵ナイトスクープですか。局長も探偵も、秘書も依頼人も。ついでに顧問も。みんな澤田隆治です。( ̄▽ ̄;) え。ウンパルンパ?)そして、おっちゃんの文字となり蘇った永田キング。何度でも言おう。永田キング。
私はいまはまだ、澤田のおっちゃんほど熱心にはなれないけれど。(だって映像が少ないんだもの。…( ̄д ̄)チェッ。 いやでも一つだけ映像を観て、スゴってなったよ。)【掘下げ③】活字でスポーツ漫才と言われても、当世とどう違うのかよう分らんかったけど。百聞より、一見。すっごΣ(・□・;)となりましたよ。しかもYouTubeではなく、インスタのリールで見付けて。載せてくれた方にも、芸に対してもひっくり返った。)
きっと。観る側も、観られる側も。
濃いめのカルピスがお好みの方は、好きな本です。
それに、
観る側の目ぇが、いまよりほんの少し肥えれば。
明日・明後日の観られる側の表現はもっとたのしくなる。
(がんばれ。表現者(^ω^) )
【この記事を制作現在(2023年)。YouTube上に永田キングの映像は、一本しかございません。多分、澤田のおっちゃんが、観た晩年のキングですが、キングではなく子供さん等が映っているだけで、よく分からない感じでした。母数が増えればいずれ観られるかなあと思います。】
要は、ただ私が観たいだけの。母数が増えたらいいなあという自己満足です。でもこんな自己満足でも、無理矢理、門外漢の視点から、オリジナルを貫こうとする自分自身を、実はきらいではなかったりもする。( *´艸`)
目次内《 》は、スキップ推奨。
(ほぐれた肩がまた凝りだすから、飛ばしていいよ。(^O^))
《少しコメディという括りから視野を広げえて見渡せば、》
角度を変えたお話をします。(ℋ↘Ⓚ)
日本は、文化立国です。文化の国です。
おしゃれな国・フランスの、フランス人がひっくり返る位、日本には色の名前が沢山ある。ドロドロの代表格・源氏物語がある。誰が書いたのかよく分からない堤中納言物語もある。ジャパニーズ・シンデレラ。落窪物語もある。ムーミンだって。あれは原作は海外ですが、日本がいちばん原作が揃っているらしいよ。スナフキンって、トーベヤンソンの元彼がモデルらしいよ。
歌も。『飼ってる鳥が 昔の人の 名前を呼んだ♪
にくらしいわね メランコリー♪』
(飼い主のあなたが教えたんでしょう…(;´Д`)
教えられる鳥の方が迷惑ですわ(ー_ー))と思ったり。
オペレッタも。メリーウィドウ。素敵な音楽。ハッピーエンド(・∀・)
だけど日本語のタイトル『陽気な貴婦人』。
本当にご陽気であれば、あそこまで恋愛をこじらせない。と思ったり。
ドラマも。コメディも。
言えばきりがない位、沢山ある。
文化 エンタメ カルチャー(/・ω・)/
(同じことを二回言ってサンドイッチしておきました。ゼロカロリーです。)
時代によって価値観は変わるけれど、真理は変わらないのなら。
目に見えるものではなく、目に見えないものを信じるなら。
すべての芸術。文化。
あらゆる文化は、きっと、あらそいごとの抑止力だと思います。
抽象概念を信じて進化をしてきたのに。
「世界平和」という人類が始まって以来、未だに成し遂げていない(言葉だけは存在する虚構。つまりは、)嘘。
その嘘を、世界の平和に関しては、「噓」だと信じきれない・中途半端に小利口になってしまった人類が、未だに信じて、虚構と分かっても尚、愛して すがって熱狂をする。
それが、文化なのかなあと。今のところは、思います。
どれだけ文化が抑止力でも、いちど はじまったもの。
起こってしまったことは、
例えどんな賢者であったとしてもすぐには止めにくい。
人は、人と必ず争う。良き争いもあれば、そうでないものも。
だからこそ。人を知る必要がある。そしてその手掛かりは、先人が残した文化の中に。そしてそれを嗜む現在進行形で歩む人類、わたしたちの日常生活の中にこそあると。今のところは、思います。
《アヘンであるとも思う。》
その文化の分類に含まれる エンタメの過剰摂取は、現実逃避。
無料動画は、新しい時代のアヘン。
かしこいAIが選りすぐってくれた おすすめの情報とコンテンツは、
次から次へと吸引出来る。アヘンのように。
確かにそうなのかもしれません。
さりとて。
ジャンキーなエンタメばかりを摂っているから、感受性がまもれなくなるのかと。どうかみなさま。栄養とバランスの摂れた文化摂取を。(自分にも言っております。垂れ流される情報ではなく、己で検索する検索力さえ磨けば。まだまだこころおどる出会いが待ってます。我々、柑咲亭はそういう者共の集まりです。※そういう寄席小屋がどこかにあります。)
《自分にぴったりの、届く言葉で。》
私共は、わたくし共の言葉が届く、半径3メートルの範囲内のおともだちに。私の身の丈に合った文化を。嘘と本当を交えてお話しようと思います。
ちなみに。また(ℋ↘Ⓚ)(なにそれ。流行らせようとしてる?(^^;))
以前、龍の絵を描いて「本当のお話」をしたら、コメントで「(龍の絵のおえかき)お上手ですね。…さいごの空想のお話も面白かったです。」と言われて、ひっくり返りました。え? (゜-゜) こちらこそ、予想外の角度からのコメントを頂いて。
ひっくり返して頂いて。…笑いをありがとう。
嘘の方が本当っぽくて、本当のことが、嘘にみえる。(´∀`*)ウフフ (*´艸`*)よきよき。
さあ。とにもかくにも。コメディに全く興味はないけれど、私に興味があるという稀有な方に向けても。お話しましょう。(^◇^) 君にだけ分かる言葉で。
やわらかく、
くだらなく、さびないものを。
あわよくば おもしろくをモットーに。
《歴史っ子・歴史っ子の真似をする。》
ムンディ先生に倣って。数字は出来るだけ避けて、流れで雰囲気で説明します。
【これが~時間軸~】
戦前・戦中・戦後。だいたいこの時間軸で活躍したのが、エンタツ・アチャコでした。永田キングも、その辺です。
キングは、エンタツ・アチャコより約15歳ほど年下です。
この時間軸と周囲の輪として。ざっくりと。
エンタツ・アチャコという登場人物を添えておきます。
何がどうもって近代漫才の父?~エンタツ・アチャコ~●●●
先に申し上げておきますが。私は、この記事を書くためにいちいち調べておりません。なんとなく。なむか知っているを、駄弁っている程度です。
(ただの駄弁りでここまで『なんとなく』でおれたら、それはそれで凄いと褒めてね。甜菜ですので(∩´∀`)∩)
そもそも「漫才」というのは、エンタツ・アチャコから始まった訳ではありません。大分と前からありました。猿楽とか?田楽とか?
