大人だって何故どうしてというではないか。
ワードプレスを更新しました。
たまにはnote.に投稿をしていない らくがきも、
投稿しておこうかなあと思いまして。(^^)/
ー大人はいちいち理由を求めるが、子供は理由を求めない。一つ一つのことに理由を求めていたら、人生の喜び、その一つ一つにも理由が必要となり、また、理由がなければ喜べないようになってしまう。ー谷川俊太郎『理由なき喜び』より。
(※確かそういう感じのことを言っていたような気がします。ちがっていたら、ごめんね。)
あと、ついに『布』のマガジン出来ましたあ。
(そもそもお家のタオルを変えたのがきっかけだったなああ。)
→雑巾にしたら売れるかなあ
→そもそもミシン持ってねえ
→やる気を聞くために、とりあえず一個手縫いで雑巾を縫ってみるかああ
→できたああ
→なんか
→目の前に
→フェルトある~
→ ・・・。
→小物入れ
→頼まれて倍の大きさの大物入れ(ポーチ)
→ポーチ→ぽーち→コースター→ポーチ→ぽーち
→人生でポーチを買った数より、ポーチを作った数の方が上回る。
→その結果、
→自分のやる気を聞きすぎる。(スリッパ・帽子・お洋服…ゼロカロリー…そろそろ思い出すのきびしいエトセトラ。)
→帽子→元は自分用キャスケット制作。
→snsの短い映像で、ヘアドネーションにより作られた人毛ウィッグを、付ける瞬間の子の映像をみる。→そういや遥か昔に、ヘアドネーションをしたなあと思い出す。→ケア用帽子に、100均の前髪ウィッグを縫い付けている映像を観る。→わたしだったら、お手入れ大変だし気分で髪型を変えたい。(帽子のみ被りたい時と、ウィッグ帽子として被りたい時と。)
→マジックテープの着脱式だなあ
→キャスケット→(お薬の副作用とかで眉毛が薄くなっちゃっていても。あるいは顔を作りたくなくても。)眉毛隠れる。
→キャスケットウィッグ(∩´∀`)∩➡完成。おわり。
なんのこっちゃと思っておいてください。
人は、その人が『なにをしたのか』の「結果」でのみ相手を判断材料にする、その割に。そこに行くまでの段取り(理由・きっかけ)ばかりを聞いてくる。すべての事に 理由を求めていたら、人生の喜び、その一つ一つにも理由が必要となり、理由がなければ喜べないようになってしまう。
私が興味を示すのは、その人が、それを始めたきっかけ(どうしてそれをしているのか) ということよりも。きっかけと結果の先にある、なにに喜びを得ているのかということの方がよっぽど気になる。しかし、余所さんのためではなく、自分のことを、あいしてくれている人に向かっては。たまには、なんでどうしてと子供のように聞いてくる周囲に、説明しないといけないなあというお話を、ワードプレスでしています。(ほぼ内容、言っているやないか( ̄▽ ̄;))
ワードプレス共々、気が向いたらあそびにきてねえ~(^_^)
またね~(∩´∀`)∩
おわり