かたちが自由であるということ(村上春樹の「アイロンのある風景」)
村上春樹さんの「アイロンのある風景」(『神の子どもたちはみな踊る』収録)という短編でのやりとりが印象的で、時々、思い出すことがあるので、そのことについて ”note” します。
その短編には、海辺の流木を集めて焚き火をする人物が出てきます。
物語中、火を眺めていると、時々、不思議な気持ちになると語った女性に対して、その人物は、次のように答えます。
「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。」
「かたちが無い」ではなく「かたちが自由」
そんな何気ない表現に魅かれるのですが、自分の生活の中でも「かたちが自由」らしきものに出会うことがあります。
たとえば、青空
澄み切った空はさわやかに感じるものですが、なぜか、それが無常に感じられるときがあったり
他にも
夕焼けの茜色がやさしい色に感じられたり、悲しい色に感じられたり
桜の花びらが散る様を儚く感じたり、華麗に感じたり
そんな風に、その時々によって感じ方が変わるものは「かたちが自由」なものなのだと思っています。
今日は空を見ながら、そんなことを考えたのでした。
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