玉子屋さんが始めたとか…?
(実際の歴史の授業も、人類のはじまりから学ぶのではなく、すっ飛ばして、ある程度の所から始めると雰囲気つかめるよ。専ら雰囲気やから、点数が採れるかはさておいて。そこから遡ってみていけば、コンプリート(^^)/そうすれば、その都度起きた出来事は、「なにが革新的だったのか」が掴めるのかと。雰囲気でいこう(^^) 雰囲気で。(^O^))
やがて「まんざい」は、萬歳だったか。万歳だったか。
子供が生まれたとき。結婚。新年など。事あるごとに、それはもう何かにつけて。
お祝い事で「お祝い事のあるお家の玄関で」、コングラチュレーションをする 袴を履いた二人組?(・・・誰にきいているの。)いま自分の脳内引き出しを開けて聞いてます。
玄関先で、コングラチュレーションな。袴を履いた…扇子と太鼓だっけ?傘?(いや 聞かれても。)今で言うボケが扇子で、ツッコミが太鼓?的な。(だから聞かないで。序盤で早々に躓くなら調べなさいよ(;´Д`) …やなこった。)
「おめでとうございます(∩´∀`)∩(^o^)丿」が万歳だった。
ちょっと違うかもしれないけれど。私が初めてそれを知ったときの、頭の中のイメージ。
染之助・染太郎 太神楽。【参考 見てもらった方が早いかも。】
「いつもより多めに回しております」
「おぉめでとうございます!」の。
傘くるくるの人です。
それから当世でいうと、すゑひろがりずも雰囲気そうなのかなあと思います。※あくまでもイメージです。
エンタツ・アチャコが何かにつけて父、父と言われるのは、今でこそ馴染みのあるサンパチマイクの前でスーツを着た二人が、ただ喋るというスタイルからでした。
(だいたいの父・母は、後の時代の視点から見ると、言われてもピンと来ない「今じゃあ普通じゃない?」をやってのけちゃったり。やり始めた人です。あるある (^^ ♪ )
(ちなみに。そこから時が流れて。【漫才というばスーツ】という概念から、【ジーパンとトレーナーを着て】出て来たのが、
超若手のデビューした頃の、中田カウスボタンさんでした。今はもうスーツを着ておられますが。
(はい。ここからまた長いので、次の次の区切り線まで飛ばしましょう。(2本先)(^o^)丿『これ今、なんの時間?』と彷徨っちゃうので、本当、次の次の区切り線まで飛ばした方がいいよ。※警告はした。目次という名のグーグルマップを右往左往してくださいね。( *´艸`))
《浜の真砂は尽きるとも世に駄弁りの種は尽きまじ》🍎🐢
(【ジーパンとトレーナー】のお話ついてでに。)
そして、お若い方が ベテラン(レジェンド・大御所)の方に向かって
生意気なことを言って、ベテランは 普段はそんな扱いをされないから、
久しぶりに いじられてちょっとうれしいという人間関係の笑い【別名・下剋上。※勝手に私が言っている(もとい。思っている)だけですので、余所では通用しませんよ。】で、若手のカウスボタンさんにいじられたのが、明治の最後の方に 「おぎゃあ」と生まれた。ぼやきのおっちゃんこと・人生幸朗さんでした。(人生 幸朗・生恵 幸子…夫婦漫才師。)
テレビという媒体が出て来てカラーになる頃には、ベテランだったぼやき。奥様の幸子さんが一度ご病気で入院される時期があって、その頃にお一人で出来る仕事としてテレビのゲストか なむかで出て来たぼやきに対して、カウスボタンさんのどちらか(もしくは、どっちも)が、ぼやきの命より大事な眼鏡を奪ったり、頭たたいたり無茶しよるをしたそうです。ぼやきとカウスボタンさんの気が合ったんでしょうね。(^^) そして、お若い人にいじられる=話し掛けやすくて、接しやすく、関わりやすい。例えキャラでも、キャリアを重ねた先、次のお仕事のやり方として。そんなお仕事の仕方をしなければ、おまんま食べられないと思っていたのかもしれませんね。(^O^)
それがきっかけで。当時カウスボタンさんを観に来ていた人等が、
「なんやあ、あのおっちゃん。( *´艸`)」
「ぼやき? おもろいなあ(*´ω`*)」
と、人生幸朗という名が若い世代に広まったそうです。
そして幸子さんが帰って来られて、劇場に立ったら。さあ本領発揮。お若い方から
「ぼやき、ぼやき」と。
『世間では、私のことを、ぼやき、ぼやきと。言われておりますが。何も私は、ぼやきたくて ぼやいてる訳ではありません。』
というのは、こういう流れもありました。実際、映像に残っているぼやきの漫才を観ると、年齢の幅が広いのが伺えます。
思うに。このときのことが純粋にうれしかったんやろうなあと思います。同世代・上の世代だけではなく。下の世代も、エイジレスにいけると思った自信は、何ものにも代えがたい ちょっとや そっとでは、揺るがない。誰もが経験出来るとは限らない、手応えだったと思います。
