小沢健二の "神様"とのスタンス
【小沢健二の歌詞世界】
梅雨入りして、蒸し暑さを感じる日もあるのですが、そんな時、思い出す歌があるのです。
これは、小沢健二さんの『天気読み』の冒頭の歌詞。
考えてみると、よく分からない…
気温が上昇すると、なぜ、ロードショーは続くのか?…… とか、いろいろ考えちゃいますよね。
そんな考えちゃう歌詞であること(=深読みできること)も、小沢健二さんの歌詞の魅力なのです。
『天気読み』は、小沢健二さんのフリッパーズ・ギター解散後、1993年にソロ活動を開始した際のデビューシングルです。
サウンド的にはすごくシンプルになって、フリッパーズ・ギター時代に比べると音数が減った印象だったのですが、その分、歌詞が表に感じられたってことなんでしょうね。
1998年の活動休止以降、あまり表に出ることのなかった小沢健二さんですが、2017年に久しぶりのシングル『流動体について』をリリースした後は、コンスタントに活動していて、この春も3ヶ月連続シングル・リリースを敢行中だったりします。
ただ、何だかですね、戻ってきた小沢健二さんの歌に対して、どういうスタンスで向きあえばいいのか、未だに迷っている自分がいたりするんですよね〜。
今回は、そんな迷いの気持ちもある中、小沢健二さんの好きな歌詞に焦点を当てながら ”note” していきたいと思います。
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そもそも東京大学文学部出身の小沢健二さん。学生時代は翻訳家でもある柴田元幸さんのゼミにいたってこともあって、昔から、その歌詞の文学性は注目されていました。
もちろん、普通の歌詞と同じように、曲に合わせて短いセンテンスで構成されたものもありますが、私的には、時々、ちょっと長めのセンテンスが登場する曲があって、そこに文学性とやらを感じたのです。
はじめに紹介した『天気読み』のサビの歌詞も、そんな部分なんです。
ほとんど、歌詞というよりも文に見えますよね。
あえて、句読点を打ってみると
雨のよく降るこの星では、神様を待つこの場所では、木も草も眠れる夜が過ぎるから、君にいつも電話をかけて眠りたいよ、晴れた朝になって、君が笑ってもいい。
ほんと、それっぽくなるのです。
小沢健二さんのソロには、フリッパー時代とは、また違った魅力を感じたのですが、その要因の一つが、その歌詞だったのです。
この『天気読み』の後、リリースされた1stソロアルバムが「犬は吠えるがキャラバンは進む」
小沢健二さんが『今夜はブギーバック』や『ラブリー』でブレイクするのは次のアルバム「LIFE」あたりからなのですが、ファンの間では、この「犬は吠えるがキャラバンは進む」こそが、小沢健二さんの最高傑作とする声は少なくありません。
その後の曲たちと比べて、文学的で内省的な歌詞が多くて、このアルバムの大きな魅力になっているのは間違いないと思うのです。
自分も大好きなアルバムなんですが、サブスクでは解禁されてないアルバムなので、今でもCDで聴いてるものの一つです。
ただ、このアルバム、歌詞世界が深すぎるためか、長い曲が多い💦という特徴もあります。
このアルバムの収録時間長い曲第3位が『天気読み』(6'39")、第2位が『ローラースケートパーク』(7'19")、そして第1位が『天使たちのシーン』(13'31")という曲で、どれも長めのセンテンスで構成されている曲だったりします。
『天気読み』以外の2曲の歌詞を紹介すると
『ローラースケートパーク』
と、こんな感じで、ここで注目してもらいたいのが、"神様" という言葉なのです。
『天気読み』にも出てくるのですが、この『ローラースケートパーク』にも登場しています。
この ”神様” という単語の出てくる曲は、小沢健二さんにとって、ちょっとポイントになる曲のような気がするんですよね。
そして、このアルバムの中には、もう1曲、”神様” が登場する曲があって、それが長い曲第1位でもある『天使たちのシーン』だったりします。
『天使たちのシーン』
ライナーノーツの中で、小沢健二さんは、”最も忙しい人も、どうか13分半だけ時間を作ってくれて、歌詞カードを見ながら、『天使たちのシーン』を聴いてくれますように” と書いたりしていて、小沢さんにとっても大事な曲なんだと感じながら聴いたのを憶えてます。
13分半もあるので、歌詞もすごく長いのですが、その分、ていねいに情景が描き込まれていて、世界へ没入させてくれるのです。
冒頭の歌詞なのですが、すでに文ですよね。客観的に捉えられた風景描写と、その後に主人公の心の動きが添えられる構成になっていて、曲全体でも、この構成が繰り返されていくのです。
