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大人の「好き」と子どもの「好き」
Adult lover, Children love.
以前、宮崎駿サンと養老孟司サンの対談をまとめた「虫眼とアニ眼」という本を読んで思ったことです。
この本の二人の間で語られる話題の中に、今の子どもについて語る部分があります。ここでは、詳しく書きませンが、自分が子どもの時を思い出しながら、今の自分との違いについて考えさせられたりしました…
たとえば「好き」という気持ちについて…
幼児の「好き」は常に純粋で、子どもなりの直感や感覚で判断されます。
その感情は0か1みたいにシンプルで、やや好きとか、まぁまぁ好きとか、中途半端な「好き」はあまり存在してないように感じます。
だから、ある日突然嫌いになったり、また、すぐに好きになったりするのだと思います。
ところが、少しずつ体験が積み重なり、人の性格とかを感じるようになると… 少しずつ考えて好きになるところが出てきます。
小学生が好きな人の話題になったときに、好きな人の順番があったりするのは、そういう「好き」になってきたからだと思うのです。
さらに
大人の「好き」になると、もっと複雑な気持ちになっていきますよね。
優しいとこが好きだけどだらしないとこは嫌い…とか
いい人なんだけど趣味が合わない…とか
その人の好きな部分だけを見るのではなく、嫌いな部分も見て、総合的に「好き」と判断するようになってくるんだと思います。
もちろん、
欠点ばかりでも、ここは世界一だから、好き......なんてこともあるし、
すごい完璧と、思ってたら、一つの欠点を見つけて嫌いになっちゃうことだってある。
大人の「好き」にはいろいろな要素が混ざっていて複雑です。
時には大人の事情
打算や計算
「好き」なんだけど、総合的に判断すると恋愛することはできない...
この人を「好き」になってはいけない...など
自分の心を打ち消さなければならない時さえ出てきます。
できれば、子どもの「好き」のように純粋で無邪気に人を好きになりたいと思うこともありますが、なかなか難しいものですよね。
また、大人の恋愛においては、様々な要素から、自分がその人のことを「好き」なのかわからなくなってしまうことや、相手の気持ちが信じられず、どう行動してよいかわからなくなることがあります。
きっと、そんな時は、
自分の「好き」のいろいろな要素を削ぎ落としてみて… そこに、子どもの「好き」があるかどうかを確かめてみればわかるのかなって思います。