もともと時事ネタや世相をぼやいていたけれど、ネタを覚えるのが遅くて、覚える頃にはネタが古くなっちゃっていて。歌であれば、時事ネタよりも古くなるスピードがゆるい。ネタが覚えられるということで、当時最新の歌謡曲をぼやくようになったぼやき達。理由はネタが覚えられなかったとあるけれど、「歌に対してぼやき出した」という行為は、このときのこともきっかけにあるのかなあと。だって、誰かに媚びようとするだけでは、あそこまで続かないし。なにより、本人たちが故人になった後の世代にも刺さらないよ。
『「歯ブラシの毛」の種ちょうだい』にも。
『「歯ブラシの毛」の種ちょうだい』と言う前は、とがったことしたいなあというか。こういう時期があったんやなあと思います。
(これ終わるん?大丈夫?
なんの話やっけ。そう。
再び時間軸を、エンタツ・アチャコに戻そう。)
こういう時。PCの『貼り付ける』という文明の利器は、有り難い。(^-^)
エンタツ・アチャコが何かにつけて父、父と言われるのは、今でこそ馴染みのあるマイクの前でスーツを着た二人が、ただ喋るというスタイルからでした。
落語が主流の時代に、万歳はあれど袴じゃない。小道具も持っていない。扇子や太鼓は、どこへいった。なにより身なりは、何やあれ。寄席のお客さんからは非難され、ゴミや座布団、食べた後のみかんの皮を投げられて「帰れえ」という感じでした。それが、エンタツ・アチャコとして、の初めてのまんざいの感触でした。
でも二人には自信があった。どっちかが、どっちかに「まんざいやろう。」と言い出して。散々な目ぇに遭って。やっぱりあかんかったかと。袖で誘った方が、誘われた方に向かって申し訳ないなあと思っていたら。誘われた方は、ゴミを投げられた後やのに、にやりと笑って
「これぞまさしく、未完成(みかん )」
と言うたらしい。・・・本間かいな ( ̄▽ ̄;) 些かこの時のことが格好良く描写が残りすぎていて実際のところはどうなのかは分からないが。
とにもかくにも。
誘った方は、誘われた方のこの言葉に『この人とならやっていける』と思ったのかもしれない。
どっちがこのスーツを着て喋るスタイルをやってみようと言い出したのかは忘れましたが。元々、別々のコンビを組んでキャリアのあったエンタツ・アチャコ。二人に「組んでみたら?」と声を掛けたのは林正之助という吉本の、ああ。あの人かという人でした。(吉本せいさんの弟。)因みにこの吉本興業さんが、どこかの大きな劇場で、エンタツ・アチャコのまんざいを大きく売り出す為に、漫才という字を使って大々的に宣伝をして「漫才」となりました。
~なんで解散したの。~エンタツ・アチャコ。~●●●
何かにつけて父、父と言われる 実はファーストではないけれど、ファースト・ペングインなエンタツ・アチャコ。そのコンビの活動期間は、4年程だった。山口百恵ちゃんの方が、多分長い。
中耳炎で解散したんですってよ。(すぐ言う。おわり(^o^)
…ええぇΣ(;´Д`) なに。どういうこと。ちょうだい、もっと。
そういうの、頂戴という知識に蜜の味を感じるようになってきた
そこのあなた。(´ω`*) はやまりたもうな。)
どっちがどっちか忘れましたが。(多分、調べてもすぐに忘れるのよ、こういう類は。( ̄▽ ̄;))
ある時、どっちかが中耳炎になりました。当時、中耳炎というのは、不治の病やったらしく。芸人として耳の病気やし、(おまけに治らんって。)むかしの結核とかと同じ捉え方だったのかもしれません。
それでもう片方が解散しようと。(それ 人としてどうなのと思う人、さいごまで聞いて。)
自分から直接言うたら、仲わる なるし。具合わるい。(( ̄▽ ̄;)…(っ・ω・)ノ☆ぐーぱんち ☆Σ(ノ `Д´)ノ)
ここは、吉本が解散させたということにして頂けませんやろか。
お家はん。どうか頼んます…ということで。(この片割れの人間性を疑う前に さいごまでみてね。【合言葉は、時間軸(^^)/】)
『しゃあないなあ。理由が理由やし』というわけで。
「自分ら、コンビ組んだら?」
と言った林正之助さんではなく。(当時、支配人やったらしいよ。支配人には、そこまでの強制力がないというか。欠けるというか。
ここは、女のくせにではなく、
女だてらにと、世間に言わせた お家さんに。という訳で。)
吉本せいさんが、やわらかく、しなやかに 間に入って。吉本が別れさせたという事になった。(…その内部情報、漏れているということは。失敗に終わってない?( ̄▽ ̄;)・・・ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ )
ところが、治らんと思っていた中耳炎が無事に治って戻ってきた。
「…お家はん、なんとか治りました。またよろしくお願いします。」
というたら、お家さんの口から
「実はな、」
と、聞かされたもう片方。
(多分、エンタツさんの方やと思う。石田くん。
※本名で言うなあああ (;´Д`) ちょび髭の めがねの方。多分ね。
うっすら思い出してきたかも。※どうでもいいけど この能力すごない?)