そしてサビの部分…
サビでは、”サークル” や "法則" という言葉が出てきていて、ここで描かれてるのは世界そのものなんだという事がうかがえるのです。
何気なくも回り続ける世界を描くには、細部までていねいに描くことは必要なことだったのでしょうね。だから、これだけの長さになるのも必然なのです。
そして、この曲の結び…
~生きることをあきらめてしまわぬように って箇所には、一瞬、ハっとさせられるのですが、とても静かな終わり方で、何か、短編小説を読んだような気持にさせられるのです。
神様を信じる強さを僕に ってとこに、小沢健二さんの "神様" とのスタンスが感じられるのです。
”神様” って言葉は、小沢健二さんの歌詞の中で、時々、見かけるように感じてたのですが、実は、そんなにたくさんあるわけではありません。
この時期には1stアルバムの3曲と、スチャダラパーとコラボした『今夜はブギーバック』ぐらいなんです。
『今夜はブギーバック』
『今夜はブギーバック』の後、しばらく、"神様" という言葉は現れなかったのです。
その間に小沢健二さんは、ラブリーでウキウキで、王子と子猫ちゃんで、一世を風靡することになるのですが、あの怒涛のシングルリリース・ラッシュを終え、ブームが下火になって落ち着いた後、活動休止直前にリリースされた2枚のシングルのうち、『ある光』(これも8分を越える曲なんです。)の中で、再び、”神様” が登場することになります。
『ある光』
一時期のようにセールスが伸びない中、曲調は全盛期のポップスに回帰してるのですが、歌詞は「犬は吠えるが~」の時と同じように内省的で、どこか『天使たちのシーン』に通じるものを感じます。
そして、途中に入る ”語り” の部分に ”神様” が登場してきます。
けっこう切実な感じもする曲なんですが、この部分のフレーズ(語り)では、何かが降りてきた感があるんですよね。
そして、曲の中で何度も繰り返されるのが、~この線路を降りたら ってフレーズなのですが、語りの部分と合わせて、それが、聴いてる者にはある種の予感を感じさせるものだったのです。
結局、小沢健二さんは、この後、活動を休止することになるのですが、時代を(全力疾走で)駆け抜けて燃え尽きたって印象だったのです。
休止前最後のシングル盤となった『春にして君を想う』には、もう一度、『ある光』がひっそりと収録されていて、ホントにこれが最後... みたいに言われてるようでした。
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小沢健二さんは、活動休止後のしばらくたった頃から、少しずつ音楽活動はしていたのですが、あまり表に出てくることはありませんでした。
それが、2017年に、久しぶりのシングルリリース。
注意深く聴いてみると、やはり ”神” が登場しています。
『流動体について』
啓示的な『ある光』の "神様" とは、ちょっと違った印象ですよね。
ここにあるのは、”あきらめ” とかではなく、自己の ”肯定” だと感じてるんですがどうでしょう。
ただ、曲調は似かよっていても、何かが変わったと感じた復活シングルだったのです。
冒頭にも書きましたが、正直、活動再開後の楽曲には、今ひとつ乗り切れない自分がいるのです。
でも、小沢健二さんの ”神様” へのスタンスが変化するように、自分の小沢健二さんの音楽へのスタンスが変化することは自然なことなのだと、今回、歌詞を追いかけて行くうちに気づけたような気がします。
聴きたい時に、聴きたいように聴けばいい。
そんな普通のことを言われてる感じでした。
そのうち、また、"神様" が登場する曲が生まれてくるかもしれない。そんなことを楽しみにしていたいと思うのです。
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小沢健二さんの歌詞の中には、”神様” 以外にも、よく使われるものがあります。それは ”光” だったり、”魔法” だったり、"この世界" であったり、最近では ”宇宙” が増えてきてたりするのですが、自分的には ”美しさ” という言葉が気に入っています。
活動休止前のシングル『ある光』のカップリングには、『さよならなんて云えないよ』のジャズアレンジバージョンが『美しさ』というタイトルで収録されていました。
原曲とは雰囲気が違いますが、これはこれで、幸福感のあるしみじみした曲になっているので、最後に、ぜひ視聴してみてください。
『美しさ』
(アーティストの歌詞世界 "note" )
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