【訂正:すごない。間違っている。全て書き終えてから改めて調べてみるとアチャコさんが中耳炎になってたみたいです。漫才の立ち位置と残っている写真が逆やからいつもこの二人どっちがどっちなのか分からなくなる(^_^;) 藤木くんが耳もわもわしたみたいです。※本名で言うなあああ (;´Д`) 】
生死をさまよう大病をして、やっと戻ってきたら解散させられてて、相方は、前のコンビの相方と 既にコンビを組んで、もう舞台に立っている。そうかあ。そうかあと。思ったかどうかは、知りませんが。石田藤木くんの方も、前のコンビの 相方とコンビを組みなおし、それぞれに活躍するようになった。(…いや、各々の 前の相方さんの気持ちよ
( ̄▽ ̄;))
しかし、お家さんが間に入ってくれたのが良かったのか。
後年、解散したあとの二人は、映画の中で度々エンタツ・アチャコとして共演することになる。(いや、各々のコンビの片割れの気持ちよ( ̄▽ ̄;))
この辺の解散のお話は、香川登志緒さんが明るい。
なんて言ったって、登志緒ちゃんの自慢は、【エンタツ・アチャコ。初代・桂春団治。それから、あと一人は忘れた】を、実際に生で 寄席で見ることが出来たということなのだから(^-^)
ああ。ここにも熱心な推し活している人、みっけ。(*´ω`*)
(登志緒ちゃんについては、また追々。)
澤田のおっちゃんといい、登志緒ちゃんといい。この門外漢は些か馴れ馴れしいのが 玉に瑕だが。人間の器の大きさが、大相撲の優勝杯くらいあると思うので多分、大丈夫と思いたい。( *´艸`)
ちなみに登志緒ちゃんと、
澤田のおっちゃんは仲わるいというのは、内緒ね。(^O^)
(※有名です。 一つの番組がなくなりました。
(;´∀`))
さて。仲のおわるぅ おふたりが(もう今頃、和解してると思うけど。)、あっちとこっちで『エンタツ・アチャコ』についてお話しています。上記のほとんどが、登志緒ちゃんから聞きかじったことです。
私が「へぇ、そうなんだあ」と思ったことです。(だから覚えています。)
【さらに解散の深掘り。】
ここからは、上記の登志緒ちゃんのお話をベースに。
『これは私の憶測やけど…』と。登志緒ちゃんの考察。
澤田のおっちゃんからの、活字情報。
そして、それらを勝手にブレンディングした なんとなくの私の考察です。
きっとほぼ ほぼ、お話は登志緒ちゃんの言ってる通りで、
そこに伊勢湾台風が含まれる。(※まちがえた。室戸台風です。これだけは調べました。台風発生の年代的に、多分、室戸台風です。ウィキペディアに当時の写真がありますので、興味のある方は、どうぞ。リンクは載せないけれど、写真を見たら想像がつきやすいかと。)
アチャコエンタツさんが、どこの地域にお住まいだったのかは、分かりませんが。写真を見る限り、そして後世の者がなんとなく その名前を聞いたことがあるなあというような、甚大な被害をもたらす大きな災害がやってきました。(写真みたけど、なんもなかった。)
エンタツ・アチャコと言えば『早慶戦』と言われる位、代表的な漫才【掘下げ⑤】があるのですが。当世と同じく、勿論 ふたりにも。他に、たくさんの漫才ネタがあり、現在『早慶戦』以外にも聴くことができます。
その中に『耳の耳』というのがあって、もしかしたら。もしかしたらやけど、急に中耳炎になったのではなく前々から予兆があったんとちゃうやろかと。登志緒ちゃんが言っていました。
登志緒ちゃんも、憶測で語っているだけなので自信なさげでしたが、生でエンタツ・アチャコを観ていて、一瞬でも同じ空気間にいたなら 時代の感覚とか。肌感覚で分かるわけやし。何より『テレフォンカード~』【掘下げ⑥】の登志緒ちゃんやし。有益な想像だと思う。
耳のことが漫才のネタにまでなっていて。ネタを考えて、書いて稽古して、しかも レコードにまで残っているということは、余程(中耳炎発症までに)時間があって。おまけにそんな時間があるなら、もう片割れは、
「一遍、診てもらえ」とか もしかしたら言っていたかもしれない。【これは、私の空想。】
そしてここに来ての、室戸台風。
「相方は飯の種。」という言葉を耳にしたことがある。
お家さんの『しゃあないなあ。理由が理由やし』には、多くのことが含まれていたのでは。
かなり前から予兆があって、すぐに行けばどうにかなったかもしれないものを(結果的には治ったけれど それはただの結果論。)、
ようやく足を運んだかと思えば不治の病の中耳炎。
おまけに明日をも分からぬ大災害。
誰もが笑える場合じゃない中、家族養わなあかん。
その時、自分に出来ることは。
それでも、生きながらえて残った命でやるべきことは。
本当の心は、本人たちにしか わかりません。
何なら、後年 再結成しているということは、もうその頃には、この時のことは覚えていないというか。忘れていると思います。
せやけど、澤田のおっちゃんと登志緒ちゃんの、それぞれから視たエンタツ・アチャコという存在は、この後の時代にも貴重なお話ということで語り継がれるであろうと私は、思います。
結局、永田キングって。●●●【結論】
さて。今回の主軸は、永田キングである。
だいたい似たような時代に生きたエンタツ・アチャコのお話が長くなってしまったが。しゃっと。きゅっと、言おう。(できるかなあ)
永田キングは、コンビの漫才師時代を経て、
晩年は、実の息子らとチームを組んで
野球のコント芸をしていたコメディアンである。
(コント芸という言い方があっているのか分からないけれど。)
テレビが出て来た時代には、既にエンタツ・アチャコはベテランだった。
一方、永田キングは、テレビという新しい媒体に出遅れた。
それは、なんかちょうど、海外で巡業していたからなんだって。
日本人初のハリウッドスターはすでにいたけれど、
日本人で海を渡ったコメディアン。
海外の番組出演の映像も残っているらしい。
(色んな所に行っていたらしい。)
【海外で活躍をして戻ってきた人よりも、(日本の中で、もしくは 企業の中で、)組織の中にずっと居る人の方が評価されやすい。それが日本人なんだよ。ずっと同じことをやる職人へのリスペクトが強すぎるんだよ。職人は確かにすごいけど。強すぎるんだよ。】
と。藤田嗣治について語った山田五郎にゃんの見解は、いつの時代も外を見て帰って来た我ら同族に対して、普遍的に刺さる言葉なのかもしれない。
そして、無意識にその言葉を刺してしまっている、我が民族は。
『ゆっくりと。確実に。安定して進化をしていくことを選んだ。』
と。お名前忘れちゃったけれど、海外の。すごく かしこい学者さんが言っていた。
「どちらがいい。わるいではなく。ただちがうだけなんだから。
もう揚げ足を取るのはやめよう」と。
そんな歩み方をする、民族なのだと。海の向こうのやさしい人が、教えてくれたんだから。そこは静かに足並みをそろえようと思う。( *´艸`)
よそはよそ。うちはうち。
どちらがいい。わるいではなく。ただちがうだけ。
そして当世は、必ずしも組織の中にずっと居る人の方が評価されやすいということもなくなってきた。かつてのような。男性が女性を養うだけの余裕がなくなってきたように。(女性の社会進出とかいう言葉の裏側の、本質的なものなんて そんなもんでしょ(^O^) こわ) 企業が、働く側の、ひとりの一生(世帯)に 雇用の対価として、退職まで賃金が賄えるほど、企業の稼ぐ能力が衰えて来たというのと。もしくは、ITによる作業の効率化で、外に行くことも。内にいることも。等しく評価されやすくなった。
今も昔も「便利が不便やなあ」と言いながら。ゆるやかに。そして、安定して進化をしてきた。
当世、作ったわいいけれど、使えるところが少ない新500円玉のように。「便利が不便やなあ」と言いながら。
その短所と長所は紙一重なのだと思う。
戻ってきたキングには、テレビでの活躍の場所はなかった。
時代が余りにも早すぎた男、それが永田キングであると澤田のおっちゃんが言っていた。(映画には出ていたみたいだけどね(^O^) )
そして。キングはコンビ時代。ニューヨーク生まれのコメディアン兄弟・マルクス兄弟の、グルーチョの装いの真似をしていた。どんな装いかって?眼鏡に、大きな付け髭。燕尾服。(多分、燕尾服。)
(マルクス兄弟。聞いたことあるけれど今回初めて見ました。兄弟の名前は、チコちゃんと。グルーチョと…。トッポかオッポか.…あとは、ガンモ?がんもどき(*^^) )
運動神経抜群で「スポーツ漫才」というものをしていたと。
さて。マルクス兄弟のグルーチョの真似と言えば、大きな付け髭に、燕尾服。音楽とダンス。・・・と来ると?)
(別に聴いても聴かなくても。全4分35秒)
志村さんはどうやらマルクス兄弟のファンだったようです。(キングからの系譜というより、どちらかと言うとのお話です。しかし、晩年のキング一党のコントや音楽性は、ドリフターズに通じるものがあるのかなあと思います。全てはパクリというより、「つい やってみたくなっちゃう」すきへのオマージュです。)
パクリとオマージュのちがいは、『パクリ』は相手の作品をスルッと丸々真似て、相手や関係者・「その作品がすきなファン」を傷付けてしまう人で。
『オマージュ』は、相手の作品の一部を拝借して、「その作品がすきな同士(ファン)」が、喜ぶかどうかで動く。心からたのしいと思えるような。きゃっはうふふを、ついやってしまって。何より作者と関係者に敬意をはらっている人のことをいう」と、思う。 【※ただの素人考えです。】
しゅっと まとめました。
手抜きWikipedia~だれ~●●●
永田キング(ながたきんぐ) コメディアン。
澤田隆治(さわだ たかはる) テレビ番組・プロデューサー
エンタツ・アチャコ(えんたつ・あちゃこ) 近代漫才の父と言われる漫才師。
香川登志緒(かがわ としお) 漫才作家。
【※下記は、勝手な素人意見ですので。聞き流す程度でお願いします。】
『 なにをしているの。』視
『どうして、それをしている』 観
『なにに喜びを感じていきているの』 察
そういうものの見方がありまして。
勝手に言っているだけです。(^O^)
《私が視た澤田隆治。》
演芸という箱は観るもので、
テレビという箱は、自分で作るものやと思っている人。
自分がおもろいと思った相手や物事は、自分が出来る最大限の力を使って、世に送り出すのが天命な人。
《私が視た香川登志緒。》
登志緒ちゃんについては、まだよく分かりません。
「よく分からない」というのは、
まだ【なにに喜びを感じて いきているのか】という部分が深く視えていないので、決めつけたくないなあと思いまして。(上記、澤田のおっちゃんを決めつけている訳ではありませんよ。『もしかして、そうかなあ』くらいです。)
《全員が、戦闘態勢で作り上げた番組~『てなもんや三度笠』》
ただ澤田のおっちゃんも、登志緒ちゃんも。テレビにかけた情熱は本物やって。
全員が、まんべんなく高い熱量でいられる環境は、
もはや奇跡に近いのかもしれない。
『その年齢で、最高のメンバーで番組作れるって。縁 以外、何物でもありませんわ。』
と、てなもんやの出演者・財津さん(タケモトピアノ)が言っていたように。
まさに、縁で集まったメンバーが、全員 戦闘態勢で作り上げた番組。梁山泊。
それが、日本のテレビ史に残る『コメディ番組といえば。』で必ずといっていい程、出てくる番組『てなもんや三度笠』だった。
てなもんや終了後、30年ぶりくらいに当時のセットの再現をした際、登志緒ちゃんが言っていたのが、
「…こんなん再現してくれるやなんて、涙出るわ。いろいろ言われておりますけれどもな。あの当時、(番組スタッフ)全員が本気やった。そのことだけは、若い皆さんに忘れんといてほしい。」
「物を作る」ということに対して。ひとりだけ熱量が高ければ、うっとうしいとなってしまう。逆に、ひとりだけ熱量が低いと他のメンバーのやる気がそがれてしまう。
全員が、高い熱量でいられる環境は、尊いと同時にぬるま湯になった時の反動も、すごい。ただそれだけのこと。それまで、ドバドバと出ていたアドレナリンが、ピタッと止まると身体には、負荷がかかる。ただそれだけのこと。澤田のおっちゃんの言っていた「つかれた」というのは、登志緒ちゃんや他のスタッフと刺し違えてでも いいものを作るという熱量やアドレナリンにばらつきが出始めたからだと思う。
『情熱に高低差が出始めたら、梁山泊で大将が旗を振るのは、容易ではない。』と思う。
澤田のおっちゃんは、澤田のおっちゃんでしかないから、おっちゃんの目線でしか物を言えないし、物も見えない。
せやけど、澤田のおっちゃんに限らず。そこに居るすべての人が、番組を作る以前のことと戦っていた。
ねたみ・そねみ。しっと・プレッシャー。人に足を引っ張られても、それらに対処出来る【すべてを越えていける『ポジティブな いかり』】が燃料となり。情熱となっていた。『足を引っ張られるのに対処するのが しんどいのは、澤田のおっちゃんだけやない。なぜならそこは、梁山泊なのだから。』
常に ひりひり(&はらはら)する現場で、あまりよろしくない言い方をすれば、全員がアドレナリン中毒。何が起こっても大丈夫なように(対応できるように)、あらゆることを想定して、各ポジション戦に備える。そして、戦(本番)に臨む。足軽も大将も全員で戦う。皆が必死で、余裕がなくて、やさしい言葉は掛けられなくて、言われている事の本質を見抜く力のある者だけが、そこで戦い。また次も戦える。
お客さんを入れての公開収録で直に反応を感じて、更に皆で、想定以上の高みへ向かう。それが毎週。本番終われば、また来週。そら、おばけやわ。
星を獲っているレストランとほぼ変わらない。
レストランは2ヶ月に1回メニューチェンジが出来るけど、てなもんやの場合、どれだけ手を変え品を変えても、お客さんの求めるのは、毎回定番の「あんかけの時次郎」と「珍念」の珍道中だった。
ガラケーの改良ではなく、スマートフォンを生み出して世界がひっくり返る位の衝撃があれば、「時次郎」と「珍念」というコンビの枠から離れた、おばけを通り越して、妖怪番組が出来たかもしれない。しかし、それは結果論。
長く続くことだけが、「テレビのかみさま」にとってのしあわせとは限らない。
そのほとんどが、戦争経験者で幼少期・十代の頃に娯楽のなかったメンバーが、青春はいくつになっても出来ると言わんばかりに。いい大人が本気をだして 熱狂をし、作り上げたコメディ番組。あそこまで続いたのが逆にすごい。戻って来られなかった劇作家や映画監督を知っているが、この梁山泊に集いし英雄たちは、彼らの居た世界線。延長線上にいるんだなあと思う。
番組関係者のほとんどがご高齢になった当世、その情熱は、残された書籍や映像において、(二次元において)永遠であると思う。例えその後の人生の方が長く、ままならないものだとしても。
それは、誰しもがそうだ。
そう。三次元においては、誰しもが。
観ている人が離れていって、視聴率が芳しくなくなって、時代に合わなくなって 終わっていったのではなく。おしまれつつ、幕を閉じる。それもまた、天命だったのかもしれない。
…知らんけど (*´∀`*) …(゜o゜; !?
生まれてないから知らんけど (*´∀`*)
(忍法・ここまで読ませておいてすべてをひっくり返すの術 ┻━┻︵└(՞▽՞ └)ガッシャン
ナンダッテ (╯°□°)╯︵ ┻━┻
オリャー(ノ´・ω・)ノ ミ ┻━┻)
とにかく登志緒ちゃんも澤田のおっちゃんも、テレビへの情熱が凄かった。
ただ、最後の最後、二人の生きざまのちがいは、
澤田のおっちゃんがテレビという箱で「物作り」の作業を あいしたとしたら。
登志緒ちゃんは 勿論テレビもすきだったけれど、 テレビより、寄席の演芸をあいした人。なのかなあ、なんて思う。
今頃は二人で地獄八景でも聴いているのだろうか。
それともまた周りが気ぃを遣うくらい 我ぁも気ぃもお強い頑固ちゃん同士なんだろうか。
.…知らんけど。(^ω^)
おわり。
掘り下げ
【掘下げ①】晩年の永田キングの芸をみて、衝撃を受けたこと。
キングとキングの息子たちで野球のネタをやっていて。当時テレビですら『スローモーション再生』というのはないのに、野球の球が今でいう所のスローモーションのように飛んでいく様をネタで表現していて。(なんじゃこりゃあ!…すげえ)って。思ったんだってさ。
【掘下げ②】吉本興業の戦前のプログラム
実際に白黒でしたが、見ると。めちゃ、おしゃれ。(雰囲気を見たい方は、どうぞ。※あたいの、おえかきです。)
踊り子さんの足とか、めちゃ、おしゃれ。(・ω・)ノ そして(上記リンク内掲載のポスター・)左側は、キングのポスターかなあ。
【掘下げ③】一つだけ映像を観た(見つけた)キング・エロ子時代の様子。
一つだけ映像を観て、スゴってなりました。【ただの感想です。】
まず流れとして。「永田キング・エロ子」という漫才のコンビ時代があってからの、晩年の「永田キング一党」です。妹さんとコンビを組んだ後、自分の息子さん達とチームを組みました。
上記と、同じことをもう一度言います。
【この記事を制作現在(2023年)。YouTube上に永田キングの映像は、一本しかございません。おそらく、それが澤田のおっちゃんが、観た晩年のキングですが、キングではなく子供さん等が映っているだけで、よく分からない感じでした。母数が増えればいずれ観られるかなあと思います。】
私が観たのは、漫才時代のキング・エロ子でした。
ちなみにエロ子という言葉の響きは、別に今日のような卑猥な捉えられ方ではなく、新しい言葉の響きだったとか。奇妙で新しい的な捉え方だったとか。
(当世風に例えると、「永田キング一党」は、THEプラン9や超新星みたいな感じかなあ。)
【あくまでもただの感想です。】※母数が増えれば、こんな感想は参考でも何でもなくなると思いますが。(^-^;
澤田のおっちゃんに活字で「スポーツ漫才」と言われても、当世とどう違うのかよく分からなかったけど。ふ~んと。ピンと来なかったけれど。
映像を観て。
百聞より、一見。すっごΣ(・□・;)となりましたよ。しかもYouTubeではなく、インスタのリールで見付けて。載せてくれた方にも、芸に対してもひっくり返りました。
私はバスターキートン推しですが。キートンのこけ方は、見ていてヒヤッとします。(こわ。え、大丈夫?首、グキッて、いってない!?)と。
『おもしろいとは思わない』という種類の中には、心配というものも含まれております。※因みにキートン本人は、実際に首をグキッと。やっちゃっております。本人は何年後かに気付いて。周りをヒヤッとさせましたが。その頃には、グキッとやった首も治っていて。(レッツ自然治癒力。)骨を折っちゃったと思われる当時、「やっちゃった」とは、首骨折ですよ。やばくないですか。(なんかちょっと首痛いなあ位、やった)と。けろっとしておりました。
ところがキングのこけ方は、柔らかいのです。こけるというか、倒れる?そしてまた、起き上がる?こちらに心配を与えるこけ方じゃないのです。(よしもと新喜劇でも、人をたたくときの道具はへにょへにょの柔らかいやつですよね。「たたく」というアクションが万人受けするかどうかは、さておいて。へにょへにょの柔らかい道具だからこそ。高い音が鳴る。すると、劇場に響く。だから、お客さん。嘘みたいないい音に、「嘘」と分かって。笑っていいんだと察して、笑う。暴力がおもしろいから声に出して笑うのではなく、「予想外のシチュエーションでのアクションと、結果に笑う。」あと、大勢の人と同時に(自分がおもしろいと思ったところで)笑う。その行為って、実は意外とたのしいものです。by 劇場マニア(。・ω・)ノ゙♪家)
柔軟があって。曲芸のような。体操をやっていたっぽいです。
当世、系統をしいて言うなれば。私の頭に浮かんだのは、ビックスモールンさんとオラキヨさんです。【掘下げ⑦】
キートンといい、永田キングといい、それだけの身体能力があるのであれば、なぜオリンピック選手を目指そうとか思わなかったのかしら。スカウトとかありそうなのに。…と。【ただの感想です。】
【掘下げ④】B.B.クィーンズ/夢のendはいつも目覚まし
(約1分。)
別に掘るほどのことでもありませんが。
頑固とは。
【距離を置いてみると それなりに楽しい奴なんですが こうも近くにいると そのワガママさ ずうずうしさに ウンザリです あれれ それって もしかして… そう私(ワタクシ)めなんです だからこそ よけいに 腹が立つったらありゃしない】というむかしのクレヨンしんちゃんのオープニングテーマがよく似合う人物のことで、さっきワタクシメが考えました。(∩´∀`)∩ 家♪ノリと雰囲気となんとなく。
【掘下げ⑤】エンタツ・アチャコと言えば『早慶戦』と言われる位、代表的な漫才~でも、なんで今 聴いてもおもしろないの?~
これは私にとって。とても意外なお話だったので記しておきます。
そもそもお笑い(ましてや文脈が複雑な、日本語の漫才)なんて、時代が変われば面白くなくなるもので。多くの表現者が、目の前のお客さんを笑わせる為に作っているものだから。別に、未来の人を笑わせるつもりはないものだと思って観てきました。今でもそれは変わりません。エンタツ・アチャコの『早慶戦』も、そうだと思っておりました。
ところが、生で見た登志緒ちゃんに言わしてみると。
「当たり前ですがな。舞台上で20分の出番があるとして、早慶戦のネタが6分やとしたら、あの二人がおもろいのは残りの14分ですがな。」
当時最新の技術で貴重だったラジオやレコード。
映画「雨に唄えば」でも【マイクに向かって喋れ】と何度も言われていたように、とにかく新しいテクノロジーだった。
「まだ覚えていないネタを(間違えないように)紙に書いてあることを読んでいるだけやから、そら おもろない。しっかり音が入るように、緊張もしてる訳やから、当然のことや。」
と。そういう理由でおもろなかったのかと。驚きました。
【掘下げ⑥】『テレフォンカード~』の登志緒ちゃん。
登志緒ちゃんは、晩年。若手のダウンタウンのお二人を、大変可愛がったそうです。それで後に『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコントにて、松本さんが登志緒ちゃんをモデルにしたコントをされていて。「登志緒ちゃんをモデルにした」というより、むしろただの登志緒ちゃんのモノマネだったのかもしれません。
それで当時 携帯電話も普及する前とかで、何かにつけてテレフォンカードをあげていたそうです。(^O^)
『はい。テレフォンカードぉ~(^O^)』
と。ごっつのファンの方の間では、有名なお話らしく、ダウンタウンの番組にゲストで訪れた晩年の香川さんの映像をみて、
【この人が噂の、テレフォンカードかあ(^ω^)】
と。思うとか思わないとか。
【なんでおっちゃん等、なかわるいの?】
「てなもんや三度笠」という番組をやっていて。けんかしたの。
…短っ( ̄▽ ̄;)
【掘下げ⑦】ビックスモールン
「なりないな♪ なりたいな♪」の掛け声で
「○○になりたいなあ」と言って、アクロバットな芸を見せて頂ける職人さんです。パフォーマーです。ボディアートというそうです。
知らない間に3人なっていて驚きました。(^O^)
YouTubeショート動画版。(現在)
メインチャンネル
NYアポロシアターにて。(4分44秒)Aug/10/2017
二人組時代。
こちら(下)も、二人組時代。
日本語のリスニングが出来る方におすすめ。※知らぬ間にビックスモールンさんが、海を超えておられたので。こういう表現です。ただし一般の方が撮影されているのと、チロさん(オレンジ)のお声が高いので。少し聞き取りにくいです。(全15分30秒)
始めの5分がネタで、
5分以降はお客さんからお題をもらって
「なりたいもの」を即興で表現しております。
あたふたしてます。実際の営業という感じで、こちらもすきです。( *´艸`)
そして、8分52秒頃~音楽を交えて「ミュージック・ボディアート」をしております。(パフォーマンス自体は、凡そ 12分30秒迄でした。)
【掘下げ⑦】オラキオ
ずっとオラキヨさんだと思っておりました。
(^ω^)失礼いたしました。
エガちゃんの舎弟です。(おいっ。)
もとい江頭さんの右腕です。体操をされる方です。
(キングを彷彿とさせるオラキオさんの映像が見付からなかったので、載せません。)
参考
染之助・染太郎 太神楽
(6分22秒)「いつもより多めに回しております」
「おぉめでとうございます!」の。
傘くるくるの人です。
【すゑひろがりずネタ】 漫才 「合コン」
(11分32秒)※両者あくまでもイメージです。
【登志緒ちゃん解説 エンタツアチャコ】
(約52分)
収録漫才『早慶戦』/『僕の家庭』/『トンカツと又之進』/『耳の耳』各漫才のあいだでは、登志緒ちゃんのちゃんとした解説が聞けます。
【吉本せい おえかき】
随分と前にやった私のおえかきですが、今回の記事をおもしろいなあと思って頂いた方はの中には、
もしかしたら、これすきかなあと思いまして。
(*´∀`*)…(*´ω`*)
最後まで読んで頂き
ありがとうございましたあ(*´ω`*)
またあそぼうねえ〜♪ヽ(*´∀`)